そして、初日のリトリートでは、一人ずつ参加する目的を言うことになった。
その時に出た闇は、「発言したくない」だった。
そして、その発言したくないという思考を見つめると、
発言したら、私という個のアイデンティティーが消される
という驚異的な恐れだった。
今までも、真我なるハートの合宿でやってきたことなのに、
全く今までとは違う空間にいる。
隠れたい
逃げたい
全てが恐ろしい
という闇が吹き出してきていた。
だから、発言も、
私は献身チームの一人ということになっているのだから……
という自我の責任感を掴み発言している私を見ることとなった。
そして、食事の準備をするときも…
私は引き下がり、イエスに「あなたが私に今望むことは何ですか?」の尋ねず、
また、献身チームなのだから、
今まで皆さんにお任せばかりで何もしてきてないのだから、
という罪悪感を源に食事の準備をするという私だったということを、2日目の皆さんのシェアで気付くことになった。
そして、自我が一番驚異的だったのは、
カースティンさんの言われた、愛想笑いをしない、人を喜ばせない
そして、それと連動して、のりこさんが今まで妥協していることに気付いた。
だから、人を喜ばせないということを実践し、妥協しないコミュティを作っていきたいと思いますとシェアして下さった後に、
強烈に「ヤバい」「私は牢屋に入れられた」「逃げたい」「殺される」などの思考が起こり始めるのを見つめることとなった。
そして、ホテルに帰ってからは、7人の方と一緒に泊まった。
知っている人は、陽子さんだけで、他の方は初めて会った方でした。
そして、皆さんと一人ずつシェアをし、聞く人は「私は神の子です」と内側に向かいながら聞く
それ以外の思考が起こってきたら、それを見つめ光に捧げるというシェア会をした。
それも、イエスがセッティングして下さったのだと感謝でしかありませんでした。
ただ、
そこでも、相手を聖霊と見ず、自我で応答し、相手に神聖さではなく、
罪ある他者が居るという分離維持をし続けていたいという闇を見ることとなった。
とにかく、今までにない速度で、闇がゴォーゴォー起こってきて、光のもとに消えていくということがなされているということを感じた。
イエス、聖霊、神さま
有難うございますm(_ _)m
有難うございますm(_ _)m
つづく。