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*毎年やって来る八月十五日だが、既にこの『終戦記念日』という造語からして誤魔化しがあると私は思っている。事態を曖昧化して何とかその場をすり抜けようという意図が見え見えである。
天皇陛下の有難い《終戦の詔(←みことのりと読む)》があったから戦争が終わったのではない。「大日本帝国」が矢尽き刀折れて「鬼畜米英」に《降伏》したのが60年前の今日なのである。しかしその昼下がり、日本国民の多くは皇居に向かって首を垂れ、土下座して泣き崩れた。何もわかっていなかったのである。そして戦後60年立った今でも、我々はこの敗戦のことをよくわかっているとは言えないようである。
戦前と戦後はこの「終戦記念日」という《蒙昧主義》的言辞で見事に接続を果たしているから、一体戦前と戦後はどこがどう違い、どこが同じなのかますますもって判り難くなっている。この日が過ぎれば我々はまた何事も無かったかのように、日常へ日常へと回帰して行くしかないのである。
*ちなみに、お隣り韓国では今日という日は『光復節』という、旧日本帝国主義の呪縛から解き放たれた実に目出度い日とされているし、中国も無論「抗日戦争勝利60周年」であり、60年前お祭り気運のアメリカ本国では『ジャップ・ギブアップ!』の新聞号外が踊った。
*『敗軍の将、兵を語らず』であるから、昭和天皇は良くも悪くも「敗戦の責任」を取るべきだったがマッカーサーと並んでの屈辱的な記念写真を撮るだけに終わった。
あとは戦後復興に励む国民を力づけるため、ヘルメットを被って炭鉱を訪問したりした。
「あの戦争は一部軍部が暴走して勝手にやったこと」などと言う悪餓鬼の言い訳みたいな詭弁では本来通らない筈だったが、アメリカには早くも戦後ソ連との「世界分割」という一大事が緊急の課題として浮上していた。
「おいヤバイぜ。追求なんてもういいから早いとこ手下に加えよう!」結局これで60年やって来たのである。朝鮮動乱にしたところで、日本を兵站基地として使用しないことには体を為さなかっただろうことは明白である。
美濃部博士の「天皇機関説」は治安維持法下では弾圧されたが、戦後姿を変えて天皇を救済したのもこの一種「天皇機関説」である。学問・学説などというものは権力の術中に嵌るとご都合主義で如何様にも料理されてしまうものなのである。
最近では管直人元民主党代表がかろうじて「天皇の戦争責任」について言及しているだけである。「岩波文化人」(?)作家=某大江健三郎などは昔『政治少年死す』という小説を書いたらしいが、出版社共々某右翼関係者に一喝されるとそんなものはどこかへ隠してしまった。大江が情けないのか日本が情けないのか知らないが、この国の『表現の自由』などはこの程度なのだ。
言うまでもないことだが我々が『表現の自由』を口にするのは、体制に対して根本的な疑念や批判を展開する自由があるのかどうかという場合である。
体制におもねり、ゴマをすり、果ては体制を絶賛する『自由』なら、どんな圧政下にあっても無条件に認められているのである。小泉ポチに群がってお追従記事を書いている連中なども「表現の自由」を行使しているとは到底認め難い。
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天皇陛下の有難い《終戦の詔(←みことのりと読む)》があったから戦争が終わったのではない。「大日本帝国」が矢尽き刀折れて「鬼畜米英」に《降伏》したのが60年前の今日なのである。しかしその昼下がり、日本国民の多くは皇居に向かって首を垂れ、土下座して泣き崩れた。何もわかっていなかったのである。そして戦後60年立った今でも、我々はこの敗戦のことをよくわかっているとは言えないようである。
戦前と戦後はこの「終戦記念日」という《蒙昧主義》的言辞で見事に接続を果たしているから、一体戦前と戦後はどこがどう違い、どこが同じなのかますますもって判り難くなっている。この日が過ぎれば我々はまた何事も無かったかのように、日常へ日常へと回帰して行くしかないのである。
*ちなみに、お隣り韓国では今日という日は『光復節』という、旧日本帝国主義の呪縛から解き放たれた実に目出度い日とされているし、中国も無論「抗日戦争勝利60周年」であり、60年前お祭り気運のアメリカ本国では『ジャップ・ギブアップ!』の新聞号外が踊った。
*『敗軍の将、兵を語らず』であるから、昭和天皇は良くも悪くも「敗戦の責任」を取るべきだったがマッカーサーと並んでの屈辱的な記念写真を撮るだけに終わった。
あとは戦後復興に励む国民を力づけるため、ヘルメットを被って炭鉱を訪問したりした。
「あの戦争は一部軍部が暴走して勝手にやったこと」などと言う悪餓鬼の言い訳みたいな詭弁では本来通らない筈だったが、アメリカには早くも戦後ソ連との「世界分割」という一大事が緊急の課題として浮上していた。
「おいヤバイぜ。追求なんてもういいから早いとこ手下に加えよう!」結局これで60年やって来たのである。朝鮮動乱にしたところで、日本を兵站基地として使用しないことには体を為さなかっただろうことは明白である。
美濃部博士の「天皇機関説」は治安維持法下では弾圧されたが、戦後姿を変えて天皇を救済したのもこの一種「天皇機関説」である。学問・学説などというものは権力の術中に嵌るとご都合主義で如何様にも料理されてしまうものなのである。
最近では管直人元民主党代表がかろうじて「天皇の戦争責任」について言及しているだけである。「岩波文化人」(?)作家=某大江健三郎などは昔『政治少年死す』という小説を書いたらしいが、出版社共々某右翼関係者に一喝されるとそんなものはどこかへ隠してしまった。大江が情けないのか日本が情けないのか知らないが、この国の『表現の自由』などはこの程度なのだ。
言うまでもないことだが我々が『表現の自由』を口にするのは、体制に対して根本的な疑念や批判を展開する自由があるのかどうかという場合である。
体制におもねり、ゴマをすり、果ては体制を絶賛する『自由』なら、どんな圧政下にあっても無条件に認められているのである。小泉ポチに群がってお追従記事を書いている連中なども「表現の自由」を行使しているとは到底認め難い。
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