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「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、移転通知 ⑧

2022年10月20日 09時26分19秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・婆さんたちはもっちりもっちりと、
皺みた頬を動かして食べ続け、
そのうち九十一歳になる婆さんが、
ひょろりと立ち上がって踊り出した。

「危ないがな」

といって脇から支える嫁も、
七十近い婆さんである。

外は芭蕉の葉ごしに、降るような星空。
家の縁が低いので、外も内も区別がつかない感じ。

村の人々はとっかえひっかえ来て席に坐り、
島唄をうたった。

焼酎の匂いや落花生の匂いがぷんぷんする。

私は酔ったので、
庭のハイビスカスの生垣に立っていると、
関口君が用を足しにやってきた。

彼もかなりデキていた。

「奄美というのは、けったいな所ですなあ」という。

この青年はズケズケいいであるが率直なのである。

「いやぁ、あの人々は宴会するのも真剣ですなあ」

太鼓はドンドン、
鳩笛がピューピュー鳴り交わし、
ピンシャンと三線がひびく。

と、リズミカルな手拍子がピタッと一致し、
この島の人たちは、
天賦の音楽的才能があると思わせられる。

「歌、録音するの忘れた、しまった!」と関口君はいい、
「商売商売」と立ち上がる。

「もういいわよ・・・
こんなん取材でけへん。
一生に一ぺんか二へんという晩ですよ、
ゆっくり楽しまなければ」

と私がいうと、彼は笑った。

それは関口君が、私の言葉を、
ごく単純に捉えていることがわかった。

おそらく若い彼は、
こんな晩はいくらもまだ生涯にあると、
思っているからだろう。

その証拠に、

「例の、きれいな隣の娘さんはいましたか」

と聞いた。

私は、浴衣姿の若い娘さんを台所で見た気がしたので、
そういうと、彼は大喜びで家に入った。

私も席に戻ることにした。

関口君はつかまって歌をうたえと責められている。
彼は立ち上って、ロシア民謡を歌った。
わりにいい声である。

「ひどいなあ」

関口君は何度もそうつぶやいた。

黒糖焼酎は口あたりがいいので、
いくらでも飲めて清酒のような二日酔いはない。

関口君は何度も立って歌わされ、
ケサマツ伯父は、

「こんな遠い果ての村へ、よく来た、よく来た」

と際限もなく盃を満たす。

「ひどいなあ」と関口君がいうのは、
八方からつがれて、堪忍してもらえないからである。

台所へいってみると、
やっぱり、隣の美しい娘さんが来ていた。

彼女は焼酎の支度に忙しそうだった。
この子も一族の末である。
都会でも目をひくような美人である。

「どうもお世話さま」というと、

「いいえ。
・・・叔母さんが楽しみにして、楽しみにして・・・
ほんとにうれしそう」と笑った。

田舎育ちの娘はみな、やさしくて素直である。

この子は、両親が出稼ぎに出ているあいだ、
弟妹の面倒を親代わりに見ている。

叔母さんは今、夢中で太鼓を叩き、
島唄の「くるだんど」を歌っていた。

♪花ぬ咲ちゅり 三京山 さくなん
昔ら見ちんにゃん 花ぬ咲ちゅり
なおそ なおそ あけてぬ二三月 
吾きゃ家ぬ庭から うれなおさ♪

花が咲いている、
三京山の谷に美しい花が咲いている。
あけての二、三月、わが家の庭に移し植えよう、

という意味だそうである。

とても微妙なふしまわしでおぼえられない。

「よしッ、こうなったらもう、とことんやるぞォ」

関口君は歌いながらワイシャツを脱いだ。
それから叔母の日本手ぬぐいを頭に巻いた。
それから立ち上がって踊り出した。

大工の踊りは、奄美特有の手踊りである。
関口君の歌の合間に、婦人達は、口々に、
関口青年がいい子で、率直でかざりけなく、
かわいらしいということを言い合った。

関口君の歌が終ると、
若い男が、朗々と、「えらぶ百合ぬ花」を歌いだした。

この歌はリズムが快くて、聞いたら最後、
ついて歌わずにはいられない。

踊っていた大工が、「踊らんば!」
すると人々はまた、ほかの人々に、「踊らんば!」
と声をかけた。

人々は低い縁から下へ下り、
そのまま庭から海辺の砂浜へ出て、踊りはじめた。

手首から先を微妙に動かして、
彼らは腰で拍子をとる。

おっとりしていて、リズムにのった踊り方である。
それは「くるだんど」のような、
のびやかな歌に、とてもよくあう。

ふと見ると、関口君は、
あの美しい娘さんと向き合って、
けんめいに手踊りをおぼえようとしていた。

海から月が昇った。






          


(次回へ)

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