・若宮のおん百日は、
二月十八日になる
この日は主上も、
北の対にお渡りになり、
お祝いになったが、
その準備のため、
行成卿はしばしば北の対を、
訪れられる
そして以前のように、
私の局へ来られて、
取り次ぎをご依頼になる
女房たちから、
白い目で見られている行成卿と、
それに加わらないで、
孤立している私が、
二人そろって打ち合わせしているさまは、
女房たちの反感と敵意を、
かきたてるらしい
針のような視線を、
あちこちからそそがれるのが、
皮膚感覚でわかる
しかし行成の君は、
実直な方であって、
心から中宮の君に、
同情していられるのである
「たいした、
すばらしいお方だ
百年に一度、
いや、千年にお一人の、
女性ではないでしょうか」
とまで称揚される
「中宮がどんなに主上のお心を、
捉えていらっしゃるか、
それは日夜、
主上のお側にお仕えする私が、
いちばんよく知っています
主上は近世に傑出された、
英君でいらっしゃるけれど、
また、たぐいないこまやかな、
情の強い心の美しい方です
私はその点もようく拝察して、
いるつもりですが、
こういう主上のお心を、
捉えてしまわれた中宮が、
どんなにすばらしい女性か、
思いやるだけでも、
楽しくなりますよ
『中宮』から『皇后』にと、
お名が変るのも、
お立場が変るのも時の流れ、
人の身、不運
それより主上との愛情生活、
という点では実に恵まれた、
幸せなお方と申すべきでは、
ないでしょうか
皆さんもそんな風に、
お気を取り直されて、
中宮をお慰めして、
さしあげてほしい」
といわれ、
それは私も全く同じ意見だけれど、
いまそんなことを、
中納言の君たちにいっても、
よけい自己憐憫の涙で、
よよと泣き伏すばかりであろう
「『芹摘みし』などと、
口ずさんでは悲観している人が、
多いんですもの」
「何です、それは?
歌の話はいいっこなし」
行成の君は、
この頃はもう遠慮なく、
私の局へ御簾を巻き上げて、
入って来られ、
(何しろ、
年下の従弟ですから)
と私に面と向かって、
談笑される間柄なので、
私もいちいち扇で顔を隠さない
「そうでした、
歌の話は禁句でしたっけ」
「止して下さいよ、
歌はもう、さっぱり・・・
あなたの『お兄さま』則光なみ、
なんですから」
といいかけられて行成卿は、
「そうそ、
則光は元気でいますか
便りはありますか」
「元気なんでしょう、
あずまの水が合うのかして、
都へは便りもしませんわ」
「則光には、
かえって都は居ずらいのか
人はさまざま、
置かれた立場で、
精いっぱい生きるしかありません
少納言どのに向かって、
これは利いた風なことを、
いってしまった
お許しください
しかしおわかりになって、
頂けるでしょう、
あなたと私の仲だから」
「わかりますわ
この世の中、
出世だとか地位だとか、
ひといろに見れば不幸でも、
見方の次元を変えたら、
大変幸福な運命の方も、
いらっしゃるってこと」
「そう、
そうなんですよ
かたちの上でお味方できなくても、
心ではお慕いして、
ご同情し共感を寄せ参らせる、
そういう目に見えぬお味方が、
たくさん、たくさん、
いるのです・・・
そういう者も、
世にはかず知れず居ります
どうか、
中宮さまによしなに」
「わかりましたわ」
私は深くうなずく
「『芹摘みし』の人々には、
わからなくとも、
中宮さまには、
おわかり頂けますわ」
「それ、何ていう歌なんです」
「いえ、お忘れ下さいまし」
と私は笑ってしまう
それは誰だったか、
女房の一人が、
泣きべそをかいたような声で、
古歌を口ずさんでいたのに、
みんなが同意していたのである
<芹摘みし昔の人もわがごとや
心にものの叶はざりける>
私はそういう、
うつうつと思い屈したような、
気分がきらいなので、
シケた昔の歌など誦して、
まるで自分たちが、
悲劇の主人公というような、
思い入れをするのは耐えられない
それで思い当たったのだけれど、
私に歌がよめないのは、
じめじめした気分や思い入れが、
きらいだからじゃなかしら
だって和歌といえば、
そういうじめじめと、
思い入ればかりで、
成り立っているんだもの
二月二十五日、
中宮は「皇后」という名称に、
お直りになった
形ばかりの皇后宮大夫が、
決まったけれど、
祝宴もなければ、
参会者に禄をふるまわれる、
こともない
いっぽう、
左大臣どのの土御門邸では、
彰子姫の立后を祝って、
都じゅう鳴りどよもすほどの、
祝宴がひらかれ、
限りなく人々が駆け参じて、
お祝いの品をうず高く、
積み上げたそうな
でも、そのあいだ、
新内裏では、
主上と新皇后はおむつまじく、
皇后によれば、
「いままでで、
いちばんたのしい春
今年の春は、
生まれてから最も幸福な春」
とおっしゃる日々を、
すごしていられた
われわれは一同そろって、
「皇后さま」ご昇格の、
およろこびを申し上げる
むなしいことではあるけれど、
「中宮」よりさらに位高い、
「皇后」をお祝いするという、
形をとることになる
「わたくしはそのことに、
関心を失ってしまったわ、
皇后でも中宮でもいいの」
と中宮は仰せられる
事実、春の訪れとともに、
中宮のご表情には、
昔の幸福ないきいきした笑みが、
浮かぶようになっていた
それと共に、
ご兄妹のかなめにならなければ、
という気力も、
みちてこられたらしく、
兄君、帥どのや弟君、隆家の君、
ともよく話をされるし、
東宮にまいられている、
淑景舎の妹姫とも、
おたよりを欠かせられない
いまもなお、
中宮はご一族の太陽のようだ
(了)