『怪文書』
著:六角弘
18cm / 700円 / 光文社
*以下は『日刊ゲンダイ』に掲載された書評です。
「週刊文春」記者として30年間にわたって企業犯罪を取材するかたわら、あらゆる怪文書を収集、現在、日本唯一の怪文書図書館である「六角文庫」館長が、怪文書の実態を徹底検証した本だ。
「私が怪文書を収集し始めたのは、後に国会でも大問題になり逮捕者まで出した昭和41年の“防衛庁怪文書事件”の原本を入手したのがキッカケです」
1980年代に入ってから怪文書は一変したという。ワープロ、ファクス、パソコンの普及で、だれでも簡単に怪文書が作れるようになり、急速に一般化し始めたという。以前は政治家や企業などをターゲットにしたものが主流だったが、今では町内会のゴタゴタまで怪文書として流れている。
本書では、そごう、イトマン、東京佐川、拓銀、ヤクルトなど、倒産企業や事件を引き起こした企業をターゲットにした怪文書を網羅。
例えばそごうでは、
〈そごうの迷走ぶりは、怪文書が早くから指摘していた。頻繁にバラまかれるようになったのは、経営悪化がそろそろ伝えられはじめた九三年ごろから〉〈翌九四年二月の決算では大幅赤字を計上するが、それを見通したかのように続出したのが幹部批判の怪文書だった【幹部五億円着服】【水島の親戚だけで店長に】【水島に絵画スキャンダル】……〉
また、ある球団の投手コーチが、金づるにしていたソープ嬢から、試合中にヘリコプターから10万枚の怪文書を球場にバラまかれそうになったことなど、怪文書にまつわる裏話も書かれている。
「かつては虚実ないまぜが多かった怪文書も、最近の内部告発ものなどは“全編真実”というのが主流になっています。とくに企業絡みの怪文書は、いずれ露見する内紛や刑事事件を予告するものが多い。私自身、怪文書を基にいくつもの記事を書いています。それだけに、怪文書の警告を真摯に受け止めて対応すれば、企業の綱紀粛正につなげられることも多いのです。怪文書をどう読むのか、読み方も含めて書いたものです」
日本を代表する大手損保を襲った“怪文書事件”では、臭いものにフタをしようとする損保会社に対し、週刊文春記者がどう事実を暴いていくか、サスペンスタッチで書かれていて圧巻である。
●ろっかく・ひろし 1936年、東京都生まれ。新聞記者を経て、「週刊文春」記者に。95年10月から収集した怪文書を公開する「六角文庫」を開設。編著書に「ドキュメント企業犯罪」「北方領土」「花を食べよう」など多数。
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以上引用終わり。
『怪文書Ⅱ』というのも出ているそうですね。'80年代以降、ワープロ・ファックス・PCの普及で怪文書が一変したというあたりは面白いと思いました。一変したのは怪文書だけではありませんものね。表現と伝達の方式・形式に革命が起こったと言って差し支えないのではありませんか。
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*久世光彦氏が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
私も最近(2月12日の日記で)TBSの昔話をしたばかりでした。で、故人を偲んで、もう少し『時間ですよ』の思い出などを語りたくなりました。
これは銭湯を舞台にした連続ドラマだったのです。有名で人気があったのは『入浴シーン』です。スタジオの中に毎回銭湯の中を・・番台、脱衣所、湯船、洗い場etc.のセットを作っていました。
入浴シーン(もちろん女優陣の!)になると、何故かスタッフが倍増~三倍増してCスタという大きなスタジオも大賑わいでした。
スタジオの扉にはガードマンがいて、本来なら製作に無縁の人は入れて貰えないわけですが、例えば我々大道具の場合だったら、制服はないまでも皆腰に『ガチ袋』という、よく大工さんがしている道具入れの布袋をぶら下げているのでひと目で「これは大道具だ」とわかるわけです。それで『ON AIR』の赤ランプが点いていない限りは事実上フリーパスだった。
撮影時、中にいるのは『立会い』という少数の社員だけで良かったのですが、我々待機中の者は多分全員(用もないのに!)集合しました。
全裸の女性タレントたちは恐らく全員前張りをしていたのだと思いますが、脱ぎっぷりが良過ぎて(!)見ている方はそんなに有難いものではありませんでしたけどね。w
このドラマは主演森光子の『泣き笑い』人情ものストーリーで一本筋が通っていたのですが、マチャアキ+浅田美代子+樹木希林(悠木千帆)のショートコント等笑わせる場面も多くて、私の好きな番組の一つでした。
う~ん、例えば三人が釜場で繰り広げるコントには『ウルトラマンシリーズ』などがあって、
ウルトラマン、電話だよ!
ジュワッキ!(←しゅわっちをもじっているのです。w)
なんかは、この番組で見たような気がするのですが・・・。
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*以下は読売新聞03/02からの引用です。
「時間ですよ」演出家・作家の久世光彦さんが死去 2006年 3月 2日 (木) 16:01
「時間ですよ」をはじめとするユニークなテレビドラマを数多く手がけた演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが、2日午前7時32分、虚血性心不全のため東京都世田谷区内の自宅で亡くなった。70歳だった。
告別式は7日午前11時、文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻、朋子さん。連絡先は、港区赤坂4の3の14辰村赤坂ビル、カノックス。
親しい編集者によると、久世さんは前日も、普段と変わらない様子で仕事の打ち合わせをしていたという。
東京都出身。東大卒業後の1960年にKRテレビ(現TBS)に入社。62年のドラマ「パパだまってて」で演出家デビューした。70年代に入って、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などのホームドラマを次々と生みだし、時代を代表するヒットメーカーに。コント的な要素を導入したり、食事の献立を字幕で紹介したり、従来のドラマ作りの常識を覆す演出で異才の名をほしいままにした。
79年にTBSを退社し、製作会社「カノックス」を設立。軽快な作品の一方で「向田邦子シリーズ」のような繊細でしみじみとした人間ドラマも手がけ、92年には「女正月」で芸術選奨文部大臣賞を受けた。
映画監督、作詞、舞台演出にも乗り出すとともに、作家としても活躍。94年に「一九三四年冬―乱歩」で山本周五郎賞、97年に「聖なる春」で2度目の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。95~97年には本紙に小説「卑弥呼」を連載した。98年に紫綬褒章。
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以上、引用終わり。
著:六角弘
18cm / 700円 / 光文社
*以下は『日刊ゲンダイ』に掲載された書評です。
「週刊文春」記者として30年間にわたって企業犯罪を取材するかたわら、あらゆる怪文書を収集、現在、日本唯一の怪文書図書館である「六角文庫」館長が、怪文書の実態を徹底検証した本だ。
「私が怪文書を収集し始めたのは、後に国会でも大問題になり逮捕者まで出した昭和41年の“防衛庁怪文書事件”の原本を入手したのがキッカケです」
1980年代に入ってから怪文書は一変したという。ワープロ、ファクス、パソコンの普及で、だれでも簡単に怪文書が作れるようになり、急速に一般化し始めたという。以前は政治家や企業などをターゲットにしたものが主流だったが、今では町内会のゴタゴタまで怪文書として流れている。
本書では、そごう、イトマン、東京佐川、拓銀、ヤクルトなど、倒産企業や事件を引き起こした企業をターゲットにした怪文書を網羅。
例えばそごうでは、
〈そごうの迷走ぶりは、怪文書が早くから指摘していた。頻繁にバラまかれるようになったのは、経営悪化がそろそろ伝えられはじめた九三年ごろから〉〈翌九四年二月の決算では大幅赤字を計上するが、それを見通したかのように続出したのが幹部批判の怪文書だった【幹部五億円着服】【水島の親戚だけで店長に】【水島に絵画スキャンダル】……〉
また、ある球団の投手コーチが、金づるにしていたソープ嬢から、試合中にヘリコプターから10万枚の怪文書を球場にバラまかれそうになったことなど、怪文書にまつわる裏話も書かれている。
「かつては虚実ないまぜが多かった怪文書も、最近の内部告発ものなどは“全編真実”というのが主流になっています。とくに企業絡みの怪文書は、いずれ露見する内紛や刑事事件を予告するものが多い。私自身、怪文書を基にいくつもの記事を書いています。それだけに、怪文書の警告を真摯に受け止めて対応すれば、企業の綱紀粛正につなげられることも多いのです。怪文書をどう読むのか、読み方も含めて書いたものです」
日本を代表する大手損保を襲った“怪文書事件”では、臭いものにフタをしようとする損保会社に対し、週刊文春記者がどう事実を暴いていくか、サスペンスタッチで書かれていて圧巻である。
●ろっかく・ひろし 1936年、東京都生まれ。新聞記者を経て、「週刊文春」記者に。95年10月から収集した怪文書を公開する「六角文庫」を開設。編著書に「ドキュメント企業犯罪」「北方領土」「花を食べよう」など多数。
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以上引用終わり。
『怪文書Ⅱ』というのも出ているそうですね。'80年代以降、ワープロ・ファックス・PCの普及で怪文書が一変したというあたりは面白いと思いました。一変したのは怪文書だけではありませんものね。表現と伝達の方式・形式に革命が起こったと言って差し支えないのではありませんか。
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*久世光彦氏が亡くなられました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。
私も最近(2月12日の日記で)TBSの昔話をしたばかりでした。で、故人を偲んで、もう少し『時間ですよ』の思い出などを語りたくなりました。
これは銭湯を舞台にした連続ドラマだったのです。有名で人気があったのは『入浴シーン』です。スタジオの中に毎回銭湯の中を・・番台、脱衣所、湯船、洗い場etc.のセットを作っていました。
入浴シーン(もちろん女優陣の!)になると、何故かスタッフが倍増~三倍増してCスタという大きなスタジオも大賑わいでした。
スタジオの扉にはガードマンがいて、本来なら製作に無縁の人は入れて貰えないわけですが、例えば我々大道具の場合だったら、制服はないまでも皆腰に『ガチ袋』という、よく大工さんがしている道具入れの布袋をぶら下げているのでひと目で「これは大道具だ」とわかるわけです。それで『ON AIR』の赤ランプが点いていない限りは事実上フリーパスだった。
撮影時、中にいるのは『立会い』という少数の社員だけで良かったのですが、我々待機中の者は多分全員(用もないのに!)集合しました。
全裸の女性タレントたちは恐らく全員前張りをしていたのだと思いますが、脱ぎっぷりが良過ぎて(!)見ている方はそんなに有難いものではありませんでしたけどね。w
このドラマは主演森光子の『泣き笑い』人情ものストーリーで一本筋が通っていたのですが、マチャアキ+浅田美代子+樹木希林(悠木千帆)のショートコント等笑わせる場面も多くて、私の好きな番組の一つでした。
う~ん、例えば三人が釜場で繰り広げるコントには『ウルトラマンシリーズ』などがあって、
ウルトラマン、電話だよ!
ジュワッキ!(←しゅわっちをもじっているのです。w)
なんかは、この番組で見たような気がするのですが・・・。
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*以下は読売新聞03/02からの引用です。
「時間ですよ」演出家・作家の久世光彦さんが死去 2006年 3月 2日 (木) 16:01
「時間ですよ」をはじめとするユニークなテレビドラマを数多く手がけた演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが、2日午前7時32分、虚血性心不全のため東京都世田谷区内の自宅で亡くなった。70歳だった。
告別式は7日午前11時、文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻、朋子さん。連絡先は、港区赤坂4の3の14辰村赤坂ビル、カノックス。
親しい編集者によると、久世さんは前日も、普段と変わらない様子で仕事の打ち合わせをしていたという。
東京都出身。東大卒業後の1960年にKRテレビ(現TBS)に入社。62年のドラマ「パパだまってて」で演出家デビューした。70年代に入って、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などのホームドラマを次々と生みだし、時代を代表するヒットメーカーに。コント的な要素を導入したり、食事の献立を字幕で紹介したり、従来のドラマ作りの常識を覆す演出で異才の名をほしいままにした。
79年にTBSを退社し、製作会社「カノックス」を設立。軽快な作品の一方で「向田邦子シリーズ」のような繊細でしみじみとした人間ドラマも手がけ、92年には「女正月」で芸術選奨文部大臣賞を受けた。
映画監督、作詞、舞台演出にも乗り出すとともに、作家としても活躍。94年に「一九三四年冬―乱歩」で山本周五郎賞、97年に「聖なる春」で2度目の芸術選奨文部大臣賞を受賞した。95~97年には本紙に小説「卑弥呼」を連載した。98年に紫綬褒章。
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以上、引用終わり。