「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、マドリッド ③

2022年09月17日 08時35分51秒 | 田辺聖子・エッセー集










・エビ焼き屋は立ち食いもできるが、
奥には殺風景な大食堂がある。

牢屋のようながらんとした石の部屋に、
天井からはだか電球が下がっていて、
そこに無数の丸テーブルと木の椅子があった。

ガタガタのテーブルと椅子に坐ると、
まわりは若い男女ばかり。

「学生ですね」ということである。

木のテーブルにはソ連国旗や闘牛の絵が、
ナイフで刻みつけてあったりして、
日本のタタミに必ず煙草の焼けこげあとがあるのと同じ。

椅子やテーブルに油が染み、
コンクリートの床に、紙ナフキンが散乱しているさま、
喧々ごうごうのやかましさなどは、
ちょっと尼崎あたりのギョーザ屋「珉珉」という感じ、
ここへ坐ると人数分の指を立てただけで、
小エビの鉄板焼きの皿がくる。

小エビの他は売っていない、
小エビの専門店なのである。

十センチから十五センチくらいの小エビが七、八匹、
塩焼きされて皿にのってくる。

それにフラスコに入った赤ぶどう酒が乱暴に置かれる。

小エビ一皿、四十五ペセタ、
赤ぶどう酒一ぱい、十ペセタ。

一ペセタは三、四円見当だから、いかにも安い。
学生がわんさか詰めかけるはずである。

ほかの料理は一切なし。

ただもう、ひたすら小エビの皿一辺倒、
それが次々運ばれ、客は次々食べてワインを飲む、
それが、牢屋のような石の部屋とはだか電球であるから、
ローマより更に荒々しい。

ここからくらべると、
ヴェニスなんか、退廃的なまでに文化が高かったなあ。

やっと来た来た、
給仕人はものをいうひまもない忙しさに、
仏頂面をしている青年。

湯気を立てている小エビの皿が、
ガチャン、ガチャンと置かれる。

スペイン男は、うまくいくと戦慄的美男になるので、
少女漫画にある目に星の入った美少年など、
ざらにいる。

そういう男の子が、
忙しさのあまりむ~っとむくれて、
小エビの皿を置いていくのである。

前掛けをしてゴム長をはいて。

小エビはすこし、塩が利きすぎであるが、
大衆的な味のワインを飲むのに、ちょうど手ごろ、
男の荒っぽい料理だから、めっぽう美味しいのであった。

新鮮なエビにぱらっと塩を振って、
鉄板でジュウジュウ焼くだけ、
新鮮なものは、荒っぽく、なるべく手をかけないで、
食べるのが美味しい。

何皿でも食べられそうであるが、
なるったけ、
次の赤提灯の料理も経験しようというので、
一皿だけで出ることにした。

向こうの学生がひときわわいわいいっているのは、
K夫人によると、

「ドミノで、勘定を払う人を決めているんですね」

ということであった。

一皿、百二、三十円で新鮮なエビが食べられる、
というのが、本当の安い食べ物ではなかろうか。

日本で安い食べ物をさがすとなると、
それは、古い、いたみかけの食べ物だったり、
人工食品だったりする。

旬のもの、新鮮なものを安く食べられる、
というところがない。

小エビばかりの次は、
野菜ばかりの店へいってみた。






          


(次回へ)

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