・私は手紙を書くのはおっくうがるくせに、もらうのは大好きだ。
私のところには未知の人からの手紙も多いが、
それはのけておいて、友人知人からもらう手紙について。
このごろは、みな手紙を書かなくなり、電話で済ます。
電話は相手の都合を考慮しないので、失礼きわまるもの、といってよい。
長電話の楽しみを知らないわけではないが、
手紙で代用できれば、その方がいい。
長い電話でしゃべり合うことは、あと、何も残らぬものである。
しかし、手紙だと半永久的に残って、具合悪い場合もあろうが、
いつまでも人の心をうるおし、人生に深い愉悦をもたらす。
電話の声を封じ込めることは出来ないが、手紙は残っていく。
そして、ほっとした時、それを開いてゆっくり読める。
例外としたら、老いた身内が遠くに住んでいる。
そこへ電話して肉声を聞いて健在を確かめる、というようなことは必要で、
電話の便利さが心の暖かさを保ち助けてくれる。
お悔やみを電話で言う人もあり、時と場合によるけど、
何年か前、友人のお母さんが亡くなったという電話が、
別の友人からかかってきた。
「今やったら、家にいるはずやから、電話かけてあげなさいよ」
と、その友人はすすめたが、私は電話出来なかった。
お悔やみもなぐさめも、
電話で言う筋合いのものではないように思われる。
直接会って言うか、手紙の方がいい。
母を失ったばかりの友人が涙を拭き拭き電話口に出るのを、
想像しただけで、気の毒でいたいたしい気がして、
私にはとても出来なかった。
頼み事というのも、電話で言い辛いが、
これは断る方としてはいいかもしれない。
顔を合わせていないと断りやすい。
それも電話より手紙の方が角が立たなくていい。
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・手紙の利点、まずは便せんと封筒のおしゃれがある。
それから筆跡も楽しめる。
(わ~~!それがあるから手紙はいや!)
と思われる人もあるけれど、
美しい字というのは、書道の優等生の字というのではなく、
その人の個性が出ていればいい。
みながお習字のお手本のようになったら、
味気ないことであろう。
まん丸い字、角張った字、みんなそれぞれ、
その人の人柄と照り映えた時「いい字」になる。
ただ、困る字が二通りある。
一つは他人にまるで読めない悪筆。
ひどいくせ字、これは矯正した方がいい。
性格はなおらなくても、字のくせは直るものである。
ことに美しい女の人の悪筆は悲しいものである。
もう一つは、我流の続け字。
見事だろう!と言わんばかりの達筆すぎるもの。
見事すぎて判読しかねるものや、我流の続け字、
それもその人のすべてを反映するものであろうけれど。
文章は電話でしゃべる通りを書くと手紙になるので、
かくべつ才能が要るわけではなく、
素直に出た言葉が「いい手紙」である。
物を書くということを仕事にしていると、
かえって手紙は面倒で筆不精になる。
仕事にエネルギーを吸い取られたあとは、
もう字を書くのも読むのもいやになる。
私はあちこちで目についた便せんと封筒を買っておく。
その中から、宛て名の人にふさわしいものをよっている。
大人の女の魅力は「個性」に尽きるのであって、
それを発揮するチャンスの一つは「手紙」である。