むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「21」 ③

2024年12月04日 09時02分12秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・伊周の大臣、
正確にいえば前の大臣、
というべきであるが、
我々の間ではいまも、
大臣と呼び慣らわしている

流罪に当られて、
都を追われなすった事実を、
私たちは認めたくない気持ちが、
あったし、
中宮を頂点に据えられた私たちの、
世界では世間の慣行や、
掟とは別の秩序がある

そんな風に思いたかった

またそれを信じきる魔力が、
中宮にはおありになるが、
庚申の夜の準備を、
心を尽くしてなさる

この夜は、
何しろ眠れないのだから、
大変である

美味しい食べ物、
酒などの用意、
碁・双六、
絵合わせ歌合わせ、
物語を論じたり読んだり、
というさまざま愉しいまどいを、
設営しなければならない

伊周大臣は、
そういうことにかけては、
とても才能のある方で、
私たちも久しぶりに、
故関白さまがご在世のころと、
同じような活気と花やぎを、
とりもどして、
座は夜が更けるほど、
ますます賑わしくなる

明るく点じられた大殿油、
女房たちも今宵は、
一人も欠けず参上していて、
人がぎっしり、
眠気も吹っ飛んでしまう

私はその夜、
経房の君がいつぞや、
いっていらした物語を、
聞くことが出来た

それはかの、
目立ちたがりの陽気な伊達男、
藤原宣考(のぶたか)と、
結婚したという、
越前守・藤原為時の娘が書いた、
ものだそうである

宣考がかなり自慢して、
人に見せているのだそうだ

娘時分から書きためていて、
それがこうやって、
世間に広まっているものらしかった

今夜の席には、
鷹司どのにお仕えする女房で、
歌よみとして名高い、
赤染衛門という人の書いた、
物語も持ちこまれている

私は兵部の君を通じて、
赤染衛門と呼ばれる人とも、
顔見知りであった

そういうことが、
私を左大臣家のまわしもの、
と疑われる原因になっていた

鷹司どのというのは、
左大臣・道長の君の北の方、
倫子の上のことである

赤染衛門は、
学者の大江匡衡(まさひら)の妻で、
子供も大きくなっている、
中年婦人だが、
よく太って若々しく見え、
気立てはゆったりと、
おうような人で、
誰にも好かれているようである

彼女の歌は、
私からいわせると、
規格品めいてうまみはないが、
世間ではたいそう高く、
評価されている

学者の家に嫁いだこともあって、
男そこのけの才学を、
謳われている人だが、
彼女の文章はその歌同様に、
私にはまどろかしく、
感じられる

むしろ、
為時の娘の小説の方が、
文章に折々才気があっていい

「うつせみ」
というその題もよかった

若い貴公子が方違えに行った先の、
邸の人妻と契る、という、
さらりとした短編であるが、
印象的な描写があっていい

しかしこれだけではまだ、
海のものとも、
山のものとも、
わからない淡白さである

二つの物語を、
声の美しい若い小弁の君と、
小兵衛の君が読む

そのあいだ、
私たちは中宮の御前だというのに、
今宵は特にゆるされて、
くつろいで聞いている

幸い今宵は、
風も涼しく通ってよい

赤染衛門の短い物語は、
古い時代の帝の一代記で、
とりたてて山もなく、
まるで講義を受けている、
といったもの

私は為時の娘の、
「うつせみ」に惹かれて、

「これをお貸し下さるわけには、
まいりませんかしら・・・
筆写してお返ししますわ」

といった

「ほう
これがお気に入りましたかな」

伊周の君はにっこりなさる

「どうぞお持ち下さい
宣考は結婚したその若い妻の、
文才がひどく自慢らしくて、
本人がいやがるのに、
あちこち見せ歩いているから、
おだてればまた、
ほかのも見せるかもしれない」

「そんなにたくさん、
書いているのでございますか」

「短編の連作を、
しているようですね
ほかに、
『ゆうがお』とか、
『すえつむはな』などという題を、
聞きました
女はみな物語好きとみえて、
私の妻のところにいる、
女房たちも奪い合って、
読んでいるようだ」

伊周の君は、
妹の中宮に向かれて、

「ご感想はいかがです」

「物語は聞いているうち、
眠くなってしまって、
庚申待ちには、
ふさわしくありませんね」

中宮は笑いながらいわれる

「聞きながら、
考えていたのだけれど、
物語よりも、
わたくしたちがいつも交わす、
話のほうが面白い気がするわ
ほら、
たとえば、
この間も、
『いい匂いの思い出の話』
と言い合ったでしょう
そういう話の方が、
わたくしにはずっと面白く、
思えてよ
そうねえ・・・
笛はどういうのがいいか・・・」

中宮は人々の気持ちを、
活発に引き立てられる

「少納言、
笛は何が好き?」

「は、
横笛でございましょうか」

私は主上が、
お笛の名手であられるので、
つい、そういう

「遠くから聞こえる笛の音が、
しだいに近くなりますのも、
心おどりますし、
反対に近くで聞こえていたのが、
遠ざかってゆくのも、
しみじみした風情でございます」

「そうね、
それにふところに入れても、
袂に隠しても、
かさばらないところが、
面白うございます」

小弁の君が続ける

「おや、
盗むのにちょうどいい、
ってわけかね?
中宮さま、お気を付けください」

と、弟君、隆家の君が、
あいかわらず遠慮のない、
合いの手を入れられて、
どっと座がにぎやかにどよもされる

「車の中から聞こえるのも、
かちで歩きながらゆくのも、
馬上で吹きながらいく殿方も、
笛はいいものでございます」

宰相の君がうっとり、
いったものだから、

「誰だ、誰だ、
その男は・・・」

伊周の君が責められる






          

(次回へ)







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