・アメリカでいい思い出ばかりではなかったのに、
なぜアメリカのほうに好感度を持つのか考えてみると、
気分が解放されるのをおぼえたのは、
ヨーロッパよりはるかにアメリカのほうが強かったからだ。
パリの名の通ったレストランへ行って、
これは私のひがみかもしれないが、
「予約したはず」「いや受けていない」と、
私たちとボーイが押し問答しているのを、
客のフランス人男女が尻目に見ているその酷薄な表情、
というのは、これはヨーロッパでしかお目にかかれない。
日本だって、
東南アジアの旅行客にはそういう応対をして、
旅行客にせつない思いをさせるというのを、
どこかで読んだけれど、
ヨーロッパの東洋人に対する差別意識というのは、
何となく肌をチクチク刺す気味がある。
いまどきの若い人はそれをものともせず、
いちはやく溶け込むようだけど、
われわれ中年はそれをトゲのように感ずる。
現在の時点で、
ヨーロッパがどう変貌しているのかわからないが、
そんなに意識が根本的にクラッとひっくり返るとは思えない。
何泊かパリにいるあいだ、私はふと、
(こっちの人は日本文化を知ろうともしないし、
アホにしとるのとちゃうかしらん?)
というひがみ根性に悩まされた。
それはヨーロッパ人の、
東洋人に対する全般的感情のように思われるが、
しかし中国はちょっと違う目で見られている気がする。
パリ人、これもフランス人というよりパリ人であるが、
中国は不気味でもあり、
「何をするやわからん」という畏れもあり、
五千年の文化伝統というものに対しても、
敬意といわぬまでも、一応の心用意をしている。
しかし日本はというと、
これはもう歯牙にもかけぬという、
まあ、これは私の全く個人的感懐なので、
べつに理論的根拠はないのだが、
そんなことを考えさせられる。
個人的には私はフランソワーズ・サガンの愛読者だったり、
ジェラール・フィリップやジャン・ギャバンや、
アラン・ドロンが好きだったり、
フランス料理やフランス映画が好き、
なんてことはあるが、
フランスのそれもパリというせまいのぞき穴を通して得た、
ヨーロッパの感触は、心地よくないものだった。
ところが人種差別に悩む国といわれる、
アメリカへ行って私は気分が解放され、
昂揚感にみたされた。
サンフランシスコは日本人が多かったが、
そのせいばかりでなく、
ニューヨークでものびのびした、
歴史の厚みに圧倒されるということがないのは、
こんなにのびのびするものかと思った。
ニューヨークで食べ物がおいしいと思ったことは、
あまりなかった。
おいしかったのは皮肉にも、
人に連れて行ってもらったイタリア料理であり、
日本食の店だった。
だから料理に釣られたというのでもない。
観光客は多く、
ニューヨークやロサンゼルスあたりでは、
農協の団体さんというような感じの旅行客を多く見た。
アメリカは広いので、
地方の人々が大都市見物に来るようだった。
(次回へ)