むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

16、中流ニンゲン ①

2022年08月18日 08時50分06秒 | 田辺聖子・エッセー集










・今の時代、(昭和50年代)
ほとんどの人が中流意識を持っているということだけど、
中流って何だろう?

どんなのを中流というのだろう?
私は中流だろうか?
私自身でもよくわからない。

その日暮らしというほどではないにしても、
現代日本の税制上、
資産は作れない仕組みになっている。

何よりこの、毎日、
締切に追われてイライラしているようでは、
これは時間貧乏というもので、
とても中流とは申せない。

私の思う中流は、
資産的にも人生的にも余裕のあるイメージだから、
それでいくと、私は下流もいいとこである。

私の考える中流のイメージは三つある。

その一つは恒産があること。

国民の資産が実質的に太っていかなければならない。
これが今の日本では、中々むつかしい状態。

何しろ世界に冠たる酷税ゆえ、
日本の庶民の家庭は大なり小なり、
綱渡りである。

がんじがらめのローン、
膨張する一方の教育費、
家庭生活はつねに波に洗われる砂の城のようである。

家族が無事息災でいるから何とか切り抜けています、
という家庭が多いにちがいない。

稼ぎ手や主婦が失職するとか、
倒れるとかすると、もう家庭崩壊の危機である。

それでも過去はそれなりに時代が質素だった。

しかし今は世の中が華美になっているから、
庶民の実質的な生活との落差が烈しい。

私たちは世の中の派手やかさに釣られて、
つい自分たちの生活も派手に錯覚してしまいがちであるが、
それは仮の虚像である。

われわれは時代にめくらましの術をかけられている。

虚像に酔っているようでは、中流とはいえない。
私など最も酔っているタイプの一つである。

東京、大阪をはじめ全国の主要都市には、
豪華な高層ビルが乱立し、物資はあふれ、
食べ物は氾濫し、交通は寸分の狂いもなく整備されて、
いかにも富める国、という印象。

われわれは、つい庶民も富んでいると錯覚を起こすが、
実際は、正直に生きている庶民は、
せわしいやりくりに追われている。

大企業富んで、社員貧し。

会社のビルは立派でも、
社員は狭い家をわがものにするのに、
ほとんど生涯を捧げ、遠路通勤してヘトヘトになる。

これも中流のイメージとはちがう気がする。

街は質素で素朴でも民衆一人一人が、
実質、がっちり資産をたくわえ、
少々のことではびくつかない経済的底力がある、
というようであらまほしい。

会社の見かけはともかく、
社員一人一人がゆとりある生活基盤を持っている、
というようであってほしい。

たいていの人がお金は入っただけ使う、
右から左へ流れ落ちてゆくだけ、
という生活状態では、ほんまに中流かいな、
と私は疑う。

日本庶民のお金の使い方も、
中流的ではないように思う。

お金の使い方が下手だから恒産ができない、
ということもある。

庶民は私を含めてお金に不自由しながら、
パッパと使うところがある。

街のうわべの華やかさに釣られ、
一万円の使いでがまことに少ない習慣を身につけてしまう。
これでは中流といえない。

中流というのは、一万円どころか、
千円の使いでがじっくりあるように使う階層である。

中流は世間の流行や風潮に流されない、
人と同調してよけいなものを買いこんだり、
買い替えたり、しない。

すぐに飽いたり、目移りしたり、しない。
持っているものを大切にする。

あるものに手を加えたり、修理したり、
リフォームして愛着する。

ペンキを塗り替え、クロスを張り替えて、
椅子を再生したりする。

一着の服を染め直し、
継ぎ足して新しいドレスに再生する。

編み物はほどき、傷んでいる部分をとりのぞいて、
別の古毛糸に足して新しいセーターに仕上げる。

そういうことを楽しんでやる。

貧しいからこんなことをして、
セコいやりくりをしているなんて、
と落ち込まないのが中流ニンゲン。

にんまりして、楽しみつつ、愛情を注いで、
いつまでもつきあう。

見栄を張らず、靴の修繕をしたり、服の手入れをする。
何年も服を新調しなくても、
くたびれた風に見せないのが中流ニンゲンである。

そうして財布の紐はかたい。
大いに渋いのである。

決してパッパにならない。

パッパと使うのは、
下流ニンゲンか上流ニンゲンである。

パッパでは中流ニンゲンになれない。






          


(次回へ)

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