「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

14、男も一人で生きられない

2022年02月28日 09時04分38秒 | 田辺聖子・エッセー集










・宝塚歌劇を見に行っての帰り、
宝塚大橋を通っていて、連れの人に、

「ここの橋、例のモニュメントの問題でもめているのは・・・」

と話していたら、運転手氏が、得たりとばかり、

「そうです、この橋です」と言った。

橋の中ほどの高いところに彫刻が据えられることになっていた。

ロータリーだかライオンズだかの寄付であるが、
大きな人間の手のひらの上で女が舞っているというものらしい。
歌劇の町、女臭ふんぷんの町にいかにも似つかわしい。

歌劇の少女たちを象徴したようで適切なのであるが、
これを報じた新聞の文句が女たちのカンにさわった。
「男の手に舞う女の像」というのである。

「男の手に舞うとは、何ということだ」
と婦人団体から抗議があがった。

制作者の彫刻家はこれに対して、
「男とは限らない。強いて言えば神の手、と思ってもらってよい」
という風に言った。

しかし、婦人団体は諒承せず、寄付側や市側も譲歩せず、
問題はこじれたまま、いまだにモニュメントは設置されずにいる。

この問題は大きくなって、実は私のところへも、
講師として婦人団体から出席を要請する電話があったが、
近ごろ、こういう馬力がなくなっているので、出席出来なかった。

しかし、私も婦人団体に同調する方である。
そんなこと、どっちでもええやないか、あほらしい、
というのは簡単である。

簡単な方ばかりに行っていると、
いつまでたっても男は女を理解出来ない。

女を理解しなければ、真の男の幸福はありえない。
男にわかってもらえない女にも、
女の幸福はありえない。

小さなことにも「ちょっと待った!」と言わないと、
男たちはとめどなく不幸になり、女も不幸になる。

その時のタクシーの運転手氏からしてそうである。
おっさんは、

「主婦連がつまらんこと言うて、いまだに建ちまへんが、
ワシら、あんなん聞くとあったまにきますワ。
主人に養ってもらっとるくせに。
ヒマもてあまして、しょうむないことばっかり言うて、
あほかいな、いうとこですわ。
そんなえらそうなこと言うぐらいやったら、
自分一人でメシ食うてみい、いうんですワ」

そうしてやけに車をぶっ飛ばし、

「時々、主婦連の人乗りますけどな、
そない言うたりますねん。
そんならごっつう怒ってはりますわ。
そいでワシ、
『そない言いはんのやったら、一人で生きていってから言いなはれ』
と言うたら、黙ってしまいよりますワ」

と得意そうであった。
本気で議論したら、車から放り出されたかもしればい。
私の意見を言う前でよかった。

私は謹んで拝聴した。
こういう男はごくごく平均的な男で、
現代では若い男もこのぐらいのことは言う。

しかし、「主人に養うてもろとるくせに」と言うが、
男も女が家にいないと生きていけない、働けないのではなかろうか、
と考えられるような男が「いい男」である。

私は、男は女に守られて生きていると思っている。
「女は一人で生きられない」というが、
「男も一人で生きられない」のだ。

男も女も互いに異性の支えを力として、
生きにくい世を生きる。

男を大切にしない女、
女にいたわりと感謝を示さない男は、
異性と暮らす資格はない。






          



写真は誕生祝いのいちごのケーキ
妹が持ってきてくれました
外でごはんはコロナまん延のため順延に

気になるのは戦争が起きたこと
早く終りますように・・・

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