百歳に向かってもう一度世界一周

百歳に向かってもう一度「歩いて世界一周」に挑戦したい。日中友好董存瑞育英基金を充実したい。富士登拝・・・

大相撲千秋楽

2006-03-26 18:27:48 | Weblog

3月26日 (日)  ①
         平成17年1月1日より450日目
               歩いた歩数    其の距離  
         本日     14,153歩      9,907m
         総計   6,288,217 歩   4,401,752 m
         広州から桂林に向かう 広東省境梧州まで255,766m

  大相撲千秋楽、是より三役。今回の勝負ほどどの力士にとっても栄枯盛衰、明暗を分けるものはなかったのではないだろうか。

 魁皇:白鵬 魁皇はかど番で迎えた成績は7勝7敗で今日の勝負に負ければ、34場所守り続けた大関の座から滑り落ちなければならない。白鵬にとっては横綱と共に13勝1敗で、勝てば初優勝のチャンスが待っている大事な一番。勝負は白鵬が硬くなったか、魁皇の捨て身の戦法が当たったか、魁皇の勝ち。白鵬は優勝のチャンスを一旦は失ったが、魁皇は大関の座を守る事が出来た。運命の神も中々やるものだ。

     

  続いて千代大海:琴欧州 琴欧州は足の故障で勝負にならず、千代大海の一方的な勝ち。両者共に9勝6敗。琴欧州は無理せずに休場でも良かったのではなかったかという見方もあったが・・・?

 さて千秋楽、朝青龍:栃東 栃東は既に3敗して横綱昇進の望みは絶たれてはいるが4敗ともなると来場所好成績を挙げても横綱昇進は絶望だが、此処で勝って3敗を維持できれば、来場所に望みを託する事が出来る大事な一番。朝青龍にとっては勝てば優勝のチャンス。負けるわけにはいかないところ。運命の神はここでも粋な計らい。栃東に軍配を上げた。栃東は横綱への望みを繋ぐ事が出来たし、朝青龍は白鵬と再度優勝決定戦をするチャンスを与えた。観客にとっても大サービスだ。

      

      

  優勝決定戦では朝青龍に軍配が上がったが、これも常道、白鵬にとっては悔しいだろうが未だ若い。次々とチャンスがやってくる。次は白鵬の番だろう。

       


知事の偽証を告発する

2006-03-25 23:41:14 | Weblog

3月25日 (土) 
         平成17年1月1日より449日目
                                歩いた歩数      其の距離  
         本日       7,881歩             5,517m
         総計 6,274,064 歩        4,391,845 m
          広州から桂林に向かう 広東省境梧州まで265,673m

  萩原県会議長は、県知事の偽証と百条委員会が認定し、告発議案が多数決で可決した2件と、松村局長の資料提出拒否1件について、地方自治法違反疑いで長野地検に告発した。

  今まで、県政の問題については「われ関せず』という態度を取ってきたが、県民の良識の代表である県会が県知事の偽証問題を告発したこの時点で、わたしも県民の一人として発言をしてみたい。また私の発言に反論すべき点があればそのコメントも頂きたい。

  わたしは県知事を圧倒的多数で選んだ選挙結果を見て、長野県民の良識を疑った一人である。脱ダム宣言と言い、住所地移転問題と言い、問題言動が余りにも多い。最近になっても、飯山市が豪雪対策で自衛隊の救援要請に待ったをかけたり、幹部職員を辞めさせたくて捏造発言をしてみたり、県内部の機構を県会の意向を無視して執行したりと独裁的非常識的な言動が余りにも多い。

  こういう言動は、県知事の持っている本質的なものであって、誰にとっても容易に推察されるものであって、此処で突然狂いだした問題ではない筈で、このことを承知の上で選んだ県民のへ酬いである。わたしは嘗て東北地方に旅行した際、「長野県の方ですか、素晴らしい知事さんが居て幸せですね』と言われたので、「とんでもない!あれはぶっ壊し屋で、今までの体制をぶっ壊してカッコよく見えるけど、それ以上に役に立ちはしない。県民もそれに気が付かないんだから困ったもんだ』と答えた事がある。

  一日も早く「救世主」の現れる事を期待するものである。

  

        
             玄関まで開通はしたけれど・・・
               さくらはいつ咲くだろう?

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              まあ~んで げっと

            

     W.B.C(ワールド・ベースボール・クラシック)日本が初の王座に輝いた。よかった、よかった。アメリカの審判が誤審しようが、韓国が何を言っても、初の世界一に変わりは無いんだ。さあ、若い衆!ゲームなんか止めて、外へ出ろ。3角ベースから始めてみよう。

 

         


やっと玄関に到着

2006-03-24 19:01:53 | 

3月24日 (金)   ①
         平成17年1月1日より448日目
歩いた歩数 其の距離  
         本日 18,127歩 12,689m
         総計 6,266,183 歩 4,386,328 m
         広州から桂林に向かう 広東省境梧州まで271,190 m

        
                             玄関まで切り開ける

  門扉を開いたのは3月16日から8日目、今日ようやく玄関に到着した。未だ庭の雪は150cmから200cmもあるが、取り敢えず玄関から道路に出られる事になった。しかし開いたというばかりで、通路を広げたり折れた紅葉を切り詰めたりしなければならないので、玄関でお客様を迎えると言うわけには行かない。

        

              道路側から見た玄関

       

            道路からは長い道程でした。

  

  


大阪場所と甲子園

2006-03-23 19:34:48 | Weblog

3月23日 (木)  ①
         平成17年1月1日より447日目
 歩いた歩数 其の距離  
         本日 14,476歩 10,133m
         総計 6,248,056 歩 4,373,639 m
         広州から桂林に向かう 広東省境梧州まで283,879 m

  第78回選抜高校野球大会が32校が参加して甲子園で開幕されたお。甲子園の高校野球は若人の力と情熱の迫力ある戦いで、地元高校の勝敗に日本中が一喜一憂するわけだが、今回は地元長野県からは選抜された高校が無い事と、WBCの世界制覇に賭けた王ジャパンに情熱を傾けたことから、いまいち力が入らない。

         

  それに引き換え、大相撲春場所は終盤戦に入って、今場所は誰が優勝するのか、白鵬が栃東に破れて横綱朝青龍と11勝1敗で並んでいよいよその行方は混沌としてきた。また角番の魁皇が7敗で後がなくなったがその去就はどうなるのか?栃東の横綱昇進は今期は消えたようだが、今後の勝敗によっては来期に期待が繋げる事ができるかどうか、現在平幕の若の里にも優勝のチャンスが齎されるのか、今後3日間での勝負は興味深々なものがある。

            

  甲子園での勝敗は参加した高校生にとって、生涯に亘って感動ものではあるが、このステップは人生の飛躍につながる事になるであろうと思う。

 大相撲の力士にとっての勝敗は人生の明暗を分けるものである。朝青龍が勝ってモンゴルの首相と優勝の握手が出来るか、それが白鵬になるか、いずれにしても明るいニュースとなるだろうが、魁皇にとっては再び土俵に上がるチャンを失う事になるのか、大関陥落後も土俵をつとめるのか、甲子園の勝敗とは比べようも無い重大な勝負である。

            きびしいナア!

 


許さんを訪ねて

2006-03-23 13:01:52 | Weblog

3月22日  (水)
          平成17年1月1日より446日目
                歩いた歩数    其の距離  
          本日     14,013歩      9,809m
          総計   6,233,580 歩   4,363,506 m
          広州から桂林に向かう 広東省境梧州まで 294,012 m

  国際交流員の任期を全うして許さんが帰国すると言うので、有志でお別れの挨拶に行く事にした。Yさんが風邪を引いてしまった。行って風邪をうつしては悪いので、「気持ちばかりだが・・・」と言ってやってきた。わたしも足して「友好の誓」と書いて持っていくことにした。

  勤務の終わった後の夕方の訪問なので、妻はお得意の『てんぷら』や煮物も作ってくれた。一緒の女性たちも夕食になるものをと、寿司など、色とりどりの食材を持参したので、許さんの食卓は満杯になってしまった。

       

  許さんはたいへん喜んで近くの酒屋から私のためにと酒を買ってきてくれた。乾杯の後、帰国して何をするのかと言う話になった。北京に戻って、大学で日本語を教えるとのことだった。北京オリンピックには是非来てくださいとも言った。

  わたしはブログを見てくれれば、毎日会えると同じだ、是非見て欲しいとお願いした。ここで、市報3月号に出た「ニーハオ許夢綺です」が日本人も及ばない名文で、僅か2年間だったが、飯山を愛で、飯山を理解して呉れたことに感動した、このこともブログに入れて置いたと伝えた。

      

  このあと中国へ持ち帰るものを出来るだけ減らしたいので、協力して欲しいと言って中国語の参考書から始まってCDの類まで差し出した。3人で持ちきれないほどになった。許さんも遠慮せずに貰ってくれたと喜んでくれた。

わたしは主にPCが無いと出来ないもの、DVD関係のものを主に頂いた。そして残った酒まで頂いて帰りは車で送って貰うことになってしまった。気持ちのいい一日だった。