「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、おしゃれ ②

2022年07月02日 08時08分03秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私は着物は着ないが好きなので、
展示会などあるとよく見にいくのだが、
京・大阪を見た目には、
東京呉服は「こうと」すぎる。

「こうと」というのは上品、地味、シック、シンプル、
というような意味をすべてふくみ、
なお時によると、質素、ひかえめ、
といったニュアンスもある古い言葉である。

東京のデパートの呉服売り場をまわると、
「こうと」なものが多くて、
他の階にもしかして派手なのが並んでいるかもと、
店員さんに、

「呉服売り場はここだけですか?」

と聞いたりしてしまう。

関西にも「こうと」好みはいるものの、
同じ着物を着るなら、ぱっとしたのを着よやないか、
というのが関西女の好みである。

また同じ派手さでも、
京都と大阪と神戸ではそれぞれニュアンスが違う。

京都は大阪弁でいうと「はんなり」した派手さである。

「はんなり」も、
浄瑠璃の近松あたりから使われる古い言葉だが、
はれやかな、それでいてソフトな派手さ、
上品で派手という感じである。

神戸の呉服の派手さは、
これは私個人としていちばん好きな色や柄の多い町だが、
モダンでシックな派手さ、
シックといっても決してくすんでいない、
金茶とかライトブルーとか、
そういう呉服に珍しい色まで染まっていて、
洋服のような感じで古典柄という気物が多い。

もともとモダンなセンスの町なので、
通りいっぺんの派手さや、
くすんだ「こうと」な味では客を引き付けない。

神戸の呉服屋さんは、
京都の染物屋さんにいろいろヒントを与え、
「こういう色で」と注文を出して染めさせるそうである。

そして大阪だが、
これがまた独特のけばけばしい派手さで、
ふしぎにこの町ではそういうものが似合っていたのだ。

室町・桃山時代のギンギラギンが似合う町であったのだ。

その伝統にのっかって、
大屋政子女史のギンギラギンがあるのであって、
私は大屋夫人の肩を持つわけではないけれど、
狭い小さい島国、
誰もかれもシックで「こうと」になられると、
気が滅入ってしまう。

パ~ッと派手な人もいてもらわなければ、
陽気になれない。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5、おしゃれ ① | トップ | 5、おしゃれ ③ »
最新の画像もっと見る

田辺聖子・エッセー集」カテゴリの最新記事