「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、コレクション

2022年02月19日 09時25分17秒 | 田辺聖子・エッセー集










・仕事に疲れたとき、気分転換に何をしますか?
と聞かれると、私はコレクションを眺めて、心と体を休める、と答える。

仕事にたえず追われて、合間に取材にも時間を取られ、結構忙しい。
そのわずかな細切れの時間に楽しむことは何かというと、
家の中で出来ることでないといけない。

そういうのに、コレクションは打ってつけである。
コレクターというのは、度が進むと偏執狂的になるが、
あれは男に多くくて女に少ないように思われる。

女は夫や子供が蒐集品の代わりになるのであろうか。
モノを蒐めるというのは、自己主張のあらわれであろう。

だから、主婦はコレクターになりにくい。
夫や子供を優先させていると、主婦の自己主張は後回しになる。

しかし、コレクションの世界はさまざま多彩で、
自分一人の世界を充実させ、女にとってこよないなぐさめである。



~~~


・私のコレクションのことを話そう。

どんなに高価な宝石でも、それがいつも身辺にあって、
楽しませてくれないと無意味である。

私は、そんなに高価ではないアクセサリを蒐めるのが好き。
いちいちケースに入れていたのでは仕様がないので、
陳列ケースを一つ買ってきた。

商売用のもので、四方ガラスだから、よく見えてきれいである。
ガラス、水晶、などのネックレス、イアリング、ペンダントをぎっしり並べる。

プラスチックの造花、二、三百円のものもある。
指輪、時計も並べて。

指輪といっても、ガラス玉やプラスチックのものが好き。
これを並べ替えたり、あまりにもいっぱいで、しまってあるのと出し入れする。

そういう時の喜びはいいようがない。

私は物持ちのいい方で、三十年くらい前のものでも持っている。
人さまに頂くものもあるし、増える一方である。

でも、ケースに入れてしまいこむ気にはならない。
ともかく、いつも目に入るようでなくてはならない。

切手も蒐めている。
私のところへは郵便物がたくさん来る。

中に珍しい切手もある。
これをはがして乾かし、切手ブックに挟む。
ブックはいつの間にか四、五冊たまり、
時折それを眺めて楽しむ。

マッチのレッテルもかなりたまった。
スクラップブックに何冊も貼り付けている。
これは子供のころからやっていた。

しかし、終戦の年の空襲で焼いてしまい、
今あるのは、戦後会社勤めをはじめたころの喫茶店あたりからである。

箸紙 箸袋のスクラップブックもある。
料亭や小料理屋、ホテル、旅館・・・
これは日付や同行者の名前も書いてある。

温泉宿では、
箸紙の裏や内側に「何とか音頭」など刷り込んであるのも面白い。

何年も経ってから、その温泉宿に行ってみたくなったり、
その箸紙には電話番号もあるから、予約はすぐ出来る。

お芝居、映画、音楽会、展覧会などの半券、入場券、
それにプログラムなどをコレクションする。

私は、そういうものは捨てず全部残してある。

各国のコインのコレクションは外国旅行の時の使い残り。
外国は、また行けるとは思えず、最初で最後と思うくせが私にはあり、
外国のコインはなつかしい。

ボタンとリボン。
私はボタンが好き。
普通のものではなく、子供用に使う、プラスチックの傘やアヒルの形のもの。
星型、花型。

リボンのコレクションがまた楽しみで、
一m、二m、とどちらかの長さで買ってきて楽しむ。

一mあれば、襟もとで結べるし、
二mあればウエストで結べる。

しかし、使わなくとも見ているだけでステキである。
このリボンは柄物、シルク物ばかり蒐めている。

昔の女のコレクションに、半襟というのがあり、
さまざまな色、柄、刺繍の半襟を蒐める。
今、半襟は白一色になって淋しい。

その代わりに私はハンカチを蒐める。
好きな柄を見つける度、買って、服やバッグの色に合わせて使う。

小ギレ、端ぎれを蒐める楽しみ。
古着屋で、古いしっかりした縮緬の着物を見つけ、
座布団や小物を縫ったりする。

服を仕立てる時、端ぎれがもらえるので、
それを蒐めておいて、パッチワークをすること。

私の夫は奄美出身なので、
奄美にいる親戚が拾い蒐めた貝がらを袋に入れて、
持ってきてくれたことがあった。

それがきっかけで、あちこちで貝がらを拾ったり買ったりした。
沖縄、マニラの空港、ハワイの市場、瀬戸内海の嵐のあくる朝拾ったの。

ガラスの瓶、これも私を熱狂させる。
ワインのデカンタ、ガラスの徳利、キャンディ入れ、水差し、
香水瓶、ブランディーの空瓶、沖縄民芸のガラスの壷。

さらに千代紙。
これを一枚二枚と買い蒐め、ぐるぐる巻いたものを棚に上げておき、
折にふれて眺めて楽しむ。

・・・というわけで、いかに私がガラクタに取り巻かれているか?
人さまの前に出せるものは一つもない。

コレクションのガラクタの一つ一つにドラマがあるはずなのに、
それらをどんなふうに使いこなすのかも、楽しみの一つである。






          

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