「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5、蜻蛉日記  ③

2021年07月02日 08時36分08秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・侍女の進言で、
気晴らしに石山の観音さまへお参りしようと出かけました。

朝の四時ごろ出て着いたのは夕方五時。
途中、若狭守の威勢よい車列に出会いました。

都ではぺこぺこしている者たちですが、
地方では大威張りです。

蜻蛉たちは身分からいえば比べ物にならない顕官の夫人ですが、
今はしのびの旅ゆえ、その一行に「どけ、どけ!」と言われても、
黙って従うほかはなく、プライドに傷がついたと書いています。

しかし、そのプライドも夫あってのもの、
そのくせそういう仕打ちをされると怒りを感じる彼女は、
苦しむ能力に長けた人。

石山詣でから帰ると突然兼家がやって来まして、
昇進したことを告げます。

夫は出世街道まっしぐらで、
その後、しげしげと蜻蛉のもとを訪れています。

そしてこの時に息子の道綱を元服させることになります。
円融天皇の大嘗会がありまして、
上皇(冷泉院)にお願いして道綱を元服させようとしました。

道綱はもう十六才。
元服とは一人前の社会人にするという感じです。

この後は頼もしい父親を持つ娘と結婚させて任せてしまえば、
自分は安心して尼になれるなんてことを、
蜻蛉は考えています。
婿は身ぐるみ妻の里が引き受けてくれます。

元服の儀式が終わったあとも、
兼家は道綱を連れてあちこちお礼参りに行って、
蜻蛉は大変うれしい。

またそういううれしさは例によって、
ほんの一行、二行しか書いていません。

「ことども例のごとし」と素っ気ないのです。

蜻蛉は何を考えるかといいますと、

(ああ、この子が一人前になってしまったら、
いよいよこれで兼家と最後になるんだわ)

実際、元服の儀式が済むと兼家は来なくなります。

そうして十一月が暮れて十二月の七日の昼間、
兼家がちょっと寄って来ます。

「もうこのごろは忙しくてね」

蜻蛉はぷんとして物も言いません。
それを見て兼家はそそくさと帰って行きます。


~~~


・年が明けて作者は三十六才。
兼家、四十三才。

これまで元旦には必ず来ていたので、
来ると思っていましたら、午後門の前を素通りし、
二、三日来ません。

一月四日の午後も兼家の行列は素通りしてしまいます。
蜻蛉は誇りも自尊心も粉々になってしまいます。

これがすぐに気を取りなおせる女、
少しちゃらんぽらんの復元力の強い女でしたらよいのですが、
すべて真面目に受け止める彼女にとって、
取り返しのつかない打撃であったでしょう。

車の音がする度、胸がつぶれそうです。
さすがの兼家も度々の素通りに気がとがめて手紙を寄こしました。

「私の横着のせいで小まめに行けず悪いと思っているよ。
忙しくてねえ。今夜にでも寄ろうと思うがどうだろう。ああ、怖、怖」

兼家は返事もしないのに平気な顔でやって来ます。
あっけらかんとして冗談ばかり言います。

蜻蛉はこらえていたうっぷんをぶちまけますが、
兼家は寝たふりをし、翌朝は物も言わず帰って行きました。

その後、そんなことも忘れたように、
また仕立物を持って来ます。

蜻蛉はそれも突っ返します。
そのくせ連絡が途絶えると「涙の浮かぬ時なし」
などと書いています。


~~~


・去年の暮れに友達に「呉竹が欲しい」と言いましたら、
「差し上げましょう」という約束で今日、持って来ました。

「どこへ植えましょう?」と聞かれて、

「どうせ私は長くないんだから、そんなもの植えなくたっていいわ」

友人が、

「まあ、そうおっしゃいますな」と言って植えさせました。

蜻蛉は何を考えたかといいますと、

(この呉竹が伸びたら、人々がこの竹を見て、
私のようにはかない運命の者がここに住んでいた跡だなあ、
と見てくれるでしょう)

などと涙を流します。

この自己憐憫というのは大変甘いもので、
女の人は大好きです。

蜻蛉もこの年まではまだ兼家に期待する心があって、
その裏返しで自己憐憫の涙を流します。
もっと進んで期待しなくなったら甘さは無くなるはずです。

この時はまだ冷静に自分自身の運命に直面していません。

まだもっと先がありそうな、
ひょっとして兼家が思い直して自分を愛してくれるかもしれない、
という気持ちがあります。
三十六才のあやふやな気持ちです。






          



(5  了)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5、蜻蛉日記  ② | トップ | 6、蜻蛉日記  ① »
最新の画像もっと見る

「蜻蛉日記」田辺聖子訳」カテゴリの最新記事