むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

19、別居結婚の内情 ④

2022年05月27日 08時30分48秒 | 田辺聖子・エッセー集










・仕事のために別居結婚している女性が、
子供を持とうとすれば、別居を解消するか、
あるいは母となる権利を放てきするか、
そのどちらかにしか道はないのだろうか。

私は一般論として、一つある、と思う。
それは、別居という変則的な結婚形態の、
根源的な意味に関係してくることであるが、
「家庭」というものの概念を変えることである。

子供はどちらについてもよいが、
生活技術的には、多分、母親に従属するだろう。

保育所なり、専従者を雇うことで、
あるいは日曜パパの手助けを借りることで育てていると、
子供は案外、簡単に父と母が同居していない状態に、
なれて成長してゆくかもしれない。

両親の家を往来しつつ育つかもしれない。

現に、大多数の家庭が「日曜親子」で、
ふだんはバラバラ、
父親の顔も見ないという子供たちが多いことを思うと、
変則的でもない。

別居結婚をして子供を持つのは、
条件を困難にするが、
やって出来ぬことはない。

しかし、さきにいったように、
一つ家に父と母がいて父は働き母は家を守る、
というマイホームの概念では、
とても子供を持つことはおろか、
別居を続けることも無理だろう。

ボーボワール女史が子供を持たなかったのは、
著作という天職のためだと説明されているが、
私は彼女を子供嫌いだとか、
子供を欲しくなかったのだとは思えない。

彼女のように愛情あふれる、
人を愛する能力のある、
生命力に満ちた女性が、
愛する人の子供を欲しいと思わなかったとは、
信じられない。

おそらく彼女は、
どの女性にもまして子供好きであり、
子供への愛におぼれる人であるような気がする。

彼女ほどの才能ある女性が、
幾重にも屈折してうち出した、
子供を持たない、という結論の内容を、
私などが一知半解でうかがい知るわけはないが、
自分の経験から推して、何となく想像する。

女史は「家庭」の世俗的概念に毒されることを、
恐れたのではあるまいか。

普通の女性なら、
子供を持つことで男性と対等の場に立てる、
よりどころを見つけるのに、
彼女の場合は、サルトルと同等に互角に渡り合うには、
子供はハンディキャップになるのではあるまいか。

サルトルとの間の、
精巧で巧緻な関係の均衡が微妙に乱れてくる、
それが聡明な彼女は洞察していたに違いなく、
純粋で尖鋭的なサルトルとの関係を煮えつまらせると、
子供は全く余計なものの存在になってくるのだろう。

私自身が子供好きだから、
そう想像されて仕方ないのである。

すばらしい歓びをもたらしてくれる子供は、
また、妥協や安逸や懶惰といった胞衣(えな)を、
引きずって現れるものであり、
それらをひっくるめて、
世俗的概念で丸めこまれた「家庭」は、
エゴイズムの極致だからである。

私は子供がないから、
他人の子供に興味を示すが、
それは私だけでなく、男も女もそんな人は多い。

ところが、自分の子供を持つ男や女は、
他人の子供を見るのに冷酷きわまる無関心を示す。

他人の子供は嫌いだという、
「子供好き」の男や女の方がノーマルなのかも知れないが、
私はかねてそれを面白く感じていたので、
自分の子供を持つ人に真の博愛主義者がいないのを思い合わせ、
母になるのを放棄したボーボワール女史の気持ちを、
いろいろなぞらえるのである。

サルトルとボーボワールとの関係も、
一種の家庭には違いない。

その純粋さを守り育ててきたのは、
二人の知性と愛情であろう。

そして、その家庭は二人だけの概念の家庭であり、
二人の創作である。

女性が仕事をもち、別居結婚を試みるとき、
あるいは困難な状況のもとで、
子供を持ちたいと願望したとき、
もっとも大切なのは二人だけの概念による、
「家庭」を創作することである。

私の場合は、別居結婚がお互いを犯さず、
能率よく愉快だと思っていた矢先、
彼が病気になって暑いさなかを、
ひと月近く寝る羽目になった。

これは想定外のことだったので、
今さら別居の功罪を考えさせられた。

第一、多忙なときだったので、長く連絡せず、

「こんにちは。どう?久しぶりね」

と電話してみて、彼の不機嫌な声が、
うん、具合が悪いんだ、と返ってきたとき、
びっくりした。






          


(次回へ)

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