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龍平コール 喜び爆発 初当選川田氏
2007年7月30日 東京新聞朝刊
「ボランティアの皆さんと勝ち取った選挙。これからも一緒に頑張りましょう」。東京選挙区で初当選した川田龍平氏(31)。支援者の「龍平コール」であふれる東京都新宿区の選挙事務所で、喜びを爆発させた。
川田氏は輸入血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染し、十九歳で実名を公表。薬害エイズ訴訟では原告として、国と製薬会社から和解を勝ち取り脚光を浴びた。
エイズ発症の不安を抱えながらも、この国の平和が脅かされつつあるなどとして、激戦の東京選挙区から無所属で立候補。「三十一歳になることができました」との演説がメディアでしばしば取り上げられた。
年金記録不備問題については、同訴訟での経験を重ね合わせ、「政治、官僚、企業などの癒着の状況は変わっていない」と役人の無責任ぶりを追及した。川田氏は「年金や福祉、雇用に介護など厚生労働行政に不信の目が向けられている。しっかりと行政のチェックをしていきたい」と抱負を述べた。
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2007/07/30-07:28 小田実さん死去=作家として市民運動をリード
時事通信
ベストセラー「何でも見てやろう」などで知られ、“行動する作家”として戦後の市民、平和運動をリードした小説家、評論家の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、東京都中央区の病院で死去した。75歳。大阪市出身。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。葬儀・告別式は未定。
東大文学部卒業後、渡米。ハーバード大学で学びながらヨーロッパやアジア各国を放浪した体験をまとめた「何でも見てやろう」(1961年)で一躍注目を浴び、タイトルは流行語となって若者のライフスタイルにも影響を与えた。
その後、予備校講師をしながら平和運動に参加。1965年にはベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成し、デモや反戦広告などの活動のほか、良心的兵役拒否の米兵の逃走支援なども行った。
80年、作家の色川大吉さんらとともに「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)を立ち上げるなど、一貫して“市民の目線”で活動。95年の阪神大震災では自身も被災し、被災者支援法制定のために奔走した。最近では改憲ムードに対抗して「九条の会」を結成したほか、慰安婦問題や日本の戦争責任などについても発言を続け、市民運動の理論的、精神的支柱の役目を果たした。
著書に「現代史」「円いひっぴい」「ベトナムから遠く離れて」「海冥」「玉砕/Gyokusai」など。81年の「HIROSHIMA」でアジア・アフリカのノーベル文学賞と呼ばれるロータス賞、97年の「『アボジ』を踏む」で川端康成文学賞を受賞した。
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2007/07/30-03:03 首相続投に「えっ」=加藤氏絶句、山崎氏も批判-参院選
時事通信
自民党の加藤紘一元幹事長は30日未明、取材に対し、参院選での自民党惨敗にもかかわらず安倍晋三首相が続投を表明したことについて「えっと思った」と強い疑問を呈した。
さらに「続投した場合、首相だけではなく、自民党自体がぼろぼろになる危険性をはらむ」と強調。「よほど政策面で市場原理主義からの大転換など大胆なことをしないといけない」と述べた。
また、山崎拓前副総裁も29日夜、地元民放テレビに出演し、「国民の審判だから謙虚に受け止めなければならない」と述べ、退陣を決断しなかった首相を批判した。(了)
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*この歴史的大敗を受けても、「唯一者=小泉ポチ」が指名しただけで総理の椅子に座った無能で未熟でアッパラパーな安倍ポンを、自民党と公明党は差し換えることなど到底出来ない相談だというのである。なぜかと言えば、このアホの安倍ポンこそが自民党の最後のエース・切り札であり「センキョの顔」であり「他に選択肢がない(!)」(←某幹部)からである。
今回安倍ポンの統治能力の欠如は鮮明となったが、自公政権を支える自民党にも公明党にも、総体としてガバナビリティは決定的に不足しているわけである。
ポチが独断と偏見で指名した後継は国民にNO!と言われたが、自公幹部にはイエスマンしかいないのか、情けないことにこれに鈴をつける人間が一人もいない。
メディアもこれを叩くことを例によって『一列横並び』で封印でもしたのか、誰も辞めろと言い出さない。何なんだ、これは?!
この上なく愚鈍な安倍ポンは「国民にお約束した」などと一人勝手に「自縄自縛」して居座る口実にするなど言語道断のご乱心ぶりだが、ポチの命ずるまま70%の得票率で総裁になりおおせた手前、つんのめってぶっ倒れるまでブンブン丸の行け行けどんどんで行くつもりなのだろうか?
自民党はもはや賞味期限切れで、まさに「そこまで落ちたか、自民党!」と言うしかない状態である。ということならば『二大政党制』はいいとして、一方の雄(?)たる自民党はいったいそれまで勢力を保持し得るのかと、そっちの方が俄かに心配になって来た。w『政財官三位一体』の自公独裁政権の代わりに『民主党独裁政権(はあ?)』を持って来られても困るのは我々である。
しかし世耕あたりのトリック、レトリックでは最早情勢は如何ともし難い。
『ポチの再登板』と言ってもボロが出る前に逃げ出したポチには、提灯持ち達が如何におべっかを使おうと、最早再出馬の気力はとうに失せている。
打つ手なし。
が、政権獲得のシナリオは既に民主党小沢の掌中にあると私は思う。
『仕掛けて仕損じなし』
と、これで万事遺漏なく確実に突き進んで欲しい。
もう一押しである。
2007年7月30日 東京新聞朝刊
「ボランティアの皆さんと勝ち取った選挙。これからも一緒に頑張りましょう」。東京選挙区で初当選した川田龍平氏(31)。支援者の「龍平コール」であふれる東京都新宿区の選挙事務所で、喜びを爆発させた。
川田氏は輸入血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染し、十九歳で実名を公表。薬害エイズ訴訟では原告として、国と製薬会社から和解を勝ち取り脚光を浴びた。
エイズ発症の不安を抱えながらも、この国の平和が脅かされつつあるなどとして、激戦の東京選挙区から無所属で立候補。「三十一歳になることができました」との演説がメディアでしばしば取り上げられた。
年金記録不備問題については、同訴訟での経験を重ね合わせ、「政治、官僚、企業などの癒着の状況は変わっていない」と役人の無責任ぶりを追及した。川田氏は「年金や福祉、雇用に介護など厚生労働行政に不信の目が向けられている。しっかりと行政のチェックをしていきたい」と抱負を述べた。
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2007/07/30-07:28 小田実さん死去=作家として市民運動をリード
時事通信
ベストセラー「何でも見てやろう」などで知られ、“行動する作家”として戦後の市民、平和運動をリードした小説家、評論家の小田実(おだ・まこと)さんが30日午前2時5分、東京都中央区の病院で死去した。75歳。大阪市出身。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。葬儀・告別式は未定。
東大文学部卒業後、渡米。ハーバード大学で学びながらヨーロッパやアジア各国を放浪した体験をまとめた「何でも見てやろう」(1961年)で一躍注目を浴び、タイトルは流行語となって若者のライフスタイルにも影響を与えた。
その後、予備校講師をしながら平和運動に参加。1965年にはベトナム戦争に反対する「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)を結成し、デモや反戦広告などの活動のほか、良心的兵役拒否の米兵の逃走支援なども行った。
80年、作家の色川大吉さんらとともに「日本はこれでいいのか市民連合」(日市連)を立ち上げるなど、一貫して“市民の目線”で活動。95年の阪神大震災では自身も被災し、被災者支援法制定のために奔走した。最近では改憲ムードに対抗して「九条の会」を結成したほか、慰安婦問題や日本の戦争責任などについても発言を続け、市民運動の理論的、精神的支柱の役目を果たした。
著書に「現代史」「円いひっぴい」「ベトナムから遠く離れて」「海冥」「玉砕/Gyokusai」など。81年の「HIROSHIMA」でアジア・アフリカのノーベル文学賞と呼ばれるロータス賞、97年の「『アボジ』を踏む」で川端康成文学賞を受賞した。
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2007/07/30-03:03 首相続投に「えっ」=加藤氏絶句、山崎氏も批判-参院選
時事通信
自民党の加藤紘一元幹事長は30日未明、取材に対し、参院選での自民党惨敗にもかかわらず安倍晋三首相が続投を表明したことについて「えっと思った」と強い疑問を呈した。
さらに「続投した場合、首相だけではなく、自民党自体がぼろぼろになる危険性をはらむ」と強調。「よほど政策面で市場原理主義からの大転換など大胆なことをしないといけない」と述べた。
また、山崎拓前副総裁も29日夜、地元民放テレビに出演し、「国民の審判だから謙虚に受け止めなければならない」と述べ、退陣を決断しなかった首相を批判した。(了)
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*この歴史的大敗を受けても、「唯一者=小泉ポチ」が指名しただけで総理の椅子に座った無能で未熟でアッパラパーな安倍ポンを、自民党と公明党は差し換えることなど到底出来ない相談だというのである。なぜかと言えば、このアホの安倍ポンこそが自民党の最後のエース・切り札であり「センキョの顔」であり「他に選択肢がない(!)」(←某幹部)からである。
今回安倍ポンの統治能力の欠如は鮮明となったが、自公政権を支える自民党にも公明党にも、総体としてガバナビリティは決定的に不足しているわけである。
ポチが独断と偏見で指名した後継は国民にNO!と言われたが、自公幹部にはイエスマンしかいないのか、情けないことにこれに鈴をつける人間が一人もいない。
メディアもこれを叩くことを例によって『一列横並び』で封印でもしたのか、誰も辞めろと言い出さない。何なんだ、これは?!
この上なく愚鈍な安倍ポンは「国民にお約束した」などと一人勝手に「自縄自縛」して居座る口実にするなど言語道断のご乱心ぶりだが、ポチの命ずるまま70%の得票率で総裁になりおおせた手前、つんのめってぶっ倒れるまでブンブン丸の行け行けどんどんで行くつもりなのだろうか?
自民党はもはや賞味期限切れで、まさに「そこまで落ちたか、自民党!」と言うしかない状態である。ということならば『二大政党制』はいいとして、一方の雄(?)たる自民党はいったいそれまで勢力を保持し得るのかと、そっちの方が俄かに心配になって来た。w『政財官三位一体』の自公独裁政権の代わりに『民主党独裁政権(はあ?)』を持って来られても困るのは我々である。
しかし世耕あたりのトリック、レトリックでは最早情勢は如何ともし難い。
『ポチの再登板』と言ってもボロが出る前に逃げ出したポチには、提灯持ち達が如何におべっかを使おうと、最早再出馬の気力はとうに失せている。
打つ手なし。
が、政権獲得のシナリオは既に民主党小沢の掌中にあると私は思う。
『仕掛けて仕損じなし』
と、これで万事遺漏なく確実に突き進んで欲しい。
もう一押しである。