バサっと新聞を投げて私のベッドに置いた「父ちゃんなに?」と聞いたが返事無し(笑)首かしげながら開いたら赤い丸がしてあった。
ああ、ここを読めって事ね
話さなくても解るようになってる、赤丸の中の文字は傾聴ボランティア・・・。「ならば父ちゃん会話しようよ」とポツリと独り言を言う私であったいつもコーチング、傾聴って力入れて勉強してるの知ってるから教えてくれたんだよね。興味がある事を知ってくれていて覚えてくれて記事を部屋まで届けてくれた。私は幸せ者です。嬉しいわ
この記事の中にもう一つコーナーがあって「話すことは生きること」というのがとっても気になった。タイトルだけでその通りって読む前からワクワクしたの~。私が惹かれた所を書きます。
苦境困難抱えてるとき誰かに話しても問題が解決するわけではないそれでも胸中を吐き出せば心の荷物が軽くなる
家族が「孤族」へと姿を変えている今、話し相手不在に悩む人たちは今後も増えていくだろう。
話すことは、息をすることに似てると思う普段意識はしてなくても、人はこれなしには生きていけない。
悩みはある事よりも言えない、話せないときが一番つらい出せたら半分は解決できたようなものって良く言われるけど悩み100%が頭、心を独占してたら先の事など考えられない、まず出すことで軽くなった状態を作る。それから困難に立ち向かっていく下準備が初めてできるんじゃないかな? 荷物という比喩になってるけど重たい想いを出すことが、とにかく重要
出したくても重たい話を聞いてもらう人がいないのって、これから益々問題になって行くと思う。おひとりさまで体が動かない、自分が元気でも介護で家から出られない人も含め言いたくても言えないって状況は増えるだろうなぁ、思いが出せない苦しさとっても辛い・・・。呼吸の例えがあるけど言えないのって吸いっ放しで吐けないって感じにも取れるね「吸って」「吸って」「もっと吸って~」じゃ苦しい圧を感じたままだもん。
呼吸と同じくらい話すって日常的、意識することってほとんどない根源的に大事なこと。話すって自己表現を通して何を実現していくか突き詰めるとこんな考えが出てくるよ。
話すとセットの聴くが最近ようやく重要視されて嬉しい。本音って誰のものでもとっても恥ずかしがり屋さんでね話し手がある程度の説明+会話をしないと直ぐに出てこないのよ、ここまで辛抱強く聴くには練習が必要。加えて本音はデリケートだからさ、つらつら話してるときの聞き手の様子をちゃんと観察してて今なら出て来れそうって環境を感じないと絶対に出てこない!
だから相手の話に耳を傾けながら五感をフルに使い思いを聴くことが大切なんです
解っていても今一つ広まらないのって、こんな風に聴いてもらった経験がある人が少ないからだと私は思ってる。沢山の人に傾聴を体験してもらいたいな。より普及活動頑張ろうって思いました出来ることから1つづつ今日のブログは特に一人でも多くの方にご覧にだたきたい。新聞でも本でもセミナーでも、傾聴、コーチングに関わる情報などありましたら教えてください。もっともっと勉強して行きたいのでどうぞ宜しくお願い致します
殴られ屋みたいな感じなんですかね?他人の愚痴を聞く…う~ん、神か仏様の仕事ですね。
お見それしやす。
私なりに違いを書いてみると、傾聴のみだと話を聞いてもらえるから自分の事を解ってもらえたって所まで、コーチングは傾聴を土台にして相手の話を聴きながら「本当はどうしたいんだろう?」と好奇心を持って関わる。質問して相手の可能性を引き出すのがコーチング。
話初めは愚痴であっても質問して行くことで終わるころには楽しくなってる事も多いんだよ!
殴られ屋さんほどリスクない(笑)愚痴を永遠聞かせられてるという受け取り方だと同じかそれ以上のダメージあるかもね。
コーチング楽しいよ一回試してみない?
あるなら、叱り屋というものをやってみたいですね。
相談者「あのう、実は仕事でミスしちゃって、上司にひどく怒られまして。」
叱り屋「甘えんな!怒って貰えるだけありがたいだろ!」
とか(笑)
奥が深いのよ~全くの別物ってより親戚って言う感じかな?傾聴なしにコーチングは出来ないからね
新しい仕事作ってまで叱りたい?よほど怒りが溜まってるのかしら(笑)9日はお手柔らかに宜しくお願いしますね