A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

三田綱坂ー平成18年

2006年06月09日 | 江戸から東京へ
現在の三田綱坂。どこかの抜け道になっているのか、引っ切りなしにタクシーが坂を上って行く。
右手は慶応大学裏口、坂上はイタリア大使館、左手は三井倶楽部(建物はジョサイア・コンドルの設計)。
綱坂そのものは文久3年当時と同じ傾斜の感じで、左手の樹木の感じにも面影が残っている。
143年前のベアトと同じ撮影ポイントを探して、画角を変え、立ち位置を変えて撮影してみた。
ベアトの写真は標準から中望遠くらいの画角で撮影されたようだ。

三田綱坂ー文久3年

2006年06月09日 | 江戸から東京へ
文久3年の綱坂(再掲)。F. ベアト。

 藩邸を撮影した写真は他にも数葉あるが、この写真はとりわけ興味深い。時は攘夷の嵐が吹き荒れている時期である。侍たちは、ベアトの方を監視していて、何か不審な行動でもあれば、まさに刀に手をかけんとしている様子が見て取れるのである。
 実は、この写真を撮った時のドキュメントが記録に残されている。その場に居合わせた、アンベールの本の中に、記述があるので、以下に引用してみる。右手より、島原藩、松山藩、会津藩の各藩邸であることが分かっている。

「ベアトがこれを撮影しようとすると、突然、二名の将校が飛び出して来て、すぐ撮影を中止するよう要求した。メトマン氏が、彼らに、彼らの主人がほんとうにそのようなことを欲しているのかどうか、聞いてみてくれと頼んだ。将校たちはこの要求を入れて、数分後に戻って来て、『自分の屋敷の撮影は、一切許せない』と伝えた。ベアトが丁寧におじぎをして写真機をしまうと、将校たちは、彼の留守に、すでに二枚撮っていることに気づかず、満足そうに立ち去って行った。
 この場の警備の役人たちは、メトマン氏の狡猾な成功に親しい賞賛の言葉を送ったが、しかし、タイクンの城や墓地を撮影することには断固反対した。この反対には、われわれも手の下しようがなかった。」

「絵で見る幕末日本」エメエ・アンベール著、茂森唯士訳、講談社学術文庫