むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

19、別居結婚の内情 ⑤

2022年05月28日 08時21分45秒 | 田辺聖子・エッセー集










・「え?病気?
ちっとも知らなかったわ。
お見舞いもせず失礼しました」

彼が休んでいる、例の家へかけつけながら、
病気や失意のときにこそ家族が欲しいのに、
もしこれが大阪と九州という風に離れていたら困るなあ、
と私は思った。

いざという時にかけつけられる融通性、
機能性をもった自由がないと、
別居結婚とはいえない。

出張や転勤の外的事情ならともかく、
みずから選びとった別居なら、
物理的距離の問題も重要である。

いつでもかけつけ、
いつでもそこで、
「家庭」を作れるだけの柔軟さがないと、
家庭を固定した概念で考えていては、
別居できない。

われわれ二人が会うとき、
会う場所が家庭になる。

ふだんは無機質の家が、
私たちが行って暮らすと、
「家庭」という有機体にふくれあがり、
束の間の団らんになる。

あるいは彼の運転するボロ車の中が家庭であり、
子供たちと買い物に行く三十分が、
私と子供たちの家庭でもある。

さて、私は別居結婚の功罪やら、
それが成立する条件などを述べてきた。

経済的自立やら、
子供を持たぬこと、
仕事に便利なこと、
たとえ持っても、従来の世俗的な家庭の概念では、
子供を育て、自分も生かすことは出来ないこと・・・

それらは主に、女性の側から言ったのであるが、
私は男性がその成立の鍵を握っていると思う。

男性で、別居結婚に堪えられる人は少ないと思う。
その意味で「ボーボワール賞」というのは、
裏返しにすれば「サルトル賞」である。

たいていの男性は、
口では自由を欲するように言うけれども、
女性より意気地なしである。

彼らは、
女性が夫や子供に守られるよりはるかに強く、
妻や子によって世間の荒波から守られているのである。

家庭を防波堤にして、
社会的に精神、肉体的に自分は堤の穴に、
安全に身を隠すのである。

女性は自分の仕事を守るために、
家庭の概念を変えることも可能だが、
男性は仕事と家庭のイメージをどちらも変えられない、
不器用なわがままな存在である。

だが近ごろの若い男性だと、
少しずつ変わっていそうなので、
あんがい若いカップルが大胆に勇敢に、
新しい結婚の形式を試み、
幸福のさまざまな可能性を探ることも容易かもしれない。

ところで私たちはといえば、
はじめに、気負った決意からではなく、
なんとなくこういう形になった結婚なので、
またなんとなく同居するふつうの結婚の形に入るかもしれない。

ともかく、私は仕事、彼には子供というお荷物があるし、
自分の意見も生活様式も出来上がった中年者の結婚は、
お互いがよほど奸智に長けていないとつとまらない。

別居結婚も奸策の一つである。

それで、
「やっぱり同居のほうがいい」
と彼に言われたら、われわれの結婚テストは、
成功したのかもしれない。

しかし仕事を続けていく場では、
失敗かもしれない。

となると、喜ぶべきか、悲しむべきか、
やはり矛盾の多い形だ。

ともあれ、第一義的なことは、
私は彼を選んだということである。

彼が行ったり来たりのあわただしさに疲れて、
一軒の家に落ち着く同居結婚を望むようになったら、
私もそれに従おう。

その条件の中で、
いちばん私が仕事をしやすい方法を考えるし、
彼も要求したら協力してくれると思う。

やはり仕事を持つことと、
結婚するということは、
相反する要素を持つらしく、
すべての結婚はクーデターを伴うものなのだろう。






          


(了)

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