むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

10、私が愛するカンボジア ①

2022年07月22日 08時16分40秒 | 田辺聖子・エッセー集










・1982年の11月15日の朝日新聞の夕刊、
「にゅうす・らうんじ」の「深海流」というコラムに、
「アンコールへの旅再開」という記事があった。

戦火のちまたとなったカンボジアのアンコールへ、
今度は12年半ぶりに日本の観光団が訪れるというのだ。

現地当局が日本の旅行社に了解を与え、
正式名称は「文化友好訪問団」というそうである。

そのコラムには、
アンコール観光の基地、
シェムレアプ市のグランドホテルの女性マネージャー、
ロン・ソバンさん(42才)のことが紹介されていた。

ソバンさんはシェムレアプ市に生まれ、
60年代に夫とともに国営シェムレアプ旅行社の職員だった。

アンコールワットへ来る日本人客を、
「二千人は扱った」という。

しかし70年代に入ってカンボジアに平和は失われ、
アンコールワット観光どころではなくなった。

ロン・ノル将軍の兵がシェムレアプ市に駐留して、
グランドホテルは作戦司令部になった。

アンコール地域に砲声がひびき、
75年には赤色クメールがきて、
ソバンさん一家も町を追われ、
人民公社で重労働を強いられることになった。

夫と長男は赤色クメールの手で処刑され、
両親兄弟、次々と死ぬ。

79年にポル・ポト政権は崩壊し、
生き残った次男と長女と三人だけになって、
やっとシェムレアプ市に戻る。

80年になって新政府は、
旧国営旅行社の職員をすべて、
政府機関に採用する、と布告した。

ソバンさんはすぐに名乗り出る。
そして再びグランドホテルの女性マネージャーとなり、

「生きて再び日本の方々のお世話ができるとは・・・」

夢じゃないかしらと狂喜したという。

そして、
「自分たちと祖国の再生の希望を、
アンコール観光ひとすじにかているという」

その記事は、
こういう彼女の言葉で結ばれていた。

「私たちの国はまだ貧しくて、
昔のようなおもてなしは無理だけど、
でもアンコールがあります。
あの宝物がある限り、
そして世界中の人々がそれを見守りに来てくれる限り、
カンボジアは決して滅びないでしょう」

私はそれを読んだとき、
カンボジアのかぐわしい大気の匂いをたしかに感じて、
胸が感動でふくらみ、気持ちのいい涙が出てきた。

(そうか・・・
アンコールワットへ、もいちど行けるのか)

(シェムレアプの町の小川に、
アヒルはもう戻ったろうか・・・)

(アンコールトムの「らい王のテラス」「群象のテラス」は、
戦火にも無事に残ったのだろうか)

いちどきに思い出された。

プノンペンの丘の鐘の音。
乾季の空の、輝かしき青さ。
メコン川に面した、お伽のような王宮の門。

すらりとした肢体、
人なつこい黒い瞳、
温和な表情のカンボジアの男や女たち。

プノンペンの中央市場の周辺にただよう、
何ともいえない香辛料の強い匂い。

18年前、たった二、三日しか滞在しなかった、
カンボジアの記憶があまり強かったので、
私のうちでいよいよ純化され美化されて、
この世のものならぬ楽園のように思われ、
あそこは私の桃源郷だった。






          


(次回へ)

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