・そうねえ・・・あの話はもう五、六年前のこと。
ここ一、二年の新参のあなたたちは知らないでしょうね。
うわさではそれとなく聞いておいでかもしれないけれど。
でも、さきごろ、「あのかた」も亡くなってしまわれたことだし、
話してあげてもいいわ。
北の方はそういって若い女房たちを見、いたずらっぽく微笑んだ。
ここは、左大臣、藤原時平の本院邸。
北の方はまだ二十四、五、女盛りの艶麗な美女で、
もともとこの女(ひと)は在原業平の孫娘になる。
美男美女の家系である。
庭の萩は散ってしまった。
薄もはや、白いかしらをうち乱してほほけ、
草は枯れている。
菊の色も移り、ただあざやかなのはりんどうだけ。
築山の向こうには滝があるが、
その水音がひびくばかり。
静かな秋の午後である。
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・あのかた・・・というのはね、国経(くにつね)の大納言。
あたしはもと、そのかたの妻だったの。
身分の高いお金持ちの家へ、望んでもらわれるのだよ、
といわれて結婚してみれば、まあどうでしょう、
夫になる人は七十過ぎた老人、
あたしはまだ二十になるやならず・・・
なんでこんな運命を引き当ててしまったのかと、
口惜しいったら、なかったわ。
大納言夫人として、何不自由ない暮らしでもあったわ。
でも、毎日毎日、つまらなくて・・・
あたしはごく幼いときから男たちに目をつけられて、
付け文は引きも切らず、生い立つにつれて、
自分でも美しいことがよくわかったから、
男たちの求愛をわずらわしそうに見せながら嬉しくってたまらなかった。
男たちを焦らしたり、喜ばせたり、かと思うと悲嘆のどん底に、
突き落したりするのが楽しくてならなかったわ。
とびきり、イキのいい青春だったわけ。
親たちはそんなあたしを心配したあまり、
金持ちで社会的地位もある年寄りを、
あたしの夫兼庇護者にしたということなのね。
正直、あたしは夫にあきたりなくて、
たとえば都で名高い色好みの平中(へいちゅう)などという男と、
ひそかに逢ったりしていたわ、そんなことでもなければ、
憂さ晴らしのしようがなかったの。
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・ある年の正月、
「時平の大臣が年賀に来られる」
と夫の大納言が大さわぎするじゃないの。
時平の大臣といえばいま飛ぶ鳥落とす勢いの政界の第一人者。
帝の覚えめでたく、お年は三十いくつ、というお若さだけれど、
世にすぐれた才幹に加えて、何とも美男でいらっしゃるという噂。
それはともかく、一の人ともあろうかたが、
なぜ目下の大納言の邸へお年賀に・・・とあたしが不審がると、
「大臣はわしの甥に当られる。
このごろは宮中でも、何かにつけ、伯父上、伯父上と、
お声をかけて礼を示して下さってな、
お若いがよう出来たおかたじゃよ」
と夫は自慢そうにいうのよねえ。
あたしはまた、噂では、時平の大臣はずいぶん鼻っ柱が強く、
権門の傲慢さを誇ってはばからぬ人、と聞いていたけど、
ほんとはおやさしいところのあるかたなのかしら、
などと考えたりして。
でももちろん、嬉しかったわ。
有名な美男の大臣、若い権勢家を、
この目で近々に見られるのだと思うと、
胸が高鳴ったの。
単調な、面白みのない、滅入った生活にひと筋の光明が射した思い。
夫はもう、夢中で家を磨き立て、
ご馳走を山のように準備して待っていたわ。
大臣がおいでになるとなれば、
お供も多いことだろうというので。
正月の三日目、果たして大臣は上達部や殿上人の、
立派な方々を引き連れていらしたわ。
夫はもう有頂天。
たちまち酒宴がはじまったの。
申の刻(午後四時過ぎ)にいらしたものだから、
盃をめしあがるうちに早い冬の日も暮れてきて、
家内に灯が入りはじめたわ。
あたしはやっと待ちかねたように、
そうっと酒宴の席の側まで行って、一行をながめたの。
もちろん、御簾や屏風越し。
女は絶対に夫や父親以外の男に顔を見せない、
というのが女のたしなみですものね。
灯は明るかった。
殿方たちは歌を歌ったり、お酒を召し上ったりして、
ほんとにみな愉快そうに酔っていらした。
どのかたもどのかたも、
若々しく精気にあふれ、男らしくたくましそう。
(次回へ)