むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、恋愛映画 ④

2022年07月21日 08時17分21秒 | 田辺聖子・エッセー集










・若い人向けの恋愛映画というと、
必ず血をみないとおさまらない。

これではつまらないのである。

私は「ヘッドライト」や「アニー・ホール」を、
日本映画で見てみたい。

「ヘッドライト」のジャン・ギャバンは、
くたびれた貧しいトラック運転手であるが、
ブリジット・バルドーと共演した「可愛い悪魔」では、
社会的地位のある辣腕弁護士という役どころだった。

また「ヘッドライト」のときと同じで、
アルヌールとの顔合わせでみせた「フレンチ・カンカン」では、
芸能界の興行師に扮している。

それがまたいかにも、
その世界の水にどっぷりつかった、という感じで、
ギャバンというのはいい役者である。

こういうのができる役者さんというのは、
日本では誰だろうか、
藤田まことさんはどうかしら?
渥美清さんあたりで「ヘッドライト」みたいなのを、
じっくり見せてほしいものである。

また私が(面白そうだな)と思うのに、
財津一郎、花紀京、芦屋雁之助と小雁がいるが、
この人たちで、じっくりした恋愛映画がとれれば、
大人が楽しんで見られると思う。

つい横道にそれてしまったが、
恋愛の概念も確立せず、
男と女が対等に渡り合うという伝統のない国で、
恋愛映画というのはたいそうむつかしいように思われる。

この国ではともすると恋愛は、
浮き上がってしまう。

好色の伝統はあっても恋愛の伝統はないから、
仕方ない。

ではどうするかというと、
喜劇役者の芦屋雁之助さんや花紀京さんに、
マルセル・カルネの「嘆きのテレーズ」のラフ・ヴァローネ役や、
「ヘッドライト」のギャバン役をさせるといいかもしれない。

また「現金(げんなま)に手を出すな」というのがあったが、
その中でギャバンのギャングは、
公衆電話をかけるとき、
かくしからメガネを取り出す。

この何気ないしぐさに、
老境に入ったギャングの哀愁が出ていていい。

こういうことをやって似合うのは、
私は喜劇の人ではないかと思う。

反対に名優といわれるような、
たとえば三船敏郎さんや仲代達也さんには、
マルチェロ・マストロヤンニの「ああ結婚」のような、
喜劇はどうだろうか、
三船さんの「ああ結婚」なんか、
ぜひ見てみたい気がする。

私は勝新太郎さんも好きだが、
カツシンは「悪名」でお手並みをとくと拝見したというところ。
「ああ結婚」ふうなのは、うってつけかもしれない。

それからフランキー堺さん、
フランキーさんはもっぱらテレビで赤かぶ検事と、
向田邦子さんのドラマで拝見していたが、
いい中年役をやれる人で、
この人で「望郷」なんか見たいなあと思う。

中年男に対し中年女もどんどんとヒロインになった、
恋愛映画を作ってほしい。

「かくも長い不在」のアリダ・ヴァリの、
ものすごく太い腰がよかった。

がっしりした肩幅や大きいお尻に、
かえって女の哀れさや可愛らしさがあり、
重苦しい悲愁感があとに残るが、
(いい女だなあ)という情感がいつまでも消えない。

そういうのがある映画は、
私にはたのしい映画なのである。

こうして考えてくると、
日本にもたくさんいい俳優さんがいるにちがいない、
ひょっとすると宝のもちぐされで、
あたら才能を活かしきれないで、
老いさせているのではなかろうか。

大人が見てたのしめる小味な、しゃれた、モダンな、
大人の「恋愛映画」がもっと生まれないかなあ、
と私は思う。

そういうのはテレビでごらん下さい、
といわれるかもしれないが、
私はまだ映画館の暗闇に入ってゆく喜びを、
捨てきれないでいる一人である。

そして、いつかきっと、
日本にもかっちりした「細部の真実」で支えられた、
甘い恋愛映画、しゃれた恋の映画が、
できるはずと信じている。






          


(了)

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