「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「30」 ⑥

2025年01月20日 08時56分11秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・安良木は十一月の終りにはじめて、
一条院内裏に参上した

それから間なしに、
故定子皇后の一周忌の法会が、
法興院であった

私の上京はこの法会も、
目的の一つであった

皇后大夫の公任卿のお姿は、
見えなかったが、
明順の君のお姿を遠くから見て、
老いられたのに胸をつかれた

もとの正三位に復された、
伊周の君はひまなく涙を、
ぬぐっていらっしゃる

しかし私はもう、
現実の帥の大臣(伊周の君)と、
会話したり、
悲しみを確かめあったり、
しようとは思わなかった

私がこれからつきあうのは、
私の筆によってよみがえる、
紙の上の帥の大臣であり、
故関白であるのだった

東三条女院がついに、
崩御されたという知らせと共に、
私にはもっと大きな衝撃が、
もたらされた

棟世が摂津の国庁で急死したのだ

政務を執っていて、
突然倒れたという

その日は京でも寒い日だった

暖かくしていた私邸から、
急に冷えた政庁へ出て、
それが変調のきっかけになったのか、
間もなくして前かがみに、
倒れたそうである

一度意識がもどり、
介抱する男たちに、

「海松子と安良木を呼んでくれ」

といったそうである

すぐさま使者が京に向け走った
それは辰の刻(午前八時ごろ)

しばらくして、

「おそいな」

とひと声つぶやき、
再び昏睡状態におちいって、
二刻ばかりして死んだ、
という

第二の使者はふた所に向けて、
走った

私のもとと、
京の役所・太政官に向かって

第一の使者は馬の故障で手間取り、
第二の使者と同時に、
京の私の邸に着いた

うねうねと長生きしよう、
といったのは棟世だったのに

お前には長い人生がある、
いつだって帰って来られるのだから、
と棟世はいってくれた

でも、もう帰るところなんぞ、
ありはしない、
棟世はいないのだ

棟世に残された時間は、
少なかったのだ

いやしかし、
それもこれも煩悩というもの、
あの数カ月、
棟世と暮らせた幸福を、
大事に思おう

私は安良木と抱き合って泣いた

難波へおもむき、
彼を葬り、彼のお骨を、
安良木と二人で代わる代わる抱いて、
京へ持ち帰った

鳥辺野の葬儀の日は、
一年前の故中宮のときと、
同じように雪が舞った

棟世の死も、
しかし外の世界を知りそめた、
安良木の若い心を、
抑えつけることはできないようだ

赤く泣きはらした目で、
彼女は、

「喪が明けたら出ていらっしゃい、
と中宮さまからお言葉がありました
おばさまを打ち捨てて心配ですけど、
わたくし、
中宮さまから、
お目をかけて頂くようになって、
まだ日が浅いのですもの、
あまり長く離れてしまうと、
何だか心の通い合いが、
途切れてしまうようで淋しくて」

というのであった

それは全く、
昔の私と定子中宮の間柄を、
見るようであった

「ええ、そうね、
早く戻ってさしあげて
中宮などと申しあげて、
どんなにみ位が高くても、
まだお若い女性ですもの、
心細くも辛くも窮屈に思われることも、
多いでしょう
そういうときに、
心を打ち割って話せるお話相手の女房は、
どんなにか嬉しいお慰めでしょう

安良木がそんな風になれば、
きっとお喜びになってよ」

と私は涙をぬぐいながらも、
微笑む

安良木は私の言葉に、
力づけられたようであった

「わたくしはね、
御前では『こまやか』という名を、
頂いております

中宮さまが、

『あなたは心づかいの、
こまやかな人ね』

とおっしゃって下すって

『おだやか』とか『みやびやか』とか、
『におやか』などという名を、
つけられた人々がいます

でもわたくしのことを、
中宮さまは『こまやか』を略して、
『こま』なんて、
ときどきお呼びになるの・・・」

話すうちに安良木の目に、
光がみなぎり、
頬が赤みをさし、
唇はほころんだ

「すばらしい中宮さまです
明るくて無邪気で、
そして悪気の一点もないお方!
まだ十四でいらっしゃいますのに、
おん三つの一の宮を、
ご自分のお子のように、
可愛がっていらっしゃいます」

一の宮というのは、
故定子中宮のお忘れ形見の、
敦康親王だった

親王もその姉宮も、
彰子中宮のお手元に、
いまは引き取られなすって、
いるそうだった

安良木は故中宮のことは、
知らない

母宮のお顔も知らない、
幼い宮たちのあわれさを、
深く知るわけはない

でも、それでいいのだ、
世の中はどんどん変わり、
うつろってゆくのだ

棟世の喪に服しつつ、
私は「春はあけぼの草子」を、
書きついでいた

棟世の邸は彼の兄弟が、
遺産相続に名乗り出して、
わずらわしいため、
私は三條の私邸にひきこもっていた

棟世の遺産のほとんどは娘に、
その残りの何分の一かが、
私に与えられた

彼の一族は、
したたかな受領たちで、
遺産相続の手際もあざやかだった

私は私に与えられた分から、
更にいくらかを割いて、
彼の最後を看取ったという、
逢坂の里の女に与えた

どんな女か、
見たことはないけれど、
棟世が最後につぶやいた、

「おそいな」

という言葉は、
もしかしたらその女のことを、
いったのかもしれない

棟世の形見の品は、
一つも残さなかった

私は彼の思い出だけで、
たくさんだったから






          


(了)

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