・夕霧大将は、
亡き友、柏木が臨終に、
言い残したことをいつも、
思い出していた。
父源氏に聞きたくもあり、
探りたいと思うのだが、
推量されることもあるだけに、
かえって言い出しにくい。
秋の夕暮れ、
一條の宮(柏木の正妻、二の宮)が、
しのばれて夕霧は出かけた。
宮は、
しめやかに和琴を弾いていられ、
急の訪問に、
楽器を片づける間もなく、
そのまま夕霧を招き入れた。
夕霧はいつものように、
お相手に出られた、
母君の御息所と話しながら、
いよいよこの邸に惹かれてゆく。
夕霧の自邸は、
子供も多く、
人の出入りも騒がしく、
活気があるから、
まさにこの邸とは、
対照的である。
ひと気も少なく、
荒れて見えるが、
咲き乱れる花に夕映えがさし、
ひそやかな美しさ。
夕霧にはすべてが、
身にしむ心地がする。
夕霧は今まで宮が弾いていた、
和琴を取り寄せかき鳴らした。
「これは亡き人の、
手慣れの琴ですね。
宮にはきっと、
柏木の君の音色が、
伝えられていることでしょう。
お聞かせ下さいませんか?」
御息所は答えられる。
「宮は、
あの方が亡くなられてから、
ふっつりとお琴には手も、
お触れになりません。
お琴も悲しい思い出を誘うばかり、
なのでございましょう」
折から月が昇った。
風は肌寒く、
夜は更け、
物のあわれを誘われなすったか、
宮は筝の琴をかき鳴らされた。
これなら、
和琴もさぞかし、
美しい音色を奏でられる、
ことだろうと、
夕霧はいよいよあこがれる。
「長居をいたしました。
あまり夜更けまで長居をしては、
亡き人に咎められましょう。
これでおいとまいたします。
またいずれお伺いいたしましょう。
それまでに、
他の男の人がこのお琴を、
弾くことはないと、
お約束頂けますか?」
それは、
ほのかに匂わせた、
宮への求愛である。
御息所は気付かぬふうに、
「今宵のご風流は、
亡き人も許しましょう」
といって、
お礼の贈り物に添えて、
笛を夕霧に贈られた。
「この笛は由緒ある、
笛だそうでございます。
こんな草深い家に、
埋もれさせるのも、
勿体なく存じますので、
さし上げます」
「こんな立派なもの、
私には似合わぬもの」
夕霧が見ると、
亡き柏木が肌身離さず、
大事にしていた名笛だった。
柏木自身、
「自分では吹きこなせない。
妙手の人に伝えたい」
と常々いっていたもの。
御息所は歌を詠まれる。
<露しげき
むぐらの宿に
いにしえの
秋に変わらぬ
虫の音かな>
夕霧は返した。
<横笛の
調べはことに変わらぬを
むなしくなりし
音こそつきせね>
夕霧が三條の自邸へ帰ったのは、
深夜だった。
人々は寝静まっていた。
(一條の宮にこの頃、
ご執心で親切にして、
いらっしゃいます)
などと告げ口する女房がいる。
北の方の雲井雁は、
夜更けに帰ってくる夫を、
憎らしく思う。
入ってきた気配を知りつつ、
わざと寝たふりをしている。
夕霧は機嫌がよい。
夕霧は妻を呼ぶが、
雲井雁は不機嫌にそら寝して、
相手にしない。
夕霧の心は、
また一條邸に飛んでゆく。
(次回へ)