最近、家で岩波先生は強い呼吸法をさせていないみたいですね。
理由は体が硬くなるから、ということのようです。
確かにまだ体が硬い人が無理に強い呼吸法をやったら、余計体に負担がかかるかもしれません。
ただし、僕のようにある程度呼吸法が上達した人なら(まだまだ未熟者だけど)、強い呼吸でも体が、強い呼吸をやめた後の開放感から、みるみる緩みが出てくる実感があります。
これは、おそらく強い緊張状態から、開放感へのギャップが脳にインプットされて、僕の脳が緩む指令を体全体に出してくれるからだと思っています。
それはさておいて、呼吸法は知恵でやるものではなく、感覚でやるものということを今回は書いていきたいですね。
もし知恵で呼吸を上達させようとしている人(結構、みんな無意識的にやってしまってる)がいたら、いますぐその考えや小細工をやめたほうがいいです。
それで得るものはありません。
たぶん疲労感と焦りと雑念がますだけです。
それをよくわかっている人は、強い呼吸に頼っちゃいます。
なぜなら、雑念や知恵を外しやすい呼吸法だからです。
だけど、前述のように体が固まるだけになってしまいます。
結局近道はない、あるとしたら知恵を使わないで、見返りも求めないでただやるのみ、それだけだと思います。
そこで、もし想像力が豊かな人は、弱い息を吐く時に「自分は緩んでるんだ~」「きもちいい~」「ふわーとする~」「もうどうにでもなってくれ~」「どうだっていい、ばからしい」と想像しながらやると、深い意識の世界への強力なアシストになると思う。
だけど、絶対知恵を使ってやろうとしちゃダメ!
ある意味、諦めが肝心です。
目的はより不快潜在意識への働きかけなわけだけど、そればっかり追求すると、人は知恵を使っちゃう。
その目的はあるけれど、それを一旦捨てて、見返りを求めないで、ただやってみてくだされ。
毎回うまく行かないけれど、あるときうまく行ったりします。
その時の感覚は、脳みそは絶対覚えてます。
ついでに言うと、岩波先生が作り出す圧倒的なトランス体感も、絶対脳みそは覚えています。
なので、やっていることの成果が、マイナスに行くことはないし、プラスが積み重なっていくだけです。
それを引き出すのは、知恵の力じゃなくて、感覚と想像だけ、あるいは何も求めない心だけなんですよ。
あと重要な成果がある。
それは知恵を使わないほうが、生きやすいし呼吸法も暗示もルーツ処理もすべてうまくいくという実感が持てるということ。
どんだけ知恵を振り絞っても、自分の脳味噌奥深くに住みついた悩みの種は処理できないけど、知恵を使わない威力こそが、その難題を解決してくれるということが学べるわけです。
知恵ってちっぽけで糞だな~、なんの価値もないな~、と思えると、これからは生きやすい自信が持ちやすい割り切りができる思考になるし、認知力の歪みも治ってくれます。
あ、知恵が何の価値もないということはないな。
よりプラスにのみ使える知恵を発揮できるようになる、ということなので語弊なきように。
実感として僕自身そう感じたこと、という意味です。
呼吸法のやり方は、結局そういう根本のところが大きいです。
あとは、見返りが出なくても、やり続けることの積み重ねとその気持ちが、あなたの潜在意識の悩みの種を必ず破壊してくれることになります、頑張ってください!!
①毎日弱い呼吸に取り組んでいるのですが、おっしゃる通り、「疲労感と焦りと雑念がます」ばかりです。無心になろうとするほど、雑念が強く湧いてきます。マイナスの雑念が強くなりすぎて短時間でどうしようもなく嫌気がさしてしまいます。嫌気がさしてきても、そのまま続ければ良いのでしょうか?
②感覚的な話なので文言化は難しいと思いますが、「知恵を使わない、見返りを求めない」というのは、どのような感じなのでしょうか?読んで字のごとくだとは思うのですが、自分は雑念が強すぎて全くイメージができないのです。
よろしくお願い致します。