2時過ぎには八尾に行って、「風の盆」の始まりの時には、西町にいた。西町、東町、今町を見て回って、井田川沿いの道まで降りて行ったり、石垣を登ったりして夕方になった。
ガイさんに電話して、明日香に立ち寄った。常連の方も集まっていた。おわらのことや世間話をしながら、コーヒーとカレーライスで一服。
夕方のTVのニュースで、今朝未明の上新町の町流しの様子の映像が紹介された。かなたさんが、この人はダレで、あの人はダレと言っていたら、急にかなたさん自身が唄っているシーンが流れた。かなたさんがちょっとテレた顔になったので、それを見て、みんなから笑いがこぼれ、つっこみが入った。最後にちらっと小生が撮影しているところが背後から写っていた。
某町の女性の唄い手さんは、他の土地に嫁いだのだが、おわらへの思い断ち切りがたく、離婚して戻って来て、唄っているとのこと。罪作りなおわら。大勢の人のこころを引き付けもてあそぶ。
人生、死別や生別、いろんなことがある。そういう別れを経験した人ほどおわらに引き付けられるのかもしれない。自分も今年、父を送った。生きていてくれれば、「風の盆」のことや、尾道、呉の話などもっといろいろ話すことがあったのにと思う。日常生活のちょっとした瞬間に、今までふつうにあった、まなざしや、笑い声や、咳払いが一切なくなっているのに気付かされる。父が亡くなったことを実感するのはそういう時だ。今でも、まだそれに慣れることができない。
その後、演舞会場に行き、5支部のおわら演舞を観た。天満町の演舞できりまゆさんとお兄さんの唄をじっくり聴く。自分などが言うのもナンだが、天満町は唄い手の唄が全員とも圧倒的によかった。ベスト1だと思った。おわらは息継ぎなしにひといきで唄いきる民謡で、発声、節回しが難しい。地方の中でも、才能と鍛錬を最も要求されるし、育ちにくい部門じゃないだろうか。
楽器は合奏だが唄い手はソロなので、ウマイ、ヘタは聴き手にすぐに伝わってしまう。お囃子のメロディや音階は、まずわれわれの西洋音階の常識の範囲内にあるが、本歌の方はそれを超えている。唄い手は、限度を超えた高音域の上下をていねいに重ねて行き、喉音や裏声、コブシを駆使する。聴き手は、そのあざやかな変調にスリルを感じながら、こころの中でその魅力に反応している。
4日連続で、午前様では、体力がもたないので、今日は早めに撤退した。
ガイさんに電話して、明日香に立ち寄った。常連の方も集まっていた。おわらのことや世間話をしながら、コーヒーとカレーライスで一服。
夕方のTVのニュースで、今朝未明の上新町の町流しの様子の映像が紹介された。かなたさんが、この人はダレで、あの人はダレと言っていたら、急にかなたさん自身が唄っているシーンが流れた。かなたさんがちょっとテレた顔になったので、それを見て、みんなから笑いがこぼれ、つっこみが入った。最後にちらっと小生が撮影しているところが背後から写っていた。
某町の女性の唄い手さんは、他の土地に嫁いだのだが、おわらへの思い断ち切りがたく、離婚して戻って来て、唄っているとのこと。罪作りなおわら。大勢の人のこころを引き付けもてあそぶ。
人生、死別や生別、いろんなことがある。そういう別れを経験した人ほどおわらに引き付けられるのかもしれない。自分も今年、父を送った。生きていてくれれば、「風の盆」のことや、尾道、呉の話などもっといろいろ話すことがあったのにと思う。日常生活のちょっとした瞬間に、今までふつうにあった、まなざしや、笑い声や、咳払いが一切なくなっているのに気付かされる。父が亡くなったことを実感するのはそういう時だ。今でも、まだそれに慣れることができない。
その後、演舞会場に行き、5支部のおわら演舞を観た。天満町の演舞できりまゆさんとお兄さんの唄をじっくり聴く。自分などが言うのもナンだが、天満町は唄い手の唄が全員とも圧倒的によかった。ベスト1だと思った。おわらは息継ぎなしにひといきで唄いきる民謡で、発声、節回しが難しい。地方の中でも、才能と鍛錬を最も要求されるし、育ちにくい部門じゃないだろうか。
楽器は合奏だが唄い手はソロなので、ウマイ、ヘタは聴き手にすぐに伝わってしまう。お囃子のメロディや音階は、まずわれわれの西洋音階の常識の範囲内にあるが、本歌の方はそれを超えている。唄い手は、限度を超えた高音域の上下をていねいに重ねて行き、喉音や裏声、コブシを駆使する。聴き手は、そのあざやかな変調にスリルを感じながら、こころの中でその魅力に反応している。
4日連続で、午前様では、体力がもたないので、今日は早めに撤退した。