むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

33、横笛 ②

2024年03月16日 08時09分27秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・夕霧大将は、
亡き友、柏木が臨終に、
言い残したことをいつも、
思い出していた。

父源氏に聞きたくもあり、
探りたいと思うのだが、
推量されることもあるだけに、
かえって言い出しにくい。

秋の夕暮れ、
一條の宮(柏木の正妻、二の宮)が、
しのばれて夕霧は出かけた。

宮は、
しめやかに和琴を弾いていられ、
急の訪問に、
楽器を片づける間もなく、
そのまま夕霧を招き入れた。

夕霧はいつものように、
お相手に出られた、
母君の御息所と話しながら、
いよいよこの邸に惹かれてゆく。

夕霧の自邸は、
子供も多く、
人の出入りも騒がしく、
活気があるから、
まさにこの邸とは、
対照的である。

ひと気も少なく、
荒れて見えるが、
咲き乱れる花に夕映えがさし、
ひそやかな美しさ。

夕霧にはすべてが、
身にしむ心地がする。

夕霧は今まで宮が弾いていた、
和琴を取り寄せかき鳴らした。

「これは亡き人の、
手慣れの琴ですね。
宮にはきっと、
柏木の君の音色が、
伝えられていることでしょう。
お聞かせ下さいませんか?」

御息所は答えられる。

「宮は、
あの方が亡くなられてから、
ふっつりとお琴には手も、
お触れになりません。
お琴も悲しい思い出を誘うばかり、
なのでございましょう」

折から月が昇った。

風は肌寒く、
夜は更け、
物のあわれを誘われなすったか、
宮は筝の琴をかき鳴らされた。

これなら、
和琴もさぞかし、
美しい音色を奏でられる、
ことだろうと、
夕霧はいよいよあこがれる。

「長居をいたしました。
あまり夜更けまで長居をしては、
亡き人に咎められましょう。
これでおいとまいたします。
またいずれお伺いいたしましょう。
それまでに、
他の男の人がこのお琴を、
弾くことはないと、
お約束頂けますか?」

それは、
ほのかに匂わせた、
宮への求愛である。

御息所は気付かぬふうに、

「今宵のご風流は、
亡き人も許しましょう」

といって、
お礼の贈り物に添えて、
笛を夕霧に贈られた。

「この笛は由緒ある、
笛だそうでございます。
こんな草深い家に、
埋もれさせるのも、
勿体なく存じますので、
さし上げます」

「こんな立派なもの、
私には似合わぬもの」

夕霧が見ると、
亡き柏木が肌身離さず、
大事にしていた名笛だった。

柏木自身、

「自分では吹きこなせない。
妙手の人に伝えたい」

と常々いっていたもの。

御息所は歌を詠まれる。

<露しげき
むぐらの宿に
いにしえの
秋に変わらぬ
虫の音かな>

夕霧は返した。

<横笛の
調べはことに変わらぬを
むなしくなりし
音こそつきせね>

夕霧が三條の自邸へ帰ったのは、
深夜だった。

人々は寝静まっていた。

(一條の宮にこの頃、
ご執心で親切にして、
いらっしゃいます)

などと告げ口する女房がいる。

北の方の雲井雁は、
夜更けに帰ってくる夫を、
憎らしく思う。

入ってきた気配を知りつつ、
わざと寝たふりをしている。

夕霧は機嫌がよい。

夕霧は妻を呼ぶが、
雲井雁は不機嫌にそら寝して、
相手にしない。

夕霧の心は、
また一條邸に飛んでゆく。






          


(次回へ)

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