・1982年の11月15日の朝日新聞の夕刊、
「にゅうす・らうんじ」の「深海流」というコラムに、
「アンコールへの旅再開」という記事があった。
戦火のちまたとなったカンボジアのアンコールへ、
今度は12年半ぶりに日本の観光団が訪れるというのだ。
現地当局が日本の旅行社に了解を与え、
正式名称は「文化友好訪問団」というそうである。
そのコラムには、
アンコール観光の基地、
シェムレアプ市のグランドホテルの女性マネージャー、
ロン・ソバンさん(42才)のことが紹介されていた。
ソバンさんはシェムレアプ市に生まれ、
60年代に夫とともに国営シェムレアプ旅行社の職員だった。
アンコールワットへ来る日本人客を、
「二千人は扱った」という。
しかし70年代に入ってカンボジアに平和は失われ、
アンコールワット観光どころではなくなった。
ロン・ノル将軍の兵がシェムレアプ市に駐留して、
グランドホテルは作戦司令部になった。
アンコール地域に砲声がひびき、
75年には赤色クメールがきて、
ソバンさん一家も町を追われ、
人民公社で重労働を強いられることになった。
夫と長男は赤色クメールの手で処刑され、
両親兄弟、次々と死ぬ。
79年にポル・ポト政権は崩壊し、
生き残った次男と長女と三人だけになって、
やっとシェムレアプ市に戻る。
80年になって新政府は、
旧国営旅行社の職員をすべて、
政府機関に採用する、と布告した。
ソバンさんはすぐに名乗り出る。
そして再びグランドホテルの女性マネージャーとなり、
「生きて再び日本の方々のお世話ができるとは・・・」
夢じゃないかしらと狂喜したという。
そして、
「自分たちと祖国の再生の希望を、
アンコール観光ひとすじにかているという」
その記事は、
こういう彼女の言葉で結ばれていた。
「私たちの国はまだ貧しくて、
昔のようなおもてなしは無理だけど、
でもアンコールがあります。
あの宝物がある限り、
そして世界中の人々がそれを見守りに来てくれる限り、
カンボジアは決して滅びないでしょう」
私はそれを読んだとき、
カンボジアのかぐわしい大気の匂いをたしかに感じて、
胸が感動でふくらみ、気持ちのいい涙が出てきた。
(そうか・・・
アンコールワットへ、もいちど行けるのか)
(シェムレアプの町の小川に、
アヒルはもう戻ったろうか・・・)
(アンコールトムの「らい王のテラス」「群象のテラス」は、
戦火にも無事に残ったのだろうか)
いちどきに思い出された。
プノンペンの丘の鐘の音。
乾季の空の、輝かしき青さ。
メコン川に面した、お伽のような王宮の門。
すらりとした肢体、
人なつこい黒い瞳、
温和な表情のカンボジアの男や女たち。
プノンペンの中央市場の周辺にただよう、
何ともいえない香辛料の強い匂い。
18年前、たった二、三日しか滞在しなかった、
カンボジアの記憶があまり強かったので、
私のうちでいよいよ純化され美化されて、
この世のものならぬ楽園のように思われ、
あそこは私の桃源郷だった。
(次回へ)