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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

33、横笛 ③

2024年03月17日 08時47分16秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧は笛を吹いていた。
柏木遺愛の笛である。

夕霧は、
疎々しい夫婦仲、
というものについて、
想像しにくかった。

夕霧自身は雲井雁と、
仲むつまじい間柄だったから。

夕霧の浮気沙汰から、
妻の嫉妬を買うということも、
なく穏やかな月日を送ってきた。

それゆえ、
雲井雁は夫の誠実さに馴れて、
いまもわがままで、
我を通すところがある。

夕霧の方が折れてしまう。

そんなこともしみじみかえりみられ、
いつの間にか、
うとうとしていた。

すると柏木衛門督が、
夢に出てきた。

生きていたときのままの、
白いうちぎ姿で、
夕霧のすぐ側にいて、
笛を手に取っていた。

夢と夕霧はわかっていて、

(おお、
この笛に執念を残して現れたな)

と思った。

柏木は悲しげに、

「この笛は、
子孫に伝えたかったのだ。
予期に反して、
君の手に入ったのだねえ」

という。

夕霧は夢のことを考えると、
この笛を持っているのが、
重荷になってきた。

亡き人が執着していたものを、
自分が持つのは、
適当でない。

夕霧は柏木の葬送をした、
愛宕の念仏寺で誦経させたり、
供養させたりしたが、
この笛を寺に寄進してしまうのも、
はかない気がして手放せない。

夕霧は父の邸、六条院へ参上した。

父源氏は娘の明石の女御の方にいる。
女御のお生みになった三の宮は、
いま三つばかり。

紫の上が引き取って、
ご養育している。

夕霧は女御のお部屋へ行った。

こちらでは、
兄宮の二の宮が、
若君の薫と一緒に、
遊んでいられるのを、
源氏が相手になっているところ。

夕霧がふと見ると、
宮のほかに、
もっと小さな二つばかりの、
若君がいる。

薫である。

薫は本来なら、
宮たちと同じように、
扱ってはならない。

臣下の身分なのであるが、
分けへだてしては、
尼君である母の女三の宮が、
心の負い目から、
ひがまれてしまうのではないか、
と源氏は気をつかっている。

それで宮たちと同じように、
大切に世話をして可愛がるのも、
源氏のやさしい配慮だった。

夕霧はまだ、
薫の君をつくづく見たことは、
なかった。

何と美しい子だろう。

色白で気品があって、
ふっくら太っている。

宮たちより愛らしく、
美しい。

そう思って見るせいか、
匂うような目もとが、
柏木によく似ている。

薫がにこにこ笑う。

はっとするほど、
口もとも柏木そっくりである。

これでは父君も、
気付かれぬはずはあるまいと、
夕霧はいっそう、
父の気持ちが知りたくなった。

(亡き友の両親が、
忘れ形見でもあれば、
と泣き悲しんでいられたが、
ここにこうしてと、
お知らせしないのは、
罪深いことではないだろうか)

そういう心の底から、

(まさか・・・
あるべきことではないが・・・
しかし)

と思い返す。

夕霧は父と共に対へ行って、
ゆっくり話すうちに、
日も暮れた。

一條の宮にまいったときの、
様子を話すのを、
源氏は微笑して聞いていたが、

「夕霧も、
亡き人への友情を忘れず、
未亡人に力になろうというのなら、
潔白な親切だけで、
お世話するほうがよい。
いっときの過ちなどないほうが、
双方にとっても、
後悔の種を作らずに済む、
と思うのだが」

源氏の言葉は、
夕霧にとって片腹痛い。

息子に教訓するとは、
ご自分の恋愛沙汰はどうなんだ、
と心中思いながら、

「私に何の過ちなど、
ございましょう。
遺言を守って、
お世話をしているだけです」

などと話すうちに、
丁度よい折だと思って、
あの夢の話をした。

源氏は黙って聞いていたが、

「それはこちらへ預かろう。
もともと陽成院の御笛でね。
故式部卿の宮が、
伝えていられたのを、
柏木が妙手だったので、
感心されて贈り物にされた」

源氏はそう言いつつ、
笛の伝え手は薫にこそ、
と思っていた。

亡き人も、
それを期待していよう。

(夕霧は思慮ある男、
この秘密を、
感づいているのかもしれぬ)

源氏は内心思っている。

夕霧は柏木のことを、
いい出しにくかったが、
やはり一度は耳に入れたく、

「柏木の臨終に、
見舞いに行きましたら、
いろいろ遺言しましたうちに、
六條院におわびせねばならぬ、
くれぐれもよろしく、
と申しました。
何のことかわけがわかりません」

源氏は、

(やはり夕霧は知っていた)

とわかったが、
何で真相を打ち明けられよう。

しかし、
静かにいった。

「人の恨みを買う様子など、
見せたおぼえはないのだが、
そのうちまた、
ゆっくり話そう」

夕霧は恥ずかしくなって、
口をつぐんだ。






          


(次回へ)

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