「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、手紙のすすめ

2022年02月21日 09時03分51秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私は手紙を書くのはおっくうがるくせに、もらうのは大好きだ。

私のところには未知の人からの手紙も多いが、
それはのけておいて、友人知人からもらう手紙について。

このごろは、みな手紙を書かなくなり、電話で済ます。
電話は相手の都合を考慮しないので、失礼きわまるもの、といってよい。

長電話の楽しみを知らないわけではないが、
手紙で代用できれば、その方がいい。

長い電話でしゃべり合うことは、あと、何も残らぬものである。
しかし、手紙だと半永久的に残って、具合悪い場合もあろうが、
いつまでも人の心をうるおし、人生に深い愉悦をもたらす。

電話の声を封じ込めることは出来ないが、手紙は残っていく。
そして、ほっとした時、それを開いてゆっくり読める。

例外としたら、老いた身内が遠くに住んでいる。
そこへ電話して肉声を聞いて健在を確かめる、というようなことは必要で、
電話の便利さが心の暖かさを保ち助けてくれる。

お悔やみを電話で言う人もあり、時と場合によるけど、
何年か前、友人のお母さんが亡くなったという電話が、
別の友人からかかってきた。

「今やったら、家にいるはずやから、電話かけてあげなさいよ」

と、その友人はすすめたが、私は電話出来なかった。

お悔やみもなぐさめも、
電話で言う筋合いのものではないように思われる。

直接会って言うか、手紙の方がいい。
母を失ったばかりの友人が涙を拭き拭き電話口に出るのを、
想像しただけで、気の毒でいたいたしい気がして、
私にはとても出来なかった。

頼み事というのも、電話で言い辛いが、
これは断る方としてはいいかもしれない。
顔を合わせていないと断りやすい。

それも電話より手紙の方が角が立たなくていい。


~~~


・手紙の利点、まずは便せんと封筒のおしゃれがある。
それから筆跡も楽しめる。

(わ~~!それがあるから手紙はいや!)
と思われる人もあるけれど、
美しい字というのは、書道の優等生の字というのではなく、
その人の個性が出ていればいい。

みながお習字のお手本のようになったら、
味気ないことであろう。

まん丸い字、角張った字、みんなそれぞれ、
その人の人柄と照り映えた時「いい字」になる。

ただ、困る字が二通りある。

一つは他人にまるで読めない悪筆。
ひどいくせ字、これは矯正した方がいい。

性格はなおらなくても、字のくせは直るものである。
ことに美しい女の人の悪筆は悲しいものである。

もう一つは、我流の続け字。
見事だろう!と言わんばかりの達筆すぎるもの。

見事すぎて判読しかねるものや、我流の続け字、
それもその人のすべてを反映するものであろうけれど。

文章は電話でしゃべる通りを書くと手紙になるので、
かくべつ才能が要るわけではなく、
素直に出た言葉が「いい手紙」である。

物を書くということを仕事にしていると、
かえって手紙は面倒で筆不精になる。

仕事にエネルギーを吸い取られたあとは、
もう字を書くのも読むのもいやになる。

私はあちこちで目についた便せんと封筒を買っておく。
その中から、宛て名の人にふさわしいものをよっている。

大人の女の魅力は「個性」に尽きるのであって、
それを発揮するチャンスの一つは「手紙」である。






          


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