「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

3、マドリッド ①

2022年09月15日 08時21分21秒 | 田辺聖子・エッセー集










・スペインの首都、マドリッドは、
からっとした町である。

湿気というものが全くない。
空気も澄み、土もぱさつき、舗道は乾いて、
かんかんと音を立てそう。

このカラッとした感じ、というのも、
カラッの「ラ」を思い切って捲舌にしないといけない。

スペインへ来ていちばんびっくりしたのは、
すごい捲舌である。

ル・・・ラッという感じ、
平面的な舌の使い方をしている日本人は、
この挑戦的な捲舌に、まず度肝を抜かれてひるんでしまう。

私たちのホテルは今度の旅行で最高級の「ホテル・リッツ」。

スペインのホテルはヨーロッパの他の国と比べて安いので、
ようやく、マドリッドまで来てリッツに泊れたというところ。

しかしタクシーの運転手に、
「ホテル・リッツ」といったのでは通じないのである。

運転手はさんざん首をひねった結果、やっと、

「おお、ホテル、瓜ッツ!」といった。

瓜のリにアクセントがあるのはいうまでもない。

ホテル・瓜ッツはちょうどプラド美術館の真向かいにある。
格式の高いところで、食堂にはネクタイがないと入れない。

ヴェニスの裏町で買った、
ゴンドラ漕ぎのおじさんがかぶる皮帽子などを頂き、
セーターにコロンボ刑事のレインコートをひっかけてるといった、
カモカのおっちゃんなどの風体では、
背の高い給仕に、「ノー!」と、
木戸をつかれるのである。

そういうのが好きな人もあるのだろうなあ。

その代わり、
お金があってネクタイさえしていれば、
マフィアでも山口組組長でも、
泊める仕組みになっているのかもしれない。

しかし私は、こんな上流ごっこも好きである。
みんな「ごっこ」なのだから。
楽しく「ごっこ」をすればよい。

マドリッドのあとで泊ったバルセロナも、
「瓜ッツ」ホテルであった。

ここでは絵に描いたような太っちょのおじさんの、
ホテルマンがいた。

後ろで手をくんで悠々と廊下を歩き、
エレベーターを動かした。

「マダーム」
とうやうやしくお辞儀をし、
まっ先に私をエレベーターに乗せてくれた。

古めかしい美しいホテルで、
古風などっしりしたエレベーター、
絵のごとき給仕のおじさんに、
堂々と向き合って遜色ない日本人というのは、
むしろ明治の日本人ではないのかしら。

べつに、この間、テレビドラマの「獅子のごとく」を、
見たからというわけではないけれど。

たとえば与謝野晶子は、
パリに着くなり、
1912年のヨーロッパのモードに従い、
大きい婦人帽を買いこんでいる。

<巴里に着いた三日月に
大きい真っ赤な芍薬を
帽の飾りに附けました。
こんな事して身の末が
どうなるやらと言ひながら>

彼女はむろんそれまで、
着物しか着たことのない、
明治の日本女である。

それがヨーロッパへ渡り、
コルセットを締め、

<テアトル・フランセエエの二階目の、
紅いビロウドを張りつめた
ロオジュの中に唯だ二人
君と並べば、いそいそと
跳る心のおもしろや。
もう幕開きの鈴が鳴る>

という楽しみを経験し、

<アウギュスト・ロダンは
この帽の下に
我手に口づけ
ラパン・アジルに集る
新しき詩人と画家の群は
この帽を被たる我を
中央に据ゑて歌ひき>

ときに晶子は、
着物を着て帽子をかむり、
練り歩いたらしい。

いやもう、とてものことに、
こういう堂々たる明治人間にはかなわない。

私ごとき吹けば飛ぶような昭和女は、
王宮の侍従長のような、
ホテル・瓜ッツの爺さんに、
「マダーム」とうやうやしくお辞儀をされると、
どんな顔をしていいかわからなくて、
表情がゆがむのである。

やはりここは気品ある微笑を賜る、
というところであろうけれど、
浪花女は愛嬌は習うが、
下々に与える一べつとかほほえみは習わない。






          


(次回へ)

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