「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、姥捨の月 ③

2025年01月31日 09時04分37秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・ヒヨコおまわりは更にまた、

「さいなら、
おばあちゃん、
気ぃつけてや、
何かあったらいうて来てや、
おばあちゃん」

といって帰っていった

確かに親切な男には違いない、
彼が「おばあちゃん」を連発するのも、
親愛こめて発音しているのであろうが、
そもそも日本の男は、
このヒヨコおまわりに限らない、
女には二種類しかない、
と思っているのだ、
若い女とトシヨリの二種類なのだ

女個々の人となり、
趣味、性向、値打ち、
そういうものを弁別しようという気も、
更にないのだ

トシとってれば、
「おばあちゃん」と呼んで憚らない

西洋みたいに「マダーム」という、
うやうやしい敬称は、
わずかに大阪弁の「お家はん」、
「ご寮人さん~ごりょんさん」
であろうけど、
これらはその家に隷属した、
女の敬称にすぎず、
独立した女個人への敬称ではない

「奥さん」というのも、
誰それのモチモノ、
というひびきがあるが、
それにしても「おばあちゃん」よりはマシ

これからの日本の男を教育するのは、
女の呼び方からはじまるのである

孫のようなヒヨコおまわりに、
いちいちいったところで、
のみこめるものかどうか、
大きくむくつけき体格を見たら、
ウチの孫ども同様、

「大男総身にチエがまわりかね」

という感じ、
しかしながら、
どっちかというと、
私は愛想の悪い肉親の孫より、
他人のヒヨコおまわりの方が、
可愛いってもんである

いつか長男たちが来ていたときに、
ヒヨコおまわりが来たことがあった

私が応対するのを聞いていた長男は、

「おばあちゃん、
なんでそうポキポキ、ツンケン、
偉そうに言いますねん
親切にいうてくれてんのやから、
そう偉そうにいわんと、
やさしゅう返事しなはれ
トシヨリは人に可愛らしゅう思われな、
あきまへんで」

と呆れていた

「可愛らしゅう」思われるのは、
私はかかりつけの、
向かいのビルの診療所の、
先生だけでよい

「茶飲み友達っていうのは、
どうかしら、おばあちゃん、
気が若やいで和むのと違いますか、
そういう人がいれば・・・」

と長男の嫁はいった

「ほら、
いつも電話して来はる細木さん、
なんていかが?
おじいちゃんのお友達の・・・」

「ああ、あのモウロク爺さんかいな、
死んだ嫁はんのことしかいわへん・・・
あんな退屈な爺さんと居ったら、
こっちまでシケてしまうわ

それにいうたら何やけど、
茶飲み友達なんて要らんわ、
酒飲み友達の方がええわ」

長男夫婦は顔を見合せ、

「おばあちゃん、
そんな人、居てんのん?」

「居てたらあかんか」

「いや、そら、
結構なこっちゃけど」

「なんし、
私も入ってる集まりが多いんでね、
そら、いろいろ面白い友達もいてはる
なんで茶飲み友達みたいな、
辛気くさいもんを」

ほんというと、
私は「茶飲み友達」という、
いじましい消極的な言い方が、
気にくわないのだ

まるでトシヨリ扱いだ

トシヨリは茶を飲んでいりゃいい、
というのか

枯淡が洋服を着たようなのが、
トシヨリだと、
なぜ決めつけるのかねえ

トシヨリには茶が出会いものと、
誰が決めたのだ

オール日本人、
お茶屋のまわし者か、
茶道家元のPR屋としか思えない

別にお茶を飲まなくても、
仲よしになれるのだ

この前、英会話のパーティで、
私はビルと名前をつけられた、
年輩の男性と、
踊ったり飲んだりしたが、
掛川さんという、
自称彫刻家のその老紳士は、
やはり茶を飲むより、

「アルコールの方が・・・」

というさばけた人であった

忙しいのか、
教室には精勤には来ないが、
私の持つボーイフレンドの中では、
いちばん楽しい人である

掛川氏はベレー帽なんかかぶって、
サファリルックの瀟洒ないでたち、
「茶飲み友達」なんていう言葉が、
全然ふさわしくない人なのだ

そういう老人も多いのだ

いったい、
息子や息子の嫁らの方が、
時勢におくれ、頑迷である

この子らはいま、
四十代、五十代はじめ、
この年代の人間が老年期になった頃は、
どれほど使いものにならなく、
なっているか・・・

何たって、明治生まれは、
心身ともに強じん、かつ柔軟である

昭和のはじめの生まれの人間は、
育ち盛りにろくに食べ物がなかったので、
かわいそうだが、
あたまも体も二番手、二流、
次点の人が多い

かわいそうだが、
仕方がない

もちろん明治生まれでも、
細木老人のような者もいるが、
しかしあの爺さん、
私が何かいうと、

「ホホウ!」

と無心に感心する、
そこが可愛い

長男がどんな風に伝えたか、
二、三日して次男が来て、

「おばあちゃん、
茶飲み友達、
ようけ居るねんて?」

「べつにそういう意味やないけど、
サークルにいろんな人居るさかい」

「まさか、
ダマされて僕ら知らん間に、
籍入れたの、名義変えたの、
いうのだけはせんといてや」

「あほらしい」

「おばあちゃんのことやから、
しっかりしてるさかい、
心配ないやろうけど、
何し、世の中ややこしい手合いが、
おるさかいな
何やったら、証券や権利書、
あずかろか?」

私の方が次男のを、
あずかってやりたいくらいだ

四十半ばだって、
私から見りゃはなたれ小僧だ

この次男は欲深で、
私の財産が気になってならないのである

それからして、
自分が管理したくてならないらしい

次男は気が気でならないらしいが、
私の金は私の好きなように使う

夫が死んだとき、
遺産は三人の息子に分け、
次男はそれをもとに、
ちゃんと家を建てている

私の今の財産は、
私がそのあとに作ったもの、
これを誰にやろうが、
私の好きに使っていい金であろう






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする