・仕事に疲れたとき、気分転換に何をしますか?
と聞かれると、私はコレクションを眺めて、心と体を休める、と答える。
仕事にたえず追われて、合間に取材にも時間を取られ、結構忙しい。
そのわずかな細切れの時間に楽しむことは何かというと、
家の中で出来ることでないといけない。
そういうのに、コレクションは打ってつけである。
コレクターというのは、度が進むと偏執狂的になるが、
あれは男に多くくて女に少ないように思われる。
女は夫や子供が蒐集品の代わりになるのであろうか。
モノを蒐めるというのは、自己主張のあらわれであろう。
だから、主婦はコレクターになりにくい。
夫や子供を優先させていると、主婦の自己主張は後回しになる。
しかし、コレクションの世界はさまざま多彩で、
自分一人の世界を充実させ、女にとってこよないなぐさめである。
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・私のコレクションのことを話そう。
どんなに高価な宝石でも、それがいつも身辺にあって、
楽しませてくれないと無意味である。
私は、そんなに高価ではないアクセサリを蒐めるのが好き。
いちいちケースに入れていたのでは仕様がないので、
陳列ケースを一つ買ってきた。
商売用のもので、四方ガラスだから、よく見えてきれいである。
ガラス、水晶、などのネックレス、イアリング、ペンダントをぎっしり並べる。
プラスチックの造花、二、三百円のものもある。
指輪、時計も並べて。
指輪といっても、ガラス玉やプラスチックのものが好き。
これを並べ替えたり、あまりにもいっぱいで、しまってあるのと出し入れする。
そういう時の喜びはいいようがない。
私は物持ちのいい方で、三十年くらい前のものでも持っている。
人さまに頂くものもあるし、増える一方である。
でも、ケースに入れてしまいこむ気にはならない。
ともかく、いつも目に入るようでなくてはならない。
切手も蒐めている。
私のところへは郵便物がたくさん来る。
中に珍しい切手もある。
これをはがして乾かし、切手ブックに挟む。
ブックはいつの間にか四、五冊たまり、
時折それを眺めて楽しむ。
マッチのレッテルもかなりたまった。
スクラップブックに何冊も貼り付けている。
これは子供のころからやっていた。
しかし、終戦の年の空襲で焼いてしまい、
今あるのは、戦後会社勤めをはじめたころの喫茶店あたりからである。
箸紙 箸袋のスクラップブックもある。
料亭や小料理屋、ホテル、旅館・・・
これは日付や同行者の名前も書いてある。
温泉宿では、
箸紙の裏や内側に「何とか音頭」など刷り込んであるのも面白い。
何年も経ってから、その温泉宿に行ってみたくなったり、
その箸紙には電話番号もあるから、予約はすぐ出来る。
お芝居、映画、音楽会、展覧会などの半券、入場券、
それにプログラムなどをコレクションする。
私は、そういうものは捨てず全部残してある。
各国のコインのコレクションは外国旅行の時の使い残り。
外国は、また行けるとは思えず、最初で最後と思うくせが私にはあり、
外国のコインはなつかしい。
ボタンとリボン。
私はボタンが好き。
普通のものではなく、子供用に使う、プラスチックの傘やアヒルの形のもの。
星型、花型。
リボンのコレクションがまた楽しみで、
一m、二m、とどちらかの長さで買ってきて楽しむ。
一mあれば、襟もとで結べるし、
二mあればウエストで結べる。
しかし、使わなくとも見ているだけでステキである。
このリボンは柄物、シルク物ばかり蒐めている。
昔の女のコレクションに、半襟というのがあり、
さまざまな色、柄、刺繍の半襟を蒐める。
今、半襟は白一色になって淋しい。
その代わりに私はハンカチを蒐める。
好きな柄を見つける度、買って、服やバッグの色に合わせて使う。
小ギレ、端ぎれを蒐める楽しみ。
古着屋で、古いしっかりした縮緬の着物を見つけ、
座布団や小物を縫ったりする。
服を仕立てる時、端ぎれがもらえるので、
それを蒐めておいて、パッチワークをすること。
私の夫は奄美出身なので、
奄美にいる親戚が拾い蒐めた貝がらを袋に入れて、
持ってきてくれたことがあった。
それがきっかけで、あちこちで貝がらを拾ったり買ったりした。
沖縄、マニラの空港、ハワイの市場、瀬戸内海の嵐のあくる朝拾ったの。
ガラスの瓶、これも私を熱狂させる。
ワインのデカンタ、ガラスの徳利、キャンディ入れ、水差し、
香水瓶、ブランディーの空瓶、沖縄民芸のガラスの壷。
さらに千代紙。
これを一枚二枚と買い蒐め、ぐるぐる巻いたものを棚に上げておき、
折にふれて眺めて楽しむ。
・・・というわけで、いかに私がガラクタに取り巻かれているか?
人さまの前に出せるものは一つもない。
コレクションのガラクタの一つ一つにドラマがあるはずなのに、
それらをどんなふうに使いこなすのかも、楽しみの一つである。