・行成の君は、
私の顔を見てない、
なんていって、
どこかからこっそり、
ご覧になったに違いない
まさしく私は、
あごと首すじ、
口元には自信があって、
首は白くて、
皺も筋も入っていないのが、
まあ、どちらかといえば、
自慢の一つ、
声もそう老いているとは、
思えないけれど
行成の君の言葉で、
私は嬉しい笑みがこみあげてくる
行成卿は知らずに、
おっしゃったのかも、
しれないけれど
私と行成の君は、
どこがどうということなく、
話が合う
「清少納言って、
ぬけめなく要路の男たちと、
つき合う人
それも左大臣(道長の君)がわの、
人々にもよしみを通じたりして、
何を考えているのか、
油断ならぬ人」
という陰口も聞こえてくるが、
私は中宮をご信頼申し上げているし、
やっぱり、
学識と教養を積んだ男たちと、
対等に会話を楽しめる、
この面白さを手放せない
体質的に私は、
男性との交際のほうが、
性に合っている
女人は、
私にあっては、
中宮お一人でこと足りる
私は美しい人が好きだから、
朋輩の女房の中でも、
美しい人に親しむが、
彼女らは私を退屈させる
頭の弁(行成の君)があるとき、
職の御曹司へ来られて、
話し込まれ、
つい夜おそくなったことがあった
丑の刻(午前一時~三時)が、
近くなり、
「明日、
宮中の御物忌なので、
夜中をすごしてしまうと、
不都合ですから」
と急いで出ていかれた
そのあけの朝、
蔵人所の備品の、
薄いのを二枚重ねて、
走り書きのお手紙がきた
「今日は、
言い残したことが、
たくさんある気がします
夜を徹してお聞かせしようと、
思っていましたのに残念です
鶏の声にうながされて、
席をたってしまいまして」
などとお書きになった、
手蹟の美事さ
私はお返事を書くのが、
恥ずかしかったけれど、
「鶏の声にうながされて、
とおっしゃいますが、
丑の刻を『鶏鳴』とは呼ぶものの、
まだ夜深く、
私の耳には鶏の声は、
聞こえませなんだ
もしやあなたのお聞きになった、
鶏の声は孟嘗君のそら鳴きの、
鶏でしょうか」
と書いた
孟嘗君の話は「史記」にある
この戦国時代の王族は、
たくさん食客を抱えて、
厚遇していたことで有名だが、
危地を逃れんとするとき、
食客の中に鶏の鳴き声の、
真似が巧みなものがいたのを、
利用して、
函谷関をたばかって開けさせた、
その故事を引いて、
諷したのである
するとすぐさま、
返事がある
「孟嘗君の鶏は函谷関、
でもこれは、
あなたと私の逢坂の関ですよ
彼は三千の食客の集団、
でもこちらは、
あなたと私だけの、
秘めやかな逢瀬
情緒がまるで違いますよ」
と何やら暗示的な手紙
楽しくて笑ってしまう
再びお返し
「<夜をこめて
鶏のそら音ははかるとも
世に逢坂の関はゆるさじ>
逢坂の関は、
鶏のうそ鳴きを、
一晩中したってだめ
開きはしませんわよ
あなたと私との仲も、
友人以上の仲になるなんて
それはあり得ないことですわ
しっかり者の、
関守が見張っていますから」
この返事がまた来た
「逢坂は
人越えやすき関なれば
鶏啼かぬにもあけて待つとか」
鶏が鳴かないのに、
開けて待つなんて、
ひどい歌
どうにも返事がしにくくて、
そのままになってしまった
経房の君は、
私のところへ来られ、
「頭の弁が、
あなたのことを、
ほめちぎっていられますよ」
「そう?」
私は赤くなったが、
嬉しかった
「『夜をこめて』の歌など、
誰知らぬものも、
ないほどですよ
自分が好きな人が、
人にほめられるというのは、
嬉しいものですね」
「あらま、
嬉しいことが、
二つ重なりましたわ」
と私はいわずにいられなかった
「何です、
二つって?」
「行成さまがほめて下さった上に、
またあなたが好きな人のうちに、
わたくしを入れて下さったこと」
「これも『春はあけぼの草子』に、
お書きなさいよ」
と経房の君はいわれた
われほめは面はゆいが、
中宮の再びの春の記念に、
これも書きつけておこう
この年の暮れには、
いいことが重なった
姫宮の脩子姫に、
内親王宣下があり、
いよいよ脩子内親王という、
お身分になられた
それから、
待ちかねた伊周の君が、
帰京された
誰よりもお喜びになったのは、
中宮ではなかろうか
再びの春は、
ゆるぎないものに見えた
年明けての除目で、
私は則光が遠江の権守に、
なったことを知った
ところが則光は、
私に会わずに出発してしまった
三条の自邸で、
しばしの別れの宴、
になると思っていたのだ
それをひそかに期待していた
遠江へ赴任すると聞いて、
しばらく私は待っていた
則光から、
何かいってくるだろう、
と思って
でも、むなしく日が過ぎ、
出発の日も迫るので、
ついに私は、
「三條へ里下りしている」
と手紙を持たせた
すると則光からは、
手紙の返しではなく、
使者の口上で、
「あさってごろ伺います」
といってきた
その夜、
私は心をこまかく使い、
金も使った晩餐を用意していた
若狭の小かれいを干したもの、
くわい、雉肉、鯛のみそだれ
つぐみのあぶりもの
山芋入りの白粥、
それに酒まで用意したというのに、
来ないのだ、これが
翌晩も来なかった
赴任前のあわただしさは、
父の例を見てよく知っている
まして則光は、
このたびはじめてのこと
従者も多いであろうし、
一家眷属、
たいへんな人数であろうし、
多忙をきわめているのは、
わかるけれど・・・
その翌晩も来なかった
(次回へ)