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・マドリッドへせっかく来たのだから、
フラメンコを見にいく。
闘牛は時期はずれでやっていないが、
やっていても私には見る勇気はなく、
この頃、動物の死を見て、
「まなこうるむも老いのはじめや」
テレビで古いアメリカ映画を見ていたら、
ひと昔前の映画だから、
猛獣がジャカスカ撃たれたり、刺されたり。
猛獣に罪はないので、
襲われるようなところを徘徊する人間に、
罪があるのだ。
人を襲うのは猛獣の自然なのだから、
しかたがない。
いや、その映画では変なところがまだあった、
なんでそんな奥地へ出かけるかというと、
奥地に出土する貴金属を求めて、
冒険の旅に出るというのだ。
欲につられて、という設定はもう、
現代の我々には説得力がなくなってしまった。
貴金属を発見して、
うまく持ち帰って巨万の富を得たとしても、
そのあとはむなしいばかりである。
これがアフリカ奥地にねむる古代文明のあとを訪ねて、
というような冒険であれば、
最後まで興味をつなぐことが出来るかもしれないが。
ひと昔前の映画、というゆえんである。
テレビでやる昔の映画は、玉石混淆もはなはだしい。
また横道にそれた、
フラメンコ、フラメンコ。
洞窟のような舞台は、
写真や絵でよく見るものである。
唄い手は小柄な、猿顔の爺さんで、
この人は有名らしく、レコードも出している。
ホトトギス氏は、いかなる連想か、
「豊臣秀吉みたいな感じですね」という。
舞手の女は九人ばかり。
その中央に、大奥取締りというか、北の政所というか、
ご老女タイプの女が坐って、踊り子を統率していた。
ダンサーは端から一人ずつ出て、
爺さんの唄に合わせ、踊ってゆく。
スペイン女らしい、白い肌、黒髪の女、金髪女、
黒人風、色の浅黒いジプシー風、
とりどりの女が、きれいな衣装で舞台に並ぶ。
みな美しいが、とりわけスペイン女は美女である。
踊りも巧かった。
最後に大年増が、真打ちというか、
おもむろに立って躍ったが、これがすごい迫力、
それまでの美女の踊りの印象は消し飛んでしまった。
豊臣秀吉爺さんの唄もひときわ、哀々と澄んでいた。
フラメンコは、このごろ日本でも踊る人が多く、
神戸・生田神社の観月の宴のときの、
奉納舞踊にもなっている。
なんで神さんにフラメンコを奉納するんですか、
ときいたら、宮司さんは、
そもそも昔から神さんには海の幸、
山の幸をお供えする。
舞楽も海の向こうから来たものを奉納して、
お慰めしても、ちっともけったいやない、
という説明であった。
私は若い美女の踊りより、
大年増の踊りのほうが身に沁みたのだが、
シャンソンと同じで、フラメンコもきれいに踊りゃいい、
というものではないのかもしれない。
爺さんの唄はまた、
仕事に倦み疲れたとき、
越し方行く末を思って、
思わず出るため息のように聞かれる。
そうして、あとを引く酒のように、
ふしぎにいっぺん見ると病みつきになる。
衣装の色はそれぞれきれいなのだが、
水玉模様が多い。
重そうな裾をさばくには、
かなりのエネルギーがいるのではないかしら。
午前一時半、第一回のプログラムが済んで、
そのころからまた、観光客がつめかけてくる。
夜の遅い町だが、
車を拾おうと外へ出ると、
さすがに寝静まっていた。
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(次回へ)