「考えが変わる」ことを厭わない、
たぶん自分はそうだった。
自分の「すき」な人の考えを自分が考えたように
自分の一部にして行くのが得意。
だから「自分」がなかった。
そして、
私の考えを変えているものは、
私がすきな人に合わせて行っていることだけでもなかった。
自分で気に入っていた部分が、
社会に、なんでもない人間関係によって、変えられていた。
また変わってしまった自分の考えに気づいた。
「相応しいものが投票で選ばれないのはおかしい。
相応しくないものが選ばれるのを、恥ずかしく思いたい。」
これは私の意見ではない。
後輩の意見。
私は、「投票で選ばれる=相応しい」ではないと思っている。
彼が言うには、
格が高いものなら、何もしなくても票が集まる。
口コミとか、自分の属しているグループに頼みこんでとか、
そういったことで票を集めるのはおかしい。それで集まるのもおかしい。
ということだった。
昔、自分がそう考えていたことを思い出した。
いつ私は変わった?
「口コミとか、自分の属しているグループに頼み込んでとか、そう言ったことは卑しい。
その人の持っている価値を測定するものが投票であるべきだ。」
今の私はそれを理想論として認めてはいるけれど、
そういうものではないと思っている。
いつの間にか理想論なんだから、その「卑しいこと」を他の人がやってるんだから、
自分もやろう、となっていた。
自分ばかりが理想にしがみついていてもなあ。
損するだけじゃん?
そう思ってる。
例えばCD、例えば映画、
いいものが売れるわけじゃない。
いいものは売れるかもしれないけど、
それがよくなくても、話題性とかそういうもので、売れる。
自分に関わっているなら売れる方がうれしいじゃない。
だったら「売れる」ための手段をとる。
それがたとえ卑しくても。
自分の目標は何かを見据える。
きれいでいることが悪いとも思わないけれどね。
損しないように自分を変えてしまったことが、
いいことなのか悪いことなのかはわからないや。
でも、きれいな考えを持ったままでは、
生きて行くのがくるしいのだ。
弱いよわい自分。
変わったきっかけを考えると、がっかりすることもある。
だから、恥ずかしくなる。
たぶん自分はそうだった。
自分の「すき」な人の考えを自分が考えたように
自分の一部にして行くのが得意。
だから「自分」がなかった。
そして、
私の考えを変えているものは、
私がすきな人に合わせて行っていることだけでもなかった。
自分で気に入っていた部分が、
社会に、なんでもない人間関係によって、変えられていた。
また変わってしまった自分の考えに気づいた。
「相応しいものが投票で選ばれないのはおかしい。
相応しくないものが選ばれるのを、恥ずかしく思いたい。」
これは私の意見ではない。
後輩の意見。
私は、「投票で選ばれる=相応しい」ではないと思っている。
彼が言うには、
格が高いものなら、何もしなくても票が集まる。
口コミとか、自分の属しているグループに頼みこんでとか、
そういったことで票を集めるのはおかしい。それで集まるのもおかしい。
ということだった。
昔、自分がそう考えていたことを思い出した。
いつ私は変わった?
「口コミとか、自分の属しているグループに頼み込んでとか、そう言ったことは卑しい。
その人の持っている価値を測定するものが投票であるべきだ。」
今の私はそれを理想論として認めてはいるけれど、
そういうものではないと思っている。
いつの間にか理想論なんだから、その「卑しいこと」を他の人がやってるんだから、
自分もやろう、となっていた。
自分ばかりが理想にしがみついていてもなあ。
損するだけじゃん?
そう思ってる。
例えばCD、例えば映画、
いいものが売れるわけじゃない。
いいものは売れるかもしれないけど、
それがよくなくても、話題性とかそういうもので、売れる。
自分に関わっているなら売れる方がうれしいじゃない。
だったら「売れる」ための手段をとる。
それがたとえ卑しくても。
自分の目標は何かを見据える。
きれいでいることが悪いとも思わないけれどね。
損しないように自分を変えてしまったことが、
いいことなのか悪いことなのかはわからないや。
でも、きれいな考えを持ったままでは、
生きて行くのがくるしいのだ。
弱いよわい自分。
変わったきっかけを考えると、がっかりすることもある。
だから、恥ずかしくなる。