
・夕霧は笛を吹いていた。
柏木遺愛の笛である。
夕霧は、
疎々しい夫婦仲、
というものについて、
想像しにくかった。
夕霧自身は雲井雁と、
仲むつまじい間柄だったから。
夕霧の浮気沙汰から、
妻の嫉妬を買うということも、
なく穏やかな月日を送ってきた。
それゆえ、
雲井雁は夫の誠実さに馴れて、
いまもわがままで、
我を通すところがある。
夕霧の方が折れてしまう。
そんなこともしみじみかえりみられ、
いつの間にか、
うとうとしていた。
すると柏木衛門督が、
夢に出てきた。
生きていたときのままの、
白いうちぎ姿で、
夕霧のすぐ側にいて、
笛を手に取っていた。
夢と夕霧はわかっていて、
(おお、
この笛に執念を残して現れたな)
と思った。
柏木は悲しげに、
「この笛は、
子孫に伝えたかったのだ。
予期に反して、
君の手に入ったのだねえ」
という。
夕霧は夢のことを考えると、
この笛を持っているのが、
重荷になってきた。
亡き人が執着していたものを、
自分が持つのは、
適当でない。
夕霧は柏木の葬送をした、
愛宕の念仏寺で誦経させたり、
供養させたりしたが、
この笛を寺に寄進してしまうのも、
はかない気がして手放せない。
夕霧は父の邸、六条院へ参上した。
父源氏は娘の明石の女御の方にいる。
女御のお生みになった三の宮は、
いま三つばかり。
紫の上が引き取って、
ご養育している。
夕霧は女御のお部屋へ行った。
こちらでは、
兄宮の二の宮が、
若君の薫と一緒に、
遊んでいられるのを、
源氏が相手になっているところ。
夕霧がふと見ると、
宮のほかに、
もっと小さな二つばかりの、
若君がいる。
薫である。
薫は本来なら、
宮たちと同じように、
扱ってはならない。
臣下の身分なのであるが、
分けへだてしては、
尼君である母の女三の宮が、
心の負い目から、
ひがまれてしまうのではないか、
と源氏は気をつかっている。
それで宮たちと同じように、
大切に世話をして可愛がるのも、
源氏のやさしい配慮だった。
夕霧はまだ、
薫の君をつくづく見たことは、
なかった。
何と美しい子だろう。
色白で気品があって、
ふっくら太っている。
宮たちより愛らしく、
美しい。
そう思って見るせいか、
匂うような目もとが、
柏木によく似ている。
薫がにこにこ笑う。
はっとするほど、
口もとも柏木そっくりである。
これでは父君も、
気付かれぬはずはあるまいと、
夕霧はいっそう、
父の気持ちが知りたくなった。
(亡き友の両親が、
忘れ形見でもあれば、
と泣き悲しんでいられたが、
ここにこうしてと、
お知らせしないのは、
罪深いことではないだろうか)
そういう心の底から、
(まさか・・・
あるべきことではないが・・・
しかし)
と思い返す。
夕霧は父と共に対へ行って、
ゆっくり話すうちに、
日も暮れた。
一條の宮にまいったときの、
様子を話すのを、
源氏は微笑して聞いていたが、
「夕霧も、
亡き人への友情を忘れず、
未亡人に力になろうというのなら、
潔白な親切だけで、
お世話するほうがよい。
いっときの過ちなどないほうが、
双方にとっても、
後悔の種を作らずに済む、
と思うのだが」
源氏の言葉は、
夕霧にとって片腹痛い。
息子に教訓するとは、
ご自分の恋愛沙汰はどうなんだ、
と心中思いながら、
「私に何の過ちなど、
ございましょう。
遺言を守って、
お世話をしているだけです」
などと話すうちに、
丁度よい折だと思って、
あの夢の話をした。
源氏は黙って聞いていたが、
「それはこちらへ預かろう。
もともと陽成院の御笛でね。
故式部卿の宮が、
伝えていられたのを、
柏木が妙手だったので、
感心されて贈り物にされた」
源氏はそう言いつつ、
笛の伝え手は薫にこそ、
と思っていた。
亡き人も、
それを期待していよう。
(夕霧は思慮ある男、
この秘密を、
感づいているのかもしれぬ)
源氏は内心思っている。
夕霧は柏木のことを、
いい出しにくかったが、
やはり一度は耳に入れたく、
「柏木の臨終に、
見舞いに行きましたら、
いろいろ遺言しましたうちに、
六條院におわびせねばならぬ、
くれぐれもよろしく、
と申しました。
何のことかわけがわかりません」
源氏は、
(やはり夕霧は知っていた)
とわかったが、
何で真相を打ち明けられよう。
しかし、
静かにいった。
「人の恨みを買う様子など、
見せたおぼえはないのだが、
そのうちまた、
ゆっくり話そう」
夕霧は恥ずかしくなって、
口をつぐんだ。



(次回へ)