2nd Stageトラバース

50代で転職し、第二の人生スタート。
もがいて、笑って頑張るおやじをお届けします。

水利権と五郎兵衛用水②

2020-01-16 22:05:15 | お米語り
「五郎兵衛新田の水は布施川から取水すればよかったのに、何で20キロも先の鹿曲川から取水したのだろう

「布施川から取水すれば一直線なのに、何であんなに曲がりくねった用水にしなければならなかったのだろう」


何とも腑に落ちず、長野の地で深夜まで地図を眺めて考えていた。




次の日、帰京も迫っていたが「五郎兵衛用水」の取水口に行ってみた。



「用水のスタート地点は撮影しておかねば」



今では近代整備され、以前の五郎兵衛用水は使われていない。


今の取水口は鹿曲川と小さな細小路川が合流する地点の少し下方にある。



上が細小路川、右から流れて来ているのが鹿曲川。現在の五郎兵衛用水取水口はここから少し下流だ。



取水口付近では、当時、岩盤をくり貫いて作った「旧五郎兵衛用水跡」を見る事ができる。






遺跡を一通り撮影したが、2つの疑問の手がかりなし。



また、春に来ようと、帰りかけたそのとき、取水口の隣に設置された国土交通省の看板が目に入った。
何の気なしに読んでいると、とんでもない発見をした!


「水利許可、○○期 ○○立方メートル/s」▪▪▪。



「水利権」


これだ!
川の水は許可なく獲ってはいけないのだ。勝手に水を獲ったら、川の水を飲料とし、田を耕す人達の生活はどうなる。



これが、五郎兵衛用水が近くの布施川から取水できない理由だった。



布施川の水で生活する人が、新参者の五郎兵衛新田に水を渡す訳がない。



今も昔も水利権の確保は大きな問題なのだ。



五郎兵衛新田には新しい川そのものが必要だった。既存の川では水利権を主張され、水を確保することができなかった。


布施川に一直線に用水を合流させれば誰の水だか分からなくなる。
だからこの五郎兵衛用水は山裾沿いにわずかな高低差を利用して流し、「上原分水盤」に届けなければならなかった。


これがこの用水がくねくね曲がっている理由だ。



蛇口を回せば水を得られる感覚の大ボケおやじにはあまりに衝撃的な現実だった。



いや、待てよ。では、鹿曲川から取水している事実はどうなる!




はぁ、仮説は間違っているのか。
またまた大きな疑問を残し、帰京をすることになってしまった。



水利権と五郎兵衛用水①

2020-01-16 20:35:25 | お米語り
五郎兵衛米を育む五郎兵衛新田と五郎兵衛用水。




不毛不作の粘土の土地に、何とか米を作るため、水を引いて来なければならぬ。




「五郎兵衛用水」はそんな先人達の想いで作られた灌漑用水だ。


そんな五郎兵衛用水を案内する
「五郎兵衛用水ウォーキングマッブ」
を手にしながら一つの道標にたどり着いた。




「上原大盤台」




鹿曲川から取水した水(正確には違う!)をここまで流し、五郎兵衛新田の3つのエリアに分水する。



どこぞにそんな施設があるのか探してみたが見つからない。




「ありました!足元にありました」






五郎兵衛新田の中原下原地区、上原地区、相原地区に分水堰の幅を決めて分水する。この堰の幅は昔と変わらないそうだ。


「そりゃそうだよな。持って来た水がどこかに片寄れば、一方で米ができるのに、もう一方で不作になり争いになるわ」
水利権のほんの一旦を垣間見た。



目の前に「五郎兵衛新田、用水」の大きな看板があった。
ふーん、と思いながら眺めていると、ある疑問が湧いて来た。




「何ですぐ近くの布施川から水を引っ張ってこなかったのだ」
「何でこの用水はくねくね曲がりくねっているんだ」








蛇口を回せば水が出てくることに慣れた、大ボケ都会おやじは五郎兵衛用水地図の看板を前に無知な赤子になっていた。





この2つの疑問を抱えて次の日、五郎兵衛用水取水口に行った時、この大ボケおやじは、とんでもない水利権の怖さに気づくことになったのだった。



水は命だ。

君たちが悪いわけではない

2020-01-12 10:15:00 | お米語り
お米の産地別、少量売りが流行りなので様子を見に有名百貨店を訪れた。

お客様は高級感があり、「もう少し着飾って来れば」と気後れしたが、普段見たことのない商品や、桁違いの値札に興味の方が先行し、気後れなんぞ
掻き消された。


食品、食材売り場はお決まりの地下階で、運良く「ご飯試食会」を兼ねた小口パッケージ、各種陳列販売をやっていた。




「美味しいお米です。食べてみてください、ご試食下さい」


新入社員か2年目くらいの初々しい女性が二人。
制服にエプロン、不釣り合いな三角巾して一生懸命声を上げている。


手元には、炊き上がったご飯が小分けのラップに包まれて、通りすがりのお客様にさしだされるが、誰一人、受け取って試食する人はいなかった。


それでも何とか成果を出そうと、
若手女性は作り笑顔で頑張るが、顔に不安の色も出始めていた。


「美味しいご飯です。ご試食どうぞ」






「美味しいご飯の試食というが、ご飯だけ食べて“美味しい、美味しい”と言っている人、見たことない」

「お新香や海苔、少しのおかずと一緒に食べて“あー、ご飯美味しい”となるもんだ」

「利き酒会じゃないだよ。パクパク食べたらお腹一杯になるだろう




ラップに入ったご飯は、水蒸気としわくちゃなラップと相まって、艶も香りも感じない食料となっていた。



数時間後、こちらが祈るような気持ちでその試食販売コーナーを覗いてみる
と元気にご飯を差し出していた若手女性は、あまりの不人気さにうなだれて、立ちすくんでいるだけだった。




「君たちが悪いわけではない。こんなもん、試食という字面だけの創意も工夫もない企画だろ」




「次は会議で、勇気を持って意見せよ。可笑しいことは可笑しいと君たちの感性をしっかり伝えよ。」



白髪のおっさん、心の中でエールを贈った。


なにが “奥さん” だ!

2020-01-11 09:02:01 | 日記
先日、あるコラムを目にした。
表題、「不快な “奥さん” 」。

ある日、その寄稿した女性がスーパーに買い物に行ったところ、鮮魚コーナーで「奥さん、新鮮な鰤が入りました、どうぞ、奥さん」と言われたらしい。


「無性に腹が立った。自分は早くに両親を亡くし、体が弱く、一人で生きて来ざるを得なかった。なにが “奥さん” だ。女性という立場にレッテルを貼ったこの考えに怒りを感じた
“お客さん”で十分だ」




社会生活では人間関係を築けば取引もスムーズに行くが、自分の立場と相手の立場、地位、背景を理解しない敬称は、相手に対する蔑称になり得る。




女性は姓を捨て、家族を捨てる社会慣習に晒される。そのリスクは男性に殆ど無い。その立場の中で女性がどう生きているかを理解しての敬称であるように。




「子どもに説教しておきながら、
自分はまだまだ “ちゃら男” だな」



子どもに「おっさん」と呼ばれた自分以上に、この女性は絶望に打ちのめされたことだろう。




なにが “おっさん” だ!

2020-01-10 23:02:00 | 日記
昨年の夏休み、早朝ラジオ体操で仲良くなった近所の男の子。

毎朝誰よりも早く公園に来て、寂しそうに皆が集まって来るのを待っている。

聞くと小学一年だという。
子供だけの外出は心配だから、このくらいの年の子は必ず親が着いてくるものだが、この子はいつも一人ぼっちだ。


「君はいつも朝、一番だね。お母さんは起きているの
「お母さんは寝ているよ。自分一人で起きてラジオ体操に来るんだ」

「お母さんは遅くまで仕事をしているから、起きないよ。早起きしてもやることないからここに来ている」

家の内部が見えて来てしまうので、早々に会話を切り上げたが、驚いたことにこの男の子はバスの乗車時間を24時間制で言えるのだ。

小学校1年生。
生きる力は抜群だが、裏を返せば彼は
毎日、厳しい現実に直面し、自分の力で生き抜いているということだ。

毎日、少しの会話を交わし、一緒にラジオ体操をして次第に仲良くなっていったある日、


「おっさん、おっさん、遅いよ
と、ラジオ体操に到着するや否や
この男の子に「おっさん」呼ばわりされた。




突然、言い様のない怒りがこみ上げた。


「君なぁ、「おっさん」はないんだよ。なっ、立場をわきまえろ。君は子どもだが、こっちは大人だ。ふざけるなよ。今度「おっさん」と呼んだら君とは話しはしない」


かなりきつい口調で説教した。


彼は黙って聞いていた。
当然の事だ。生き抜く力はあると
思っていたが、まだまだ本当に子どもだ。



彼はいつも「おじさん」と呼んでくれていた。それが「おっさん」。



敬称のつもりが人間関係の構築を急ぐあまり、それは蔑称になるということ。


敬称は、自分が相手の立場、立ち位置、背景をわきまえて初めて成立するもので、それなく使うと、相手を心底侮蔑する言葉になる。


その怖さは、後日、あるコラムを読んで身につまされる思いをした時だった。