むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「21」 ②

2024年12月03日 08時49分44秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・そうだ、
まだ則光と暮らしていたころ、
則光が夫で私が妻であることを、
全く疑わないで暮らしていたとき、
あれは、七、八年前のことなのに、
もう何十年も遠い昔の、
気がする

私が初夏の山里の風趣が、
好きなのを知って、
連れ出してくれるのであった

則光自身も田舎の風物が、
好きな男だった

則光は馬に乗り、
車の前になり後になりしてゆく

小鷹丸といった上の子は、
則光に抱かれて馬上にいた

その下の小隼丸は、
従者と共に馬に乗って、
はしゃいでいた

おとなしくて美しい、
五つ六つの末っ子の吉祥丸は、
私の膝に

車の窓から見る景色は、
いまこの景色と、
そっくり同じだった

やわらかな新芽の枝、
蓬の匂い、
あのときの車の中には、
吉祥の乳母や、
私の乳母子の浅茅がいた

浅茅は今も私の三条の邸に、
折々来て、子供たちの情報を、
もたらしてくれる

小鷹丸は元服して、
一人前の男になってしまった

私の生んだ子ではないけれど、
折々は思い出す

小鷹はいま、
則長(のりなが)という名になっている

(おれのお袋は、
中宮にお仕えして、
清少納言の君と、
呼ばれているんだ)

と人に話していた、
と聞くこともあった

私のことを、
お袋と思っているのであろうか

男の子なので、
かなり早くに、
手を離れてしまったから、
馴染みは深くなかったけれど、
私のことを人に話して、
誇らしく思っていてくれる、
とすれば嬉しかった

小鷹は父に似たのか、
気性のさっぱりした、
如才ない子で、
私のことをすぐに、
「お母ちゃん」と呼んだ

吉祥はやっと、
「うまうま」がいえる、
赤ん坊だった

あの子は私が家を出てから、
お坊さんになってしまった

長いこと会っていない

そんなことを思い続けていて、
しかし、彼らに会いたいという、
欲求もなかった

私はただいま、
この現在の境遇に、
満足しやすい女なのだ

「ここは小二条の殿の、
ご別荘でございます」

という従者の声に、
ふと見ると趣ありげな、
田舎屋だった

小二条の殿というのは、
中宮の伯父君、高階明順の君のこと

中宮をいつもかわらず、
庇って下さる伯父君で、
兄君・伊周の君や、
弟の隆家の君が都を離れて、
いらしたとき、
中宮はこの伯父君の邸に、
身を寄せられていられた

明順の君は、
風変わりな隠者趣味のある方、
として有名で、
世間の人気も悪くない

もともと中宮の母君の、
お里方、高階家は学問教養で、
すぐれていられるのに加え、
大変な野心家である、
ということなのだが、
その流れから明順の君は、
ちょっと外れていられる

だからこそ、
先年の流謫事件のときも、
この君だけは、
お咎めがなかった

いまは但馬権守でいられるが、
世俗の栄誉とかけ離れたところで、
人生を楽しむというお気持ちらしい

中宮は二条北宮が怪火で、
焼け落ちたあと、
一年ばかりこの伯父君の、
小二条邸に身を寄せられ、
明順の君もゆきとどいた、
お世話をなさった

私は明順の君を思うたび、
いつぞやの斉信の君が、
私にいわれた忠告を考えずに、
いられない

あれはまだ、
伊周の君が内大臣どので、
花山院事件をひきおこされ、
その罪科が決定される前のこと、
人心が動揺している最中だった

当時、頭の中将だった、
斉信の君はひそかにいわれる

「少納言、
あなたは里へ退っていなさい
その方が中宮のおんためである
もめごとがおきたとき、
中宮さまを外から支える、
お役目の者もいたほうがいい」

私にはそのとき、
斉信の君のお言葉が、
すっかりわかったとは、
言いにくかかった

しかし、事態は、
はからずも斉信の君の、
いわれた通りになってしまった

それゆえ、
そのあと私が出仕すると、
人々は結束して私を、

(あれは左大臣家のまわしもの)

という目で見たけれど、
私は中宮さまさえ、
わかって下さればいいと思って、
気強く押し通していた

私が左大臣家の女房の、
兵部の君やらそのほかの、
誰かれ、
また北の方の倫子の君に仕える、
女房に知り人があることが、
そして致信のような左大臣家の、
侍を兄に持っていることが、
かえって中宮をお守りする、
利点だと思うようになっている

そういう位置に、
この明順の君は、
いられるのではないか

いまも左大臣家での、
祝い事やら催しごとのたび、
明順の君は招待状が来るという

また配所から帰京された、
伊周の君や隆家の君とも、
隔意なく行き来される

痩身で長いお顔で、
人柄はひょうひょうとして、
ときにおかしいことをいわれるので、
有名である

出世や利権に関心なく、
脱俗的で、
おかしみのわかる方、
として明順の君は、
世間から好感をもたれて、
いらっしゃる

「殿はいま、
この別荘においでです」

というので、

「じゃ、見せて頂きましょう」

と車を止めた

明順の君は喜んで出てこられる

「おお、
こんな田舎屋へようこそ」

「ほととぎすを聞きに、
まいります途中ですの」

「ほととぎす?
やくたいもない
賀茂の奥まで行かれなくとも、
このへん、
かしましいばかりに、
鳴いておりますよ」

ほんとうに、
ほととぎすがのびのびと、
鳴きかわしていた

「まあ、こんなに・・・
中宮さまにも、
お聞かせしたいわ
あんなに来たがっていた人々にも」

などと言い合った

家は田舎風に質素だった

馬の絵の板障子、
網代の屏風、
ことさら古風な趣味で、
統一されている

建物も凝らずに、
まるで全体が廊下のような、
端近な感じだが、
その代りどこにいても、
屋外の自然が見え、
風はよく通り、
木々の匂いを運んでくる

私の好ましい家である






          


(次回へ)

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