・宝塚歌劇を見に行っての帰り、
宝塚大橋を通っていて、連れの人に、
「ここの橋、例のモニュメントの問題でもめているのは・・・」
と話していたら、運転手氏が、得たりとばかり、
「そうです、この橋です」と言った。
橋の中ほどの高いところに彫刻が据えられることになっていた。
ロータリーだかライオンズだかの寄付であるが、
大きな人間の手のひらの上で女が舞っているというものらしい。
歌劇の町、女臭ふんぷんの町にいかにも似つかわしい。
歌劇の少女たちを象徴したようで適切なのであるが、
これを報じた新聞の文句が女たちのカンにさわった。
「男の手に舞う女の像」というのである。
「男の手に舞うとは、何ということだ」
と婦人団体から抗議があがった。
制作者の彫刻家はこれに対して、
「男とは限らない。強いて言えば神の手、と思ってもらってよい」
という風に言った。
しかし、婦人団体は諒承せず、寄付側や市側も譲歩せず、
問題はこじれたまま、いまだにモニュメントは設置されずにいる。
この問題は大きくなって、実は私のところへも、
講師として婦人団体から出席を要請する電話があったが、
近ごろ、こういう馬力がなくなっているので、出席出来なかった。
しかし、私も婦人団体に同調する方である。
そんなこと、どっちでもええやないか、あほらしい、
というのは簡単である。
簡単な方ばかりに行っていると、
いつまでたっても男は女を理解出来ない。
女を理解しなければ、真の男の幸福はありえない。
男にわかってもらえない女にも、
女の幸福はありえない。
小さなことにも「ちょっと待った!」と言わないと、
男たちはとめどなく不幸になり、女も不幸になる。
その時のタクシーの運転手氏からしてそうである。
おっさんは、
「主婦連がつまらんこと言うて、いまだに建ちまへんが、
ワシら、あんなん聞くとあったまにきますワ。
主人に養ってもらっとるくせに。
ヒマもてあまして、しょうむないことばっかり言うて、
あほかいな、いうとこですわ。
そんなえらそうなこと言うぐらいやったら、
自分一人でメシ食うてみい、いうんですワ」
そうしてやけに車をぶっ飛ばし、
「時々、主婦連の人乗りますけどな、
そない言うたりますねん。
そんならごっつう怒ってはりますわ。
そいでワシ、
『そない言いはんのやったら、一人で生きていってから言いなはれ』
と言うたら、黙ってしまいよりますワ」
と得意そうであった。
本気で議論したら、車から放り出されたかもしればい。
私の意見を言う前でよかった。
私は謹んで拝聴した。
こういう男はごくごく平均的な男で、
現代では若い男もこのぐらいのことは言う。
しかし、「主人に養うてもろとるくせに」と言うが、
男も女が家にいないと生きていけない、働けないのではなかろうか、
と考えられるような男が「いい男」である。
私は、男は女に守られて生きていると思っている。
「女は一人で生きられない」というが、
「男も一人で生きられない」のだ。
男も女も互いに異性の支えを力として、
生きにくい世を生きる。
男を大切にしない女、
女にいたわりと感謝を示さない男は、
異性と暮らす資格はない。
写真は誕生祝いのいちごのケーキ
妹が持ってきてくれました
外でごはんはコロナまん延のため順延に
気になるのは戦争が起きたこと
早く終りますように・・・