・急なはげしい夕立で、
西の京いったい白くけぶり先も見えない。
五、六人の人と一頭の馬はしとどにぬれつつ畠中を走っていて、
やっと貧しげな一軒の小家に身をすくめた。
奥から老婆が出て来た。
「おお、さぞお濡れになりましたろう・・・
さ、みなさま、どうぞこちらへ。
お馬もお引き入れなさいませ。
葦火ですすけておりますが、おくつろぎ下さいませ。
そのうちに雨もやみましょう。
何のおかまいもできませぬが、雨宿りもいっときのご縁、
白湯でもおあがり下さいませ。
みなさまのお退屈しのぎに、この婆が昔ばなしでもいたしましょう。
いま、雨宿りもご縁、とみずからいうて思い出しました」
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・今は昔、
醍醐の帝と申される君がいられました。
延喜の御代のすぐれた帝として、
世の人がお慕い申した君でございますよ。
この帝のお生まれこそ、よくよく、くすしきえにし、
と申さねばなりませぬ。
閑院の右の大臣、冬嗣さまには、
御子の公達があまたおわしましたが、
その末の君を良門(よしかど)と申し上げました。
この良門の君の御子に高藤(たかふじ)と申す方がございました。
幼いころから高藤さまは鷹狩をお好みになられ、
これはお父さまゆずりのご趣味だったそうでございます。
来る日も来る日も山野に鷹を放って小鳥狩りを楽しまれておりました。
高藤さまがおん年十五、六のころ、
とうけたまわっております。
九月のある日、南山科の渚の山へ鷹狩に行かれましたら、
申の刻(午後四時)ばかりににわかに一天かきくもり、
時雨が降りしきり大風が吹き、雷が鳴り響くではございませんか。
供の者もおどろきあわて、
雨宿りする場所を求めてちりぢりに走ります。
高藤さまは舎人の男一人従え、
西の山陰に人家らしいものがあるのを見て、
馬を走らせたのでございます。
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・その家は、こんな田舎には珍しく、檜垣をめぐらせ、
唐破風の屋根の門、どこかよしありげな住まいとみえました。
板葺の寝殿の端近くに馬を引き込まれて、
舎人に馬の口を取らせ、ご自身は縁側に腰かけておられた。
風はいよいよ烈しく、雨は車軸を流すよう、
そのうちやがて日も暮れてしまいました。
心細く思われるうち、
家から青鈍の狩衣を着た四十ばかりの男が出て来て、
「どなたさまでございます」
と申します。
「鷹狩で雨にあい、この家をみつけたので雨宿りに参った。
どうしたものか、途方に暮れているのだ」
とありのままおっしゃいますと、
「それはそれは。
どうぞ雨の降ってる間はここでおやすみ下さいませ」
と答えるのも親切でしたが、
舎人の男に高藤さまのご身分とお名前を聞き、
男はおどろいて家の内へ請じたのでございます。
「賤しの家でございますが、
どうぞ雨のやむまで内でおくつろぎ下さいませ。
お召し物も濡れておりますような。
あぶって乾かしましょう。
お馬にも草を」
とそれはゆきとどいた世話をいたします。
見れば家のうちもおもむき深く、
風流心あり、富んだ人の住居のようでありました。
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・高藤さまが横になってやすんでおられますと、
引き戸を開けて外の間からごく若い娘の、
薄紫色の一重の衣に薄い紅の袴といういでたち、
まだほんの少女といっていいような女の子がやって参りました。
片手は扇で顔をかくし、
片手に高坏を捧げて恥ずかしそうに遠くに坐ります。
「こちらへおいで」
高藤さまがお声をかけられますと、
そっと寄ってくるさまの可憐に美しいこと。
髪が肩にすべるさま、
顔の白さ、
こんな山里の家の娘とも思えませぬ。
高坏にはお盆に箸や土器が据えてあります。
その子は高坏をすすめて、ついと立っていきます。
そのうしろ姿の可愛いこと、
再び持ってきたお盆にはご飯に干し鮑、
鶏の干し肉、小大根。
鷹狩に疲れたおん身には美味しく、
酒も供されるままにおあがりになって、
夜深う、臥されたのでございます。
ところがさきの少女が高藤さまは忘れられませぬ。
「どうかあの子を」
とお召しになって、
そこへ参った少女をごらんになると、
いっそうまさって美しくいとしく、かき抱いて、
「私は若いけれど、心のまことにいつわりはない。
あなたとこうしてめぐりあったのも何かの縁、
生涯変わらぬ愛を契ろうではありませんか」
長月の九月のこととて、夜は長うございましたが、
とうとう一夜、つゆまどろまれず、
行末までの思いをくりかえし契り明かされたのでございます。
鄙の乙女としては気高く由緒ありげなのも不思議で、
夜も明けますと、
みはかしの太刀を形見としてお与えになり、
「どうか私を忘れないで。
親がほかの男と結婚させようとしても従わないでおくれ」
いい交わしてやっと出られたのでございます。
四、五町ばかり馬で進まれますうち、
あるじをさがしに出た供の者たちに出会われて、
やっと京へお帰りになりました。
(次回へ)