・作者、蜻蛉の夫の兼家と兄弟ですが、
安子中宮と村上天皇のお子、冷泉天皇は、
追われるように退位します。
次の円融天皇は他の皇子同様、安子中宮を母とするので、
兼家、兼通の甥にあたります。
父、師輔の代が全部亡くなり、
彼の子供たちが実権を握るようになります。
師輔は大変な子福者で男の子が十一人、女の子は六人、
夫人は何人もいます。
伊尹(これただ)、兼通(かねみち)、兼家(かねいえ)の三人は、
安子中宮と同じ夫人腹から生まれた子供です。
師輔の兄弟が亡くなってからは、
長男の伊尹に政権が移ってこの方もしばらくして亡くなり、
そのご兼通に移ります。
ところが、兼通、兼家は犬猿の仲です。
四つ年下の兼家が兼通を通り越して出世してしまったのです。
そこで、兄の兼通は自分の妹の安子のところへ行き、
(関白の位は兄弟順にするように)と頼んだのです。
安子中宮は兄弟思いですから、
一筆書きまして兼通はそれを大事にしました。
安子中宮が亡くなり、次々と政界の実力者が死んでいきます。
「次は自分の番だ」
末弟の兼家は張り切っている時に、
兄、兼通は円融天皇のところへ行き、
兼通という人はどうも陰険で人に好かれないところがあり、
天皇にとっては叔父さんの一人ではありますが、
あまり親しんでいられなくて無視されようとされた。
兼通は追いすがって、
亡くなられた母上、安子中宮の書かれた一札をお見せしました。
母君のご遺言には違えられぬと天皇は思われて、
兼家に行くべき関白の位が急に兼通に行きます。
世の人々もたいそう驚き、兼家はがっかりして立腹し、
半年間は出仕もしないということになります。
そういう政界の一面が「蜻蛉日記」には出ております。
男たちの政争の場面を一応頭に入れておいて、
「蜻蛉日記」を読むとわかりやすいです。
蜻蛉はもちろん、
男の世界のいきさつは詳しく知りませんから、
失意の夫、兼家が家の中でごろごろしていますので、
(何だっていいわ。家にいてくれるのなら)
なんて書いております。
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・兄、兼通はそんなわけで政界の実力者になります。
弟の兼家よりも出世が遅れて負けていましたので、
ここぞとばかり弟の権力を奪ってしまいます。
ありとあらゆる方法でいやがらせをします。
そのうち、兼通は病気になりまして、
今にも危ないという状態になりました。
その時、弟の兼家の行列がこちらへやって来ます。
(あんなに仲の悪かった弟だけど、見舞いに来てくれたのか)
兼通は喜んで門を開け待っていますと、
行列は家の門を通り過ぎて行きました。
どこへ行くのかと思えば、
(兄は危篤だからおれが関白の位を)
ということで宮中に行こうとするところでした。
兼通は怒り心頭に発して家人が止めるのもきかず参内しまして、
居並ぶ人々を尻目に、(最後の除目に参りました)
と申して自分の関白の位を従兄の頼忠に譲ってしまうのです。
更に兼家の官位を取り上げてしまい、
別の人に任じて家へ帰ってすぐ死にました。
兼通から関白を譲られた従兄というのは、
父、師輔の兄、実頼の子なんですが、
この実頼一家は地道で朴訥で篤実な人々で、
師輔一家とは家風が違います。
何といっても今の天皇の外戚ではないので、
少し遠慮がありましてやがては兼家は元に復して、
太政大臣になりました。
権力を握った兼家は先の安和の変で源高明を葬った。
とにかく兼家くらいやり方がえげつなく、
思い切ったことをした人間はいません。
平安時代は奈良時代と違って、
決して政敵を殺したり血を流したりということはありません。
それに近いことを完全にやってしまうということは、
大変あざといのです。
兼家のそういう才能を受け継いだのは、
三男の道長に多く流れているようです。
(次回へ)