アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅳ

2016-11-29 10:03:13 | 物語
四 花と蝶

 アパートで今、私は胡蝶一座の構成を書いている。窓外でコズエの白い裸身が私を誘う。目を瞑れば、なお一層鮮やかに甦る。湯を弾く玉の肌、生命そのもののように弾む乳房。湯煙の中で妖しく揺らめく若萌。
 二つの肉体。他人の顔。ミズエとコズエ、この一卵性の双子は、顔を除けば、総てが一つ、同じ乳房、同じ女性器に、一つの心を持っているのだろうか?
 邪念を振り払って原稿に向かうのだが、無駄な抵抗だった。夜の静寂の中では、コズエの魔性に勝てる勇気も、強い精神力も、残念ながら私は持ち合わせてはいない。
窓の外の暗闇で二つの光る目が浮かんでは消えた。その光が誘ったのか、東の空がようやく白み始めた。

 海は大きくうねっていた。
 海岸通をジョギングする女性がいた。
 新聞配達の少年がいた。
 少女が自転車で牛乳を配っていた。
 お宮の松の陰で、黒メガネの男が海を眺めていた。
 風が囂々と鳴っていた。
 波が坂巻き、海が荒れていた。
 重く垂れ込めた雲を裂くようにして朝日が射し込んで来た。と思うと、見る見るうちに鮮やかな朝焼けが熱海の海に現れた。
 朝焼けに誘われて、私は海岸通りを散策し、岸壁に凭れて海を眺めた。
 桟橋の先で、紅白の布が風にはためいてクルクルと舞っていた。目を凝らして見ると、それはコズエが舞っていたのだ。白衣に紅袴、紗の長い肩布を靡かせ、鈴を鳴らしながら、三度回って旭日を拝祈している。
 神を降ろしているのだろうか?
 神懸かりの儀式なのだろうか?
 それとも何か呪詛しているのだろうか?
コズエは跪いて敬虔な祈りを捧げている。
 祈りが終わったかと思うと、踊るようにしてその場で跳ねた。
まるで十メートル程も跳ねたように私には見えた。旭日に向かっていたコズエの身体がゆっくりと回転しながら空中を漂っている。紅白の肩布がまるでコズエの宿命を縛り付けるようにして、風にはためきながら彼女の肉体を、細頸と腰に巻きついていった。華麗で可哀想な蝶の標本のように見えなくもなかった。
朝日を受けて黄金色に虹んでいたコズエは、まるでスローモーションのようにして片膝をついて着地し、瞑想していた眼を瞬かせながら開いて行く。極鮮色に煌めく閃光が拡散していた。
コズエは大きな眼を見開くといきなり走り出した。私を見つけたのだ。
 黒メガネの男が慌てて松の陰に隠れた。海を眺めていたのではなく、コズエの様子を窺い、ずっと見つめ続けていたに違いない。
「鬼太郎は一体 いつ寝るの?」
 初めはセンセイ、次が鬼太郎さん、夜が明けたらもう鬼太郎と、遠慮なく呼び捨てにする。
「鬼太郎!」
 一声高く叫んで、
「おはよう!」
 今度はひどく無邪気に笑った。その美笑が顔一面に広がって行く。目眩ましにあったように私の意識が、ただでさえ寝不足で朦朧としていた私の意識が混沌とした。その後のことは藪の中、私はただ、波間に漂う小舟のように夢を流離った。
 
 巫女、神子とも書き、巫などとも言う。
 有る意味では、コズエこそ真の巫女に相応しい娘だった。その時、小学校高学年程の学力さえ持ち合わせていなかったが、北から南、西から東へと、彷徨ボヘミアンの旅芸人の娘に生まれてしまったのだから、それはコズエの罪では無い。
 何を見ても、何を教えても、必ず一度で憶えた。興味をひくと、全てを知り尽くすまで、目を見開いて見続けて飽きない。グルグルと廻り、あらゆる角度から知ろうとする。コズエの目がことさら大きく感じたのは、きっとその所為だ。
 対してミズエは、やはり同じ様な能力を持っていたのだが、コズエに較べて余程控え目で、他人に対して閃かす事など決してしない。
 初め、この娘は精神薄弱気味か、或いは口か耳が不自由なのかと、錯覚した程喋らないのだ。何を言おうとしても、慎重に考え、言葉を選んでいる内に、機会を失ってしまうのだ。
 コズエは生まれてくる時代を間違えたのかも知れない。もしも、前世と言うものが有ったなら、栄耀栄華を誇った民族の王女であったに違いない。私はコズエを戴く民に生きることを望み、夢見るだろう。現にそんな夢を見た。

 神殿に祈るコズエがいた。
 傍らに雄々しく佇む王がいた。
 夥しい数の民がコズエを拝んでいた。
 民衆の歓呼の中を征戦につく大軍が行進していた。
 夢の中で、私は王では無かった。将軍でもなく、兵士でもなく、民でも、奴隷でさえなかった。
 泥田の畦に咲く、名も無く見窄らしい花でしか無かった。例え召使いでも奴隷でも良い、人というモノに成りたい、麗しいあの娘を、人として拝んでみたい。焦がれるように望んでいた。
 そんな私の心をからかうかの如くに、蝶が舞っていた。
 望むが良い。願うが良い。
 例え花でも虫でも、生命有るものは皆、望めば人になれるのだ。生命に貴賤は無い。
 蝶がそう囁いて私を唆すのだ。
 白く大きく棚引く雲から、太陽が燦々と輝いて、花である私を照らした。

 そこで私は目を覚ました。
 窓から眩しいばかりの陽が射し込んで、私の顔を照らしていたからだ。
 もう午後一時を過ぎていたので、惜しい気がしたものの、跳ね起きて、頭から水を被るようにして顔を洗い、目を覚まさせた。
 原稿に向かった私の筆は、不思議なほどスムーズに動き、一気に構成を書き上げた。





 五 太公望

 胡蝶一座の稽古は、朝十時からの二時間ばかりと、午後二時から夕方までの四時間だった。稽古は順調に進み、週末を待たずにほぼ完成した。
 この日も午後の稽古を見に行こうとした時、キッチンの隅で釣り竿を見付けた。
 私は稽古はやめにして、桟橋で釣り糸を垂れる事にした。もはや、稽古で私がすることなど何もないのだ。
 晴れ渡る青空に、紺碧の海、まだ二月だというのにポカポカと春のようだった。

 釣り糸を垂れながら、一応ウキの辺りを眺めてみる。実は、ウキなど見る必要はまったく無いのだ。私の針には餌が付けてないのだから。魚を釣るのではなく、釣りそのものが目的なので餌など必要無い。
 小さい頃からこんな具合にして釣りを愉しむのが好きだった。とてつもなく贅沢な趣味、と私は自認している。実際、こうして海面を眺めやっていると、不思議に心が落ち着き、様々な想念が沸いて来る。
 小魚が海面付近に群れて遊び、春の陽に照らされてキラキラと煌めいている。
 私は海面を心の鏡にして、ミズエを想った。記憶が甦り、私の想念と混じって、その鏡に像を結んだ。ミズエが微笑んでいる。その微笑みが水面に揺れて散った。
 ミズエの面影が、小魚の群の集散とともに、現れたり消えたりするのだ。
 ミズエが現れ、また消えた。再び現れたかと思うと、それはコズエだった。いつの間にかコズエが私の傍らに佇んでいたのだ。
「鬼太郎は釣りが下手ネ。一時間以上経っているわ」
 ミニスカートのコズエが私の左に座った。
「私、手伝ってあげる。きっと釣れるわ」
「それは無理だろう?」
「大丈夫、まかせて」
 海面に向かって垂れるコズエのサンダルが外れそうだ。だが決して落ちなかった。まるで体の一部のように、際どくも足と繋がっているのだ。
「ずっと見ていたの?」
「まさか、あたしじゃないわ」
 その時、奇跡が起きた。
 餌のない釣り竿で、魚がつれたのだ。
 ほんの数メートルしか離れていない所で、ミズエが立って私を見つめていたのだ。
「お早う。・・・稽古は終ったの?」
 ミズエに声を掛けたのだが、
「午後の稽古、今日は休みになったの」 
 コズエが答えた。
 サブリナパンツのミズエ、今日は髪を編み込んで頭の上で束ねている。そんなミズエが躊躇いながらも、おずおずと近付いて来る。
 私は下駄を揃えてミズエの足下に置いた。
「座ったら?」
「有り難う」
 歌と台詞以外でミズエの言葉を聞いたのはそれが初めてだった。
「岸壁に座るのなんてミズエには無理かも」
「どうして?」
「水が怖いの。私たち全然泳げないの」
「コズエは怖くないの?」
「わたしは平気、怖いものなんかないわ。沢山人もいるし」
 コズエが私を覗き込んだ。
「喜太郎泳げるのでしょ」
「ああ、そこそこ、にはね」
コズエがミズエを振り返って言った。
「大丈夫。落ちたって喜太郎が助けて呉れるわ」
 迷っていたミズエが私の右隣にそっと腰を掛けた。そよ風が私の右頬を掠め、梅の花の香りが漂った。まるで佐保神のような、なんて爽やかな娘なのだろう。
 私は、珍しくも長い髪を束ねたミズエの項を見つめた。が、有るかもしれないと期待していたホクロは見当たらなかった。
 ミズエの頬が微かに膨らんで、唇が僅かに開こうとしている。何か私に言いたいのだろうか?
 私はミズエの言葉を待ち望んだ。
「釣れたらいいネ。きっと釣れる。私が祈ってあげるから」
 こう言って、コズエが海中のウキの先を凝視している。
「ムリムリ、餌なんかついてないのだから」
 ミズエの耳元でそっと囁くと、ミズエが驚いたように私を見つめ、コズエはムキになって、更に海を凝視し、何やら呪文を唱えた。
 私はミズエの顔を覗き込むようにして微笑みかけた。
「ホント?・・・本当に餌がついていないの?」
「ホントさ」
「でも、引いているわ。ホラ!」
 ミズエの指さす先でウキがピクピクと動いている。
 慌てて竿をあげると、小さな小生意気なフグが針に掛かっていた。
 指で軽く腹を弾くと、プーッと体が膨らんだ。
「まるで、コズエちゃんみたいだネ」
 クスッと笑ったミズエが大きく頷いた。
「かわいそうだから今度だけは許してあげよう」
 と言ってフグを海に放すと、今度は、フグに例えられたコズエの頬がプーッと膨らみ、私から視線を外した。その項にホクロが三つ、まるで梅の花のように息づいていた。

 その後二人は私のアパートについてきた。
 自慢のオーディオセットの正面に座ったミズエが、マッキントッシュ(オーディオアンプ)のエメラルドグリーンのロゴに魅入っている。
 コズエは立ったまま、遠慮なく部屋中を見回している。
 コズエの視線が隅のバイオリンケースの上に止まった。
「鬼太郎のバイオリンが聴きたい」
「中は空っぽ。・・・ただの飾りさ」
「お願いだから聴かせてよ」
「本当に弾けない」
 コズエの目がキラリト光った。意味ありげに微笑んでいる。
 私はコズエを無視して、バド・パウエルの『クレオパトラの夢』を選んでターンテーブルに乗せた。エアダスターで埃を吹き飛ばし、静電気を除去した後、鹿皮のクロスで丹念に拭い、アームを盤に運ぶ。いい音で聞くための儀式のようなものだ。
 軽快にスイングするパウエルのピアノが飛び出して来た。
 やっとコズエが腰を下ろし、ミズエを少し端に追いやって、私がミズエの為に用意した特等席を独占した。
 バド・パウエルのクレオパトラの夢を聴きながら、
「パウエルは凄いパラノイア、偏執病に掛かっていて、躁の時と、鬱の時の差が酷かった人でね、黒人プレーヤーとしては当然のように麻薬に溺れた。好不調が激しくて、このレコードを吹き込んだ時も酷い状態だったと言われている。だから、ミスタッチがかなり目立つ」
 コズエもミズエも良い耳を持っていた。私の解説に見事に反応した。正直私には良く聞き分ける事が出来なかったのに、ミスタッチを殆ど見つけては顔を見合わせて頷き合っている。
「そんなモノを跳ね返すような、唸るような熱演で、パウエルで一番好きだな、この演奏」
 二人とも初めて聴くジャズの、それも飛び切りの名演にかなり興奮していた。
 この姉妹のように、耳が良く、感性の豊かなリスナーを手に入れるなんて、オトキチ冥利に尽きるというものだ。
 私は次々と秘蔵の愛盤を掛け替え、二人は夢中になって聴いてくれた。
 そして今、グレン・グールドのバッハを聴かせているところだ。

 この日から、ミズエもコズエも、たびたび私のアパートに入り浸った。
 それは良いのだが、意外な付録、小道具係りの健一という若者まで仲間に加わって来たのは余り有り難く無かった。健一は漁師の息子だがグレートホテルでアルバイトをしていた。いつもジーパンに半袖のТシャツ、真冬でもペラペラのジャンパーを羽織るだけだったらしい。
コズエと健一は出来ていた。というより、コズエが健一を子分か家来のように従えている、つまりバシリと言った方が正しいのかも知れない。
2016年11月29日   Gorou

女から生まれし者は命短し、パーセルとマーラー

2016-11-28 23:51:19 | クラシック音楽
 先日、珍しい試みをした演奏を試聴しました。
[演目]ヘンリー・パーセル:メアリー女王のための葬送音楽は、パーセルが終生仕えたイングランド女王メアリー(1662~1694)の死去の際に作曲されました。女王に対する作曲家の敬愛と哀しみが表現された美しい名曲で、第1曲「行進曲」第2曲「女より生まれし者はその日短し」第3曲「カンツォーナ」第4曲「我ら生命の半ばにても死に臨む」第5曲「カンツォーナ」第6曲「主よ、汝はわが心の秘密を知りたもう」第7曲「行進曲」)、グスタフ・マーラー:交響曲第6番イ短調『悲劇的』(2003年国際マーラー協会版)
[指揮]ダニエル・ハーディング[演奏]バイエルン放送交響楽団及び同合唱団[合唱指揮]ヨルン・ヒンエルク・アンドレセン
[収録]2014年3月21日フィルハーモニー(ガスタイク内、ミュンヘン)
[映像監督]ベアトリクス・コンラッド

 最初に驚いたのが、パーセルを演奏するのにしては、異様に楽団員が多いのです。おそらく必要な人数の五倍位はいたと思います。
ファンファーレに合わせて合唱隊が葬儀参列者の如く入場し、金管アンサンブルと美しい合唱(オルガン伴奏)が交互に演奏されて行きます。
 行進曲のあとは合唱です。
 女から生まれた者は 命の日は ごく短く 悩みに満ちている
 どこかで聞いたような・・・? そうです、マクベスの魔女の予言ですよね。

 シェークスピアもパーセルも聖書から引用しているに違いありません。
マクベスは one of woman borne(女が産んだ者)には倒されないという予言を受け、自らの不敗を確信する。この種の言い回しは新約聖書にも them that are born of women として現れる慣用句で、通常は「あらゆる人間」を意味する。しかし born (borne は古い綴り) には「自然の」という意味もあり、one of woman borne は「女が(自然に)生んだ者」とも解釈できる。

 美しいパーセルが終わると間髪を入れずに始まるマーラー6番目の交響曲『悲劇的』。ハーディングは国際マーラー協会版(第2楽章「アンダンテ」第3楽章「スケルツォ」)を採用。パーセルを前奏曲として考えると、より一層第1楽章の悲劇的サウンドが際立ちます。また、この曲はさまざまな打楽器も見どころで、特に第4楽章で打ち落とされる大きなハンマーは必見です。
激しさと美しさのメリハリ、圧倒的な音楽の推進力、オーケストラ圧巻のアンサンブルを映し出すカメラワーク、そしてパーセルは指先で、マーラーは指揮棒で指揮するハーディングの普段は見ることができない表情など、オーケストラコンサートの醍醐味をさまざまな角度から目と耳で体感できる番組。日本ではクラシカ・ジャパンでのみ、このコンサートの全貌を知ることができる唯一の映像。だそうです(クラシカジャパンホームページ参照)。
 決して誇張のない賛辞ですね、パーセルは哀悼溢れた名曲で素晴らしい演奏でしたし、マーラーの悲劇的も、数々有るこの曲の名演奏に加えるに足るものでした。私はマーラーの六番はもっぱらアバド・ルーツェルン祝祭管弦楽団盤を愛聴していましたが、アバドに劣っているとは思いません。むしろ、こちらの方が好きかも? 打楽器の使い方が斬新なのと、全体的に迫力が有るように気がしました。近いうちにアバドを聞き直して確認したいと思っています。

 メアリー女王について調べてみました。イングランドのこの時期にはメアリーだらけで混乱を極めましたが、矢張り、プロテスタントへの厳しい弾圧で、ブラディメアリーと言われたメアリーで間違いないようです。メアリーの妾腹の妹が、イングランドにゴールデンエージをもたらしたエリザベスです。因みに彼女はプロテスタントでした。プロテスタントで妾腹のエリザベスがメアリーの跡を継げたのは何故でしょう? 私も興味を持っています。参照する文献は多く、オペラ(アンナボレーナ)、映画(ブーリン家の姉妹、エリザベス、エリザベスゴールデンエージ、恋するシェークスピア)も参考にしようと思います。
 メアリーとエリザベスの父親はヘンリー八世で、とんでもない暴君でした、愛妾アン・ブーリンと結婚する為にローマ教会と決別しました。更に、アンへの愛情が冷めると、ジェーン・シーモアを王妃にする為にアンを処刑しました。冤罪と言われています。

 この辺りの話は別の機会に展開するつもりです。
2016年11月28日   Gorou

ベルリンフィル 帝王カラヤンからアバド~アバドからラトルへ

2016-11-28 19:48:31 | クラシック音楽

 帝王カラヤンからアバド~アバドからラトルへ。

 魔王カラヤンの呪いをアバドが拭い、ラトルが過去半世紀で最高のベルリンフィルを築いた。
誰もが世界最高と讃えるベルリンフィルにも弱点が有りました。時として、二軍・三軍をツアーに送り込む、とか、……伝統に胡座をかいている、とか……管楽器に比べて弦が弱い、とか……
何れもいわれなき中傷でしか有りませんでしたが、二十一世紀に入ると、ベルリンフィルは自ら進んで改革に乗り出しました。若くて優秀なソリストを募集し、若返りを図りました。その時加わったのが清水直子でビオラの主席に座っています。ラトルの任命も、変わろうとするベルリンフィルの堅い決意をあらわしています。
 今井信子に師事した清水直子は、師・今井信子ゆずりの暖かく豊かな音色と真摯な演奏で楽団員とサイモン・ラトルに絶賛されています。ラトルはインタビューで彼女はベルリンフィルの至宝であると語っています。みなさんも是非、全盛と伝えられる二十世紀後半のベルリンフィルと直子の加わった新生ベルリンフィルを聞き比べて下さい。とにかくしなやかでやさしく、特に弱音が美しいんです。ともすれば力でねじふせるような圧迫感を与えた旧ベリンフィルから完全に脱却しています。

 1955年4月5日、カラヤンがベルリンフィルの常任指揮者となりました。奇しくもカラヤン47才の誕生日であったという。カラヤンは楽団員の国際化を進めるほか、精力的に録音活動を行った。ベルリン・フィルの組合せでの録音は、膨大な数に登りました。帝王と呼ばれた(もしかして呼ばせた?)カラヤンは終身指揮者・芸術監督となり、ベルリンフィルを使って世界制覇を成し遂げた。
 私も、若い頃はさんざんカラヤンの演奏を聴かされました。ラジオから流れてくるのは、カラヤン、カラヤン、カラヤン。カラヤンだったら何でも推薦版になりました。もしかして、音楽界ではカラヤンを褒めなければ生き残れなかったのかも知れません。私はカラヤンの演奏に一度も感動を覚えませんでした。私自身の音楽に対する感性が欠如しているとしか思えませんね。音楽に耳を傾ける前に、カラヤンの指揮ぶりとヒットラーの演説が重なって見えてしまうのです。
 終身指揮者のカラヤンでしたが、ザビーネ・マイヤーというクラリネット奏者をベルリンフィルに迎えた事で団員との溝が深まり、 1989年4月に辞任しました。ザビーネ・マイヤーは退団し、カラヤンもその年の夏、死去しました。
 当選確実と噂されたロリーン・マツェールを破ってクラウディオ・アバドが常任指揮者に就任しました。楽団員の投票だったそうです。スカラ座でイタリアオペラを振っていたアバドがベルリンフィルの常任指揮者に任命されるなど、誰が想像したでしょうか! 一番ショックを受けたのは敗れたロリーン・マツェールでした。その後9年間、マツェールはベルリンフィルと決別しました。
 任期全般でレパートリーを広げることに尽力したアバドではあったが、自身の健康面の問題で一時代を築けず2002年のシーズン限りで辞任した。後任の最大有力候補はサイモン・ラトルとダニエル・バレンボイムだったが、楽団員による投票によりラトルが常任指揮者に選ばれた。ラトルは、ベルリン・フィルを政府から完全に独立させ、また一風変わったレパートリーを取り入れて、ベルリン・フィルに新風を吹き込みつつあります。(ウィキペディアを参照させていただきました)
 カラヤン、アバド、ラトルの聞き比べとして、私はブラームスのドイツレクイエムをお奨めします。違いをご自分の耳で確かめて下さい。

カラヤンのドイツレクイエム。
凄いですね、ベルリンフィルも随分鳴っていますね、ロマンティックですね、でもプロテスタントのブラームスがこんな具合に演奏される事を望んでいたでしょうか?

アバドのドイツレクイエム。
 アバドが病に倒れる前のライブで、生きる喜びを謳歌しているような演奏です。少し力が入りすぎているかも? ソプラノはバーバラ・ボニーですが、CD盤の方ではシェリル・ステューダが歌っています。そういえば、アバドはステューダが好きですね、随分観たような気がします。ドミンゴ、ステューダを起用したローエングリン、面白いですよ、オケはウイーンフィルですけどね。

ラトルのドイツレクイエム。
CD盤。良いのか悪いのか? 全く違う曲に聞こえてしまいます。
 私はこれが一番好きです。
2016年11月28日  Gorou and Sakon

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅲ

2016-11-28 18:11:15 | 物語
三 熱海温泉

 熱海、この日本一、いや東洋一といっても過言ではないかもしれない、高名な温泉の源は驚くほど旧い。
仁賢天皇の御代、五世紀と伝えられている。その時、海中から水煙が立ち上がり、潮水が沸騰し、夥しい魚が死滅したという。それでアツウミと呼ばれ、転じてアツミから熱海となった。 
 
 私は今、その熱海の、リオと並び称される、東洋一の夜景を眺めている。
 ホテルが私に用意した住まいは、海岸通の外れにあるプレハブ造りのアパートの一室だ。六畳間に申し訳程度のキッチンとトイレしかついていない。風呂もシャワーも無い。ホテルの温泉が四六時中利用出来るからだ。当時の住宅事情からも、待遇としても悪くは無かった。
 そのアパートの二階の窓辺から湯の町熱海の夜景を展望していた。
 海岸通りから小高い丘の上までビッシリと、三百とも、四百ともいわれたホテルや旅館がひしめいている。
 熱海グレートホテルはこの歓楽街でそれほど高名では無い。当時、一二を争っていたのは、ローマ風呂で有名な大野屋と、豪華なレストランシアターを持つニューフジヤホテルだろう。
 だが、こと夜景に関して、熱海グレートホテルは決してそれらに劣ってはいなかった。ネオンの海を左から右へと展望して行き、中程を過ぎた全体の三分の二ばかりの処に聳えている。
 東京方面から車で来て小さな岬を右に曲がりきると、熱海の歓楽街が広がる。その海岸通りを直進するとすぐ左側にお宮の松が有り、右側が熱海グレートホテルだ。通りに面したエントランスはそれ程広くなく、中程度の観光旅館といった規模だろうか、後から建て増した、奥の新館はかなり広く高層である(本館七階建て、新館十階建て)。
 その高層の屋上に、一際大きく、グレートホテルのネオンが輝いている。

 明日までに構成をあげなくてはいけないのに、筆は遅々として進まない。箱書きだけすまして、アパートを出た。ホテルの温泉にでも浸かればイメージがわくと思ったからだ。 
 アパートのすぐ側の小さな公園に桜の樹が数本有った。勿論、この時期に桜が咲く筈もないのだが、その一本が可憐な梅の花を咲かせていた。桜の中に梅が一本混ざっていたのだ。

 私は暫く、夜の梅の花を愉みながら、梅の花の香りを運んでくる、神のように美しく、胡蝶のように儚い、一卵性の娘たちを想った。

 荘子にこんな事が書いてある、「昔者、荘周は夢で胡蝶となる。栩栩然(くくぜん、ひらひらと飛ぶ様)として胡蝶なり。自ら喩みて志に適する与。周たるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち遽遽然(きょきょぜん)として周なり。知らず、周の夢に胡蝶為るか、胡蝶の夢に周為るか。周と胡蝶とは、則ち必ず分有り。此れを之物化と謂う」
 この話は、日本では「胡蝶の夢」として、儚い人生の例えとして使われてきたが、それは間違いだ。夢と現実、胡蝶と荘周との間に差別や優劣が有るわけではなく、物は皆斉しいという喩えである。
 今考えてみれば、この時の私は、すでに胡蝶の夢の中に彷徨い込んでいたのかも知れない。

 カランコロンと下駄の音を立てて、私は夜の熱海を歩いた。私は普段は裸足で下駄をはいていた。
心地よい気持ちで満ち足り、下駄の音が心に響いた。だが、・・・春とは名ばかりで、二月の海風は氷のように冷たく、身にしみて寒かった。こんな時は温泉で温まるに限る。熱海グランドホテルには、こんな夜更けでも入浴できる温泉浴場が一つだけあった。有りがたいことに脱衣場に人の気配は皆無だった。一人で湯を独占出来る。
 凍える身を温泉に沈めようとした時、案に相違して人の気配がした。湯気の向こうに白い裸身が二つ。あの姉妹だ。入り口だけが別になった混浴だったのだ。
 私はそっと岩陰に身を潜めて様子を窺った。二人は奇妙な儀式を行ってでもいるかに見えた。
 嗚咽に震えるミズエの裸身を、コズエが丹念に拭いながら、なにやら呪文のようなものを称えている。ミズエのしゃくり上げる哀しい嗚咽がここまで聞こえてくる。驚いた事に姉妹の首から下の裸身は瓜二つだった。というより、全く区別など仕様が無かった。
 バシャッ!
 岩の小枝に掛けて置いたタオルが湯に落ちて音を立てた。
「イヤッ!」
 声にならない叫びをあげた一人が湯の中に上半身を沈め、その美しい裸身を隠した。
 私を見付けたもう一人が泳ぐようにして近付いて来た。
「センセイって、スケベネ」
 声からようやく、私はその一人がコズエである事に気付いた。
「混浴だなんて、何処にも書いてなかった。それに、見られるのが嫌なら、混浴になんか入ら無ければ良いじゃないか」
「この時間はここしか開いてないもの、仕方がないわ。そっと、音も立てずに入ってくれば、疑われてもしょうが無くてヨ」
 と、器用にも目だけで笑った。
「いいわ、今度だけ許してあげる。いい事、センセイ」
「センセイって呼ぶの、止めて呉れないか」
「どうして?」
 こう見えても、二十歳を幾つか過ぎたばかりの若者なのだ。センセイ等と小馬鹿にする権利など誰にも有りはしない!
 私に身を預けるようにして、
「どうして?」
 重ねてコズエが聞いた。
 私の肘に当たるコズエの乳房が心地よかった。白い湯気を透かして、彼女の若萌が揺れている。
 不覚にも欲望が反応した。慌ててタオルで隠した。
「嫌だからさ」
「じゃあ、なんて呼べば良いの?」
 さらに私に身体を預けるコズエ、まるで恋人同士が抱き合うような形になってしまった。
 コズエの左の項に小さく可愛らしい三つのホクロが見えた。ミズエの項にもこんなホクロが有るのだろうか?と、強烈な興味が湧いた。
「そうだな、シロでも、シロウでもいい、一二の三四ロウなんて呼ぶ奴もいる」
 この呼び名は気まぐれ娘のお気に召さなかったようだ。
「いっその事、キタロウの方が良いかもネ」
 今度は、えらく気に入ったようだ。
「ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ・・・」
 と、嬉しそうに歌った。
「変なの、おかしい!」
 弾けるように笑ったコズエが、私に覆い被さって耳元で囁いた。
「ミズエったらね、・・・フフフ、ミズエったら鬼太郎さんが好きなのよ」
「大人をからかっちゃいけない」
 怒った振りをして言い放った。が、本当はとてつもなく嬉しかったのだ。
「嘘じゃないわ、デタラメなんかじゃ無いわ、それに鬼太郎さんは大人って威張るほどの年ではないわ」
 何かが変だ、私は心の中で想っただけなのに、この娘には筒抜けだ。コズエには他人の心が読めるのだろうか?
「私には、ミズエの思っている事が何でも分かるの。・・・私たちほんとは一つだったのヨ」
 際どい事を言う娘だ。
 二つの肉体に、他人の顔、心は一つだとでも言うのだろうか?
「そうよ、心も命も一つ、いつか肉体だって一つになるの。ホンとよ、ミズエは鬼太郎さんが好きなの」
「で、君は? コズエさんはどうなの?」
「そんなこと、オシエテあ・げ・な・い」
 笑っていたコズエの目が、いきなり冷たいほどに真剣になった。胸を抱えて湯音も立てずにスッと立ち上がった。
 敢えて乳房を隠したのは、コズエ自身を私に見せ付ける為だったのだろうか? 卑猥でも無ければ、猥褻感など微塵もない。神々しいまでに、総てが輝いていた。薄汚く穢れていたのは、ミズエに惹かれながらも、コズエの裸に、邪な欲望を覚える私の方なのだ。
  2016年11月28日   Gorou

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅱ

2016-11-28 18:07:47 | 物語
二 市村胡蝶一座

「ハイ序曲」
 私の前任者大塚のキューでサクラ変奏曲が琴の合奏で流れ、胡蝶一座の通し稽古が始まった。
「この後、音も灯りもなしで行くからね。ハイ緞帳! 上がったつもり」
 頃合いを見計らって、床に這いつくばるように下げていた頭を挙げ、辺りを見回して前口上を言う。こんな旅廻りの一座でも前口上をやるのかと驚いた。 
 それにしても長い前口上だ、三分程もうだうだと喋っていただろうか。
 やっと本題に入って来た。
「どちら様も、隅から隅までズズズイーッと!!」
 胡蝶を受けて、全員が深く頭を下げながら、
「ご高覧のほど御願い奉りまするーッ!!」
 その時、
「御用だ、御用だ」
 と十数人の捕手が客席の後方から舞台に乱入して来て、胡蝶と姉妹、小太りの中年、痩せて貧弱な老人、この五人といきなり大立ち回りを始めたのにはホントに驚いた。なぜかと言うと、ここの客席は大広間になっていて、客が食事をしながらショーを愉むようになっている。夕食の最中にドタバタと大立ち回りなど、とても信じる事が出来ない。非常識も甚だしい。
 主役が五人、白波五人男かなと、見る気もしなかった進行表をチラッと見たら、『弁天娘女男白波』とあった。
「御用だ!御用だ!」
「誰に御用だと言うんだ」
 と凄む胡蝶。
 胡蝶を取り囲む捕手が一斉に、
「どこの馬の骨か知るものか!」
「問われて名乗るもおこがましいが、生まれは遠州浜松在、十四の時に親に別れ、身の生業も白波の沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から熱海をかけて宿々で、……」
 市村胡蝶、その時四十代の中頃だったろう、芸も貫禄も、旅芸人には惜しい程優れていた。
「もはや四十に人間の定めはわずか五十年、六十余州にかくれのねえ賊徒の張本日本駄右衛門」
「さてその次は江ノ島の岩本院の稚児上がり、・・・」
 横の大塚が耳元で囁いた。
「女形で胡蝶の旦那の吉之輔さ」
 胡蝶に引き換え、夫で女形の吉之輔の方は、飛び抜けて不味い大根役者で姿形も野卑だ。今時の二丁目にだって、あんながさつなオカマなんていやしない。
「悪い浮名も竜の口、土の牢へも二度三度、だんだん燃ゆる鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助」
「続いて後に控えしは月の武蔵の江戸育ち、・・・」
 痩せた老人が台詞を繋いだ時にはあまりの酷さに呆れた。思わず大塚の顔を覗いたほどだ。
 首を竦める大塚。
「役者が一人逃げたのさ、爺さんの本職は大道具。ハコで買ってきて、口を出さない、いじらない、というのが建前でね」
 絶望が私の全てを支配した。どうしてこんな所に来てしまったのだろう、後悔しても始まらない。
「だけどこの一座、少なくなってしまった旅芸人のなかではナンバーワン」
「重なる悪事に高飛びなし、あとを隠せし判官のお名前騙りの忠信利平」
 大道具の爺さんを継いだのはミズエだ。
「またその次に列なるは、以前は武家の中小姓、・・・」
 ミズエの赤星十三郎。こいつはいける。十八の小娘の演技ではない、男の色気が匂うように漂ってくる。
「今牛若と名も高く、忍ぶ姿も人の目に月影ケ谷神輿ケ嶽、今日ぞ命の明け方に消ゆる間近き星月夜、その名も赤星十三郎」
「さてどんじりに控たは、潮風荒き小動の磯馴の松の曲がりなり、・・・」
 コズエの南郷力丸、これは絶品だ。そのコズエが驚く私を見透かすように、流し目を送って来た。
「どうだい、凄いだろう二人」
 大塚が言うように、確かに凄い、母親譲りの天性だ。否、遥かに超えている。
「悪事千里というからはどうで終えは木の空と覚悟はかねて鴨立沢、しかし哀れは身に知らぬ念仏嫌えの南郷力丸」
「五つ連れ立つ雁金の、五人男にかたどりて、」
 胡蝶の駄右衛門から吉之輔ならぬ菊之助に、
「案に相違の顔ぶれは、誰白波の五人連れ、」
 吉之輔から爺さんに、
「その名もとどろく雷鳴の音に響きしわれわれは、」
 爺さんからミズエ赤星、と台詞を渡して行き、
「千人あまりのその中で、極印打った頭分、」
「太えか布袋か盗人の、腹は大きな肝玉、」
 コズエ力丸から駄右衛門にまた返し、
「ならば手柄に、」
 五人で一斉に、
「からめてみろ」
「それ」
 と打ちかかる捕手を夫々が傘であしらって見得を切った。
 見得を切ったままの三人を残して、コズエとミズエが傘を捕手に預け、マイクを手にして前に出てきた。
 小指で軽くマイクの頭をたたいて確かめるコズエ。
「これ、電源入ってないわ」
 と大塚を見る。
「テープの編集が済んでいないのさ。今日は音無し、歌は全部とばして」

 歌をとばして芝居が続く。『瞼の母』の再開の場。その後が『金色夜叉』。どちらもヒロインは吉之輔だ。瞼の母はともかくとして、こんな小太りのオヤジのお宮を見せたら、客席から何が飛んできても文句は言えない。が、大塚の言うように、旅芸人一座のピカ一なのもよく分かった。
 冷静に考えると、爺さんを除けば皆上手い。吉之輔にしたって、私が貶す程には下手じゃない、ただ毛嫌いしてしまっただけなのだ。何らかの胡散臭い腐臭を嗅ぎ取っていたのかも知れない。
 いつの間にか、姉妹の胡蝶の舞が始まっていた。
「二人をもっと前に出しませんか?」
「いいね! 芝居もいけるし、踊りが上手い! 或いは、胡蝶以上と言えるかも、特にコズエが凄い! いじらないのが建前だが、君がやる気なら置き土産に協力しよう」
 確かに上手い。私にはミズエの方が良いように見えたのだが。良く観察すると、ミズエは稽古でも精魂傾けて舞っているのだが、コズエは軽く流している。だが、節目、節目で得も言われぬ華と香りを醸し出すのだ。本番に強いタイプなのだろう。
「だけど、歌はこんなものじゃない。聴き手の心を掴んで離さない。誰のマネでもなく、全く新しい感じがする。うちは二人の歌が目当てでこの一座を時々よぶ。もちろんクラブでも歌わせる事になっている」
 聴きたい、二人の歌を聴いて見たい! 無性に想った。だがざっとフィナーレをやって通しが終わった。

 稽古の後、私と大塚、胡蝶、吉之輔で打ち合わせをした。
「大久保君、何か意見は有るかい?」
 目配せをしながら大塚が聞いてくれた。
「大筋はこれでいいと思いますが、何か中途半端で、胡蝶一座の個性というか、見せ場というか、所謂ケレンとか華が見えてこない」
「大久保センセイ!」
 ネチッとした声で、女形の吉之輔が反撃してきた。
「この市村胡蝶一座は胡蝶の芸で、芝居で、立ち回りで、唄と踊りで持っているのよ。見せ場だってタップリと盛り込んで有るわ。だいたいあんた本物なんか見たこと有るの?」
「これは失礼!」
 痛いところをつかれた。白波五人男にしたって、クレージーキャッツのコントを見た記憶が有るだけだ。
「僕の言い方が悪かったみたいですね。プロローグなんかとても面白いと思います。だけど、素人が混じっているのにあんな長台詞は無理じゃないかな」
「まだ六日も有るわ、徹底的に鍛えるわよ」
「五人一緒のレベルまで引き上げるのは不可能でしょう。それよりもっとシンプルにしたほうが面白くなります」
「シンプルってなによ」
 剥れる吉之輔を無視して胡蝶を窺いながら言葉を続けた。
 胡蝶はそれほど気を悪くしている風には見えなかった。
「無駄を省きます。例えば、オープニングでは最後の渡り台詞だけにします。その代わり浜松屋の場を追加したらどうでしょう」
「浜松屋? いいかもしれないわね」
 現金なオカマだ。自分の見せ場が増えると勝手に思い込んでニタついているが、私の中の弁天小僧はコズエだ。
 座長の胡蝶がようやく口を開いた。
「寛一も忠太郎も、そろそろコズエにやらせようと思っています」
「いいね」と大塚。
「いけると思いますよ」
 願っても無い座長の申し入れに、私も大塚も諸手を挙げて賛成した。
 瞼の母はともかく、寛一をコズエがやるなら、お宮はミズエで無くてはならない。
 十八番から降ろされる吉之輔だけが激しく反対した。誰も彼に荷担しなかった為、そのうちふてくされて黙った。黙ったまま私を恨めしそうに睨んだ。おかまの恨み辛みがどれ程恐ろしいのか、この時の私には想像も付かなかった。
 後は私の独壇場だった。演目自体は殆どいじらず構成だけを大きく変えた。全体を三部に分け、第一部は踊りが主体で、その取が姉妹の胡蝶の舞だ。この一部の間に客の夕食があらかた終わる筈だ。
 第二部が芝居中心、ここでは、市村胡蝶と一座の神髄をたっぷり見せて貰う。吉之輔の役はあらかた取り上げて、姉妹に振り分けるつもりだ。
「フィナーレはこのままの祭り仕立てでいいと思いますが、何かもう少し派手なクライマックスをやりたいですネ?」
「無法松の祇園太鼓なんかどうですか? コズエもミズエも、これだったら出来ますし」
 と、市村胡蝶が言った。
 私の脳膜に、姉妹の祭り半纏の艶姿、勇壮な祇園太鼓を連打する胡蝶母娘の姿が浮かんだ。その勇壮な音が私の中でこだまと化し、轟くような響きが私の魂を揺さぶり、いやが上でも精神を鼓舞した。
「それでいきましょう。構成は明日までにあげておきます。初日まで後六日、がんばりましょう!」
 言い終える前に私は大広間を後にしていた。

 熱海グランドホテルには私の職場がもう一つあった。十階のクラブである。
 クラブには男女一人ずつの専属歌手がいた。
 演歌の渥見孝司とシャンソン歌手の岬小夜子だ。二人とも二十代の中頃、丁度私と同じ年頃に見えた。
 まあ、打ち合わせをする程の事は無かったのだが、顔合わせを済ませた後、二人のレパートリーを聞いて、すぐ帰るつもりだった。が、コズエとミズエが歌う予定になっていたのでクラブに残った。

 コズエが『銀座カンカン娘』と『悲しい口笛』。ミズエが『支那の夜』と『夜又来』の二曲を歌った。
 
 ♪あの娘可愛や カンカン娘
  赤いブラウス サンダルはいて
  誰を待つやら 銀座の街角
  時計眺めて そわそわにやにや
  これが銀座のカンカン娘
       作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一

 コズエは昼間出逢った時の服装にベレー帽を被っていた。
 その歌い振りは独特の節回しで、あの娘ではなく、アァノコォカァと歌った後、絶妙の間で、イィヤカンカン娘と受けるのだ。随分旧い歌なのに新鮮な感じがした。何よりも良いのが、歌も振りも表情も、感性といい、表現力といい、生き生きと豊かな事だ。
 ミズエの方はもう少し保守的だ。とは言っても、あの頃、あんな歌い方は聞いた事が無い。数年後日本デビューしたテレサテンを彷彿させた。チャイナドレスのミズエが『支那の夜』や『夜又来』を歌うと、昭和初期の上海にでもタイムスリップしたような不思議な感じがした。
 この美しい姉妹が、野卑な吉之輔の種だなどとはとても信じることは出来ない。
     2016年11月28日  Gorou