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モスクワ支局記者
禰津 博人 2002年入局 横浜局 国際部 政治部 テヘラン支局
ワシントン支局 ウィーン支局などを経て現所属
ロシア・ウクライナ戦争を取材
ワシントン支局 ウィーン支局などを経て現所属
ロシア・ウクライナ戦争を取材
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ロシアで絶大な権力を振るい、「皇帝」「独裁者」とも称されてきたプーチン大統領。
今月15日から投票が始まる大統領選挙では勝利が既定路線とされているが、そのプーチン氏が、波乱要因として恐れたのではないかと目されてきた男たちがいる。
刑務所内で突然、死亡したナワリヌイ氏。
そして、もう1人は、ウクライナ侵攻を厳しく批判し注目されたものの大統領選挙への立候補が認められなかったボリス・ナデジディン氏だ。
“プーチン氏のロシア”はどこへ向かうのか。大統領選挙に向けた動きから読み解く。
(モスクワ支局記者 禰津博人)
〇ロシア大統領選挙 注目を集めたのは?
1999年から4年間、ロシア議会で下院議員をつとめたボリス・ナデジディン氏。
2015年に銃で撃たれて殺害された野党指導者ネムツォフ元第1副首相の側近としても知られるが、多くのロシア国民にとっては無名の存在で、これまで大きく注目されることはなかった。
しかし去年12月、中道右派の政党「市民イニシアティブ」から擁立されるかたちで大統領選挙への立候補を表明したあと、状況は一変する。
プーチン大統領への批判、そして、ウクライナ侵攻に反対した“反戦候補”として、国内外から一気に注目を集めたのだ。
候補者登録締め切りの期限となる1月31日、ナデジディン氏は、ロシア国内外から20万以上の署名を集めたと発表し、このうち立候補に必要な10万以上の署名を首都モスクワの中央選挙管理委員会に提出した。
〇なぜプーチン大統領に挑むのか?
立候補の動きが熱を帯びた1月下旬、モスクワ郊外の自宅でインタビューに応じたナデジディン氏は、ウクライナへの軍事侵攻に踏み切ったプーチン大統領に対する厳しい非難を展開した。
ナデジディン氏
「私は長年にわたり、大学で物理学を教えてきた。
「私は長年にわたり、大学で物理学を教えてきた。
卒業生たちは学術分野で国に利益をもたらすはずの人材だったが何人かは自動小銃を渡され、寒い塹壕ざんごうに送られたのだ。
プーチン氏は多くの過ちを犯したが、ロシアの現在の苦境は特別軍事作戦を決定するという『致命的な過ち』によるものだ。
国全体が特別軍事作戦を支持していると思っているが、全くそんなことはない。
プーチン氏は多くの過ちを犯したが、ロシアの現在の苦境は特別軍事作戦を決定するという『致命的な過ち』によるものだ。
国全体が特別軍事作戦を支持していると思っているが、全くそんなことはない。
誰もが軍に招集されたくないし、命を危険にさらしたくない。
生活を壊されたくないのだ」
〇「プーチン大統領は別人になった」
実はナデジディン氏は、プーチン氏を大統領に就任する前から知っているという。
その接点は、現在、プーチン大統領の側近として辣腕を振るうキリエンコ大統領府第1副長官だ。
1990年代のエリツィン政権で首相を務めていたキリエンコ氏。
ナデジディン氏はキリエンコ氏と関係を築く中で、40代の頃のプーチン大統領とも会っていたという。
ナデジディン氏
「プーチン氏とは、彼がまだ大統領ではなかった1990年代に知り合った。
「プーチン氏とは、彼がまだ大統領ではなかった1990年代に知り合った。
首相だったキリエンコ氏の会議などを通じて、何度も会った。
プーチン大統領は普通の人だったが、非常に賢い人物で、特に記憶力が抜群だった」
2020年に改正された憲法によって、プーチン大統領は現在の任期が切れたあとも最長で2期12年、83歳となる2036年まで大統領でいることが制度上、可能となった。
当時われわれの取材に応じたナデジディン氏は、長期政権の弊害に強い懸念を示していた。
そして、今回のインタビューでもナデジディン氏は、プーチン大統領が権力のトップに居座り続けたことが、ウクライナ侵攻という誤った判断をもたらしたと批判した。
ナデジディン氏
「今のプーチン大統領は別人のようだ。
「今のプーチン大統領は別人のようだ。
もちろん私は、ちまたで噂される“影武者論”を信じているわけではない。
同じ人物が長期間、政権の座に就くべきではないということだ。
人は変化するのだ。
国内での出来事や世界で起きていることが理解できなくなる。
彼はウクライナの人々は抵抗せず、ロシア軍は解放者として迎えられると思っていた」
〇広がった“反戦候補”ナデジディン氏への支持
一方で、プーチン大統領は一方で、反政権の動きを封じ込めてきた。
特に、ウクライナへの軍事侵攻を開始して以降、反戦デモや人権団体などを徹底的に排除。
ことし2月には、ロシア軍に対する「うそ」の情報を広めたものに対し、資産を没収する法律を成立させるなど、情報統制を一段と強めている。
しかし、こうした厳しい状況下でも、ロシア各地ではナデジディン氏の立候補のために署名する人々の長い列がみられた。
氷点下のモスクワでも、若者を中心にプーチン大統領以外の“反戦候補”として、ナデジディン氏に期待する声が相次いで聞かれた。
26歳の女性医師
「ナデジディン氏の立候補のためにここにきました。
「ナデジディン氏の立候補のためにここにきました。
彼は数少ない反戦を訴える候補なので候補者リストに載ってほしいです。
大統領選挙で勝利するのは難しいかもしれませんが、ロシアを救うためにはプーチン氏の対立候補が必要だと思います」
18歳の男子学生
「反戦の価値観を持っているナデジディン氏に投票したいです。
「反戦の価値観を持っているナデジディン氏に投票したいです。
ウクライナからの軍の撤退やロシアに科された制裁の解除、物価の上昇が止まることを願っています」
さらに、ナデジディン氏に注目した人たちがいる。
ウクライナの戦地に派遣されたロシア軍の兵士の妻たちだ。
おととし9月、プーチン政権はおよそ30万人の予備役の動員に踏み切ったが、多くのロシア兵の犠牲が伝えられる中、兵士の家族たちは懸念や不満の声を強めてきた。
「夫らを早く戦地から帰してほしい」と訴える女性たちはインターネットを通じてつながり活動を始め、地元の州知事などに働きかけてきたが、政治は動いてくれない。
こうした中、女性たちはウクライナ侵攻を批判しているナデジディン氏と面会したのだ。
ウクライナへの軍事侵攻を公に批判することが禁じられてきたロシア社会。
市民の支持の広がりは、ナデジディン氏本人にとっても想定外だったという。
ナデジディン氏
「ロシアの人々はおびえ、自分の立場を表明することを恐れてきた。
「ロシアの人々はおびえ、自分の立場を表明することを恐れてきた。
特別軍事作戦が始まったばかりの頃は多くの人々が抗議をしたが、彼らは逮捕され長い刑期を言い渡された。
“平和”という単語を書いただけで女性が刑を科された。
しかし、私の立候補に賛同し署名することは完全に合法的な行為だ。
しかし、私の立候補に賛同し署名することは完全に合法的な行為だ。
人々は、プーチン氏や特別軍事作戦に対し、平和的かつ合法的に自分の立場を表明できると気がついたのだ」
〇広がりすぎた支持?
しかし、2月8日。
中央選挙管理委員会は、ナデジディン氏の陣営が提出した書類に不備があり、必要とされる署名数に達しなかったとして、立候補は認められないとする判断を下した。
その後、最高裁判所でもナデジディン氏の異議は却下された。
なぜ、ナデジディン氏の立候補は認められなかったのか。
中央選管は、提出された署名の中に死亡した人の名前が含まれるなど、およそ9000の署名が無効だったと説明。
ナデジディン氏陣営の対応がずさんだったことが問題であり、不正もあったとしている。
一方、独立系メディアや専門家などからは、“反戦候補”として急速に存在感を高めたナデジディン氏の勢いが想定外だったとして、クレムリンが警戒を強めたという見方もでている。
無風の大統領選挙が、「ウクライナ侵攻の是非をめぐる国民投票」となってしまいかねない、安定を揺るがす波乱要因になりかねないとして、プーチン政権側が恐れたのではないかというのだ。
ロシア独立系の世論調査機関「レバダセンター」で長く所長をつとめ、政権側から調査機関が「外国の代理人」に指定されたあとも、ロシア社会の鋭い分析を続ける社会学者レフ・グドゥコフ氏は次のように指摘する。
グドゥコフ氏
「証明することはできないが、当初、ナデジディン氏はプーチン政権側と大統領選挙に参加する内諾があったのだろう。
「証明することはできないが、当初、ナデジディン氏はプーチン政権側と大統領選挙に参加する内諾があったのだろう。
ナデジディン氏はいわば、プーチン大統領の絶対的な勝利を演出するためのピエロのような役割だったとみられる。
しかし、個人的な資質とは関係なく、ナデジディン氏が軍事侵攻への反対を訴えたことで反戦のレジスタンスのような存在となり、反対勢力を統合していく要因となったのだ。
政権はそれを恐れ、リスクを避けるために彼を排除することを決めたのではないか」
〇反体制指導者ナワリヌイ氏の死
ナデジディン氏の立候補が認められず、大統領選挙まで残り1か月となった2月16日。世界を揺るがす衝撃的なニュースが飛び込んできた。
ロシア北部の北極圏にある刑務所に収監されていた、反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の死亡だ。
プーチン大統領の最大の政敵ともいわれ、かつて政権の関与が指摘される毒殺未遂事件にも巻き込まれたナワリヌイ氏。
過酷な環境の刑務所に収監されたあとも今回の大統領選挙に向けて、獄中から「プーチンがいないロシア」を訴え、プーチン氏以外の候補者に投票する運動を開始していた。
ナワリヌイ氏のグループからは、ナデジディン氏を支持する動きもみられていた。
刑務所内で死亡したナワリヌイ氏の死因について、家族や欧米側などはプーチン大統領の関与があったのではないかと、責任を追及する動きが強まっているが、プーチン政権側は強く否定、真相はわかっていない。
今月1日、モスクワ南部の教会で行われたナワリヌイ氏の葬儀。
警察や治安部隊が厳戒態勢をしき、当日は、携帯電話などの通信も規制されるなか、それでも、プーチン大統領への闘いを挑み続けたナワリヌイ氏をしのび、各地から多くの人々が長い列を作った。
独立系メディアは、2万3000人以上が追悼に訪れたとも伝えている。
〇「われわれは1つの家族」
プーチン大統領の政敵が次々と姿を消していくロシア。
2月29日、クレムリン近くで臨んだ2024年の年次教書演説で、プーチン大統領は、ウクライナへの侵攻はロシア国内で圧倒的な支持を得られていると誇示し、みずからのもとでの結束を呼びかけた。
プーチン大統領
「決定的な役割を果たしているのが我が国民であり、国民の団結であり、祖国への忠誠と祖国の運命への責任感だ。
「決定的な役割を果たしているのが我が国民であり、国民の団結であり、祖国への忠誠と祖国の運命への責任感だ。
ロシア国民が圧倒的多数によって支持した特別軍事作戦の開戦当初から、このことは明白に現れた。
ロシア国民の団結と信頼に感謝する。
われわれは1つの家族であり、計画通りすべてを実行する」
〇“プーチン氏のロシア”はどこに
プーチン大統領を含め4人の候補で争われる今回の大統領選挙。
プーチン氏以外に有力な候補がいないなか、市民からも“プーチンのロシア”が続くことを疑う声はほとんど聞かれない。
一方、変わらぬロシア社会の行く末に、深い失望を示す市民もいた。
モスクワ市民の女性
「すべてにうんざりしています。われわれは、大統領選挙で、戦争に反対するために、多くの人々が列を作りましたが、候補者たちは立候補が認められませんでした。
「すべてにうんざりしています。われわれは、大統領選挙で、戦争に反対するために、多くの人々が列を作りましたが、候補者たちは立候補が認められませんでした。
刑務所にいた人も死んでしまい、力を失ってしまったため、もはやプーチン政権側が恐れるものは何もなくなりました。私は愛国心を持って育ってきましたが、今ではこの国を恥じています」
刑務所で死亡したナワリヌイ氏の妻ユリアさんは、夫の遺志を引き継ぐと訴え、大統領選挙の投票の最終日となる17日正午、各地の投票所でプーチン氏への反対票を投じるよう呼びかけている。
“プーチン氏のロシア”はどこに向かっていくのか。
社会学者のグドゥコフ氏は「ウクライナで敗北しない限り、ロシアが変わることはない」と悲観的な見方を示す。
グドゥコフ氏
「今回の大統領選挙に真の候補者はいない。
「今回の大統領選挙に真の候補者はいない。
ナデジディン氏のように“つくられた対立候補”ですら、リストから排除されたのだから。
今後プーチン氏は政権を維持するために、さらに力を使い攻撃性を増すだろう。
あらゆる場面で抑圧を強め、ロシアは本格的な全体主義国家になってしまうだろう」
2000年の大統領就任以来、20年以上にわたり、強大な実権と存在感を示してきたプーチン大統領。
「皇帝」「独裁者」とも称され、今回の大統領選挙でも「投票率7割、得票率8割」という圧勝を目指しているとされる。
政府系の世論調査機関「全ロシア世論調査センター」は最新の世論調査に基づく予測として、プーチン大統領に投票する国民は82%になると発表。
さらなる長期政権に臨むプーチン大統領、そして、3年目を迎えたウクライナへの軍事侵攻だが、終わりの兆しはまだ見えない。