・時差ボケ、というのはそのことであろうか。
海外旅行の場合、何時間かして外国へ着き、
心はすぐに異郷の風物にとけこんでいるのに、
体だけはほかへ置き忘れたようになかなか調子が戻らない。
時空のバランスがとれず深い混乱の中で、
途方にくれているというところがある。
だから、たとえば飛行機を使わぬ旅であると、
体も少しずつなれて納得するのである。
人間の体は鈍重というより正直なのであろう。
そのでんでいけば、
突如、体重が5キロ、10キロも落ちると、
体も勝手がちがって錯乱し、
ついにどこかがショートして、
ぷつんと電源が切れてしまう、
そんなところであろう。
ゴルフが怖いというのは、
夫にいわせると、夢中になるからだという。
夢中になると体が訴える声なき言葉に、
耳をかさなくなってしまう。
不調を不調と気づく余裕が失われるのだそうな。
夫はゴルフ好きだったが、
病気になったせいもあってやめてしまった。
そうなのである。
夫はいろいろ御託をならべつつ、
自分が病気になってしまった。
病気になったから、
健康法をいろいろ考えられる、ということもある。
健康な人が健康法を書くより、
病人が考える健康法のほうが、あるいは、
ツボにはまっているのかもしれない。
そうはいうものの、
夫のいう健康法もあやしいものだ。
煙草をいまだにやめず、
「これはやめると体にわるい」と称している。
私が夫に、
「男向きの健康心得ばかりですが、
女性はどうですか?」と聞くと、
女は知らん、という。
女はみな強いからことさらなる健康法は要らない、
などという。
私の思うに、女のほうが生来強靭かもしれないが、
しかし女は病臥できないような世の中の仕組みになっている。
男は会社を病気で休んでも、代わりのタマがある。
それが会社というものの組織だが、
女は病臥すると代わり手がないので、
家が崩壊してしまう。
無理してでも起きて、家事に当たっているうち、
いつか治る、というようなことが女にはある。
ところで私は私なりに中年以降、元気でいるには、
どうしたらよかろうかと考えてみた。
クスリを服むな、とか、外科手術はなるべく避けよ、
というのは、医学の素人としては、
その当否はあげつらえない。
しかし私は、ビタミン剤とか疲労回復剤に限っていえば、
服んだことがほとんどない。
疲労回復、というなら、夫の言い草ではないが、
ともかく眠ることだと思う。
眠れなくても横になって「精力を貯める」
ということがいい。
ビタミンは食べ物で摂る主義なので、
およそ錠剤は口にしない。
これは私の独断偏見なので、
そう思ってお読み下さればよいのだが、
人間は自然の一部なので、
草根木皮の漢方薬のほうがいいと思う。
しかし面倒くさがりの私は、
何かを煎じて飲む、ということもやらない。
滋養は食事から、ということになると、
そのメニューが問題であるが、なるたけ、
生まれた風土のなりものを食べる、とうのがよい。
日本でとれる米、野菜を日本人が食べるというのがよい。
私はごはんが好きなので、
エネルギーのもとは米だと思っているが、
それをほかの人に強制する気はさらさらない。
私の健康はごはんからはじまる。
野菜は根菜を摂らないといけないように思う。
くりかえしていうが、これは私自身の考えなので、
人により違うはずである。
私はゴボウとかレンコン、タケノコが好き、
それに備蓄食品の千切り大根や荒布(あらめ)などを、
油揚げで炊くのも好きである。
高野豆腐にかんぴょう、麩、豆腐が好き、
南瓜を煮たものとか、煮魚も好き。
ねりものも好きで、
蒲鉾、竹輪、あんぺいなども。
葱、小松菜、茄子、胡瓜、のたぐいは、
どんな料理も大好き。
ということになると、みな日本料理風になるが、
なに、牛豚鶏、猪に馬、なんだって食べるのである。
ただ生まれて住んでる土地にできたなりものを摂る、という、
妙な思い込みが私にはあって、
べつに農協のまわしものではないが、
外国の輸入食糧ばかりに依存してはいけないと思う。
果物も日本の土にできたものを食べるのが、
体にいちばんいい、と信じている。
日本の草を食んでる牛の乳を飲むのがいい、
と思うわけ。
(次回へ)