「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、移転通知 ⑨

2022年10月21日 08時54分18秒 | 「浜辺先生町を行く」  田辺聖子作










・アダンの林を吹いてくる風は人々の袂をひるがえす。

焼酎を飲んでは置いておどり、
こんどは、太鼓の叩き手と交代し、
歌声はますますたかくなる。

♪わたり談合くゎしゅて 
名瀬かち ひんぎろや
名瀬やしま近ききゃさり
鹿児島ひんぎろや♪

森は黒々と静まっているが、
海面は月光に照り映えていた。

老人たちは疲れると、流木に腰をおろし、煙草を吸った。
しかし、婦人達は、次々と踊りの輪に入って倦まない。

私は踊りの輪から抜けて、ケサマツ伯父に、

「ハブはいませんか?」というと、

「ハブはいないが、ケンムンはいるかもしれん」

伯父はおどかして笑った。

「ガジュマルの木に棲むというで」

と伯父がおどすので、
私は思わず寄っていたガジュマルの幹を離れた。

ケンムンは脛の長い、河童に似たバケモノ。

「ケンムンも今夜は踊るち」

とショウヅル婆さんはいった。

翌朝、早くから起こされる。
けたたましいレコードである。
三輪車で魚を売りにくるのだ。

家の外の水道で顔を洗っていたら、
「おはようございます」と関口君が来た。

彼は、ケサマツ伯父の家に「民宿」したのである。

「夕べは申し訳ありません。
録音もフィルムも忘れました。
いやもう、あの調子ではダメですな」

二日酔いもしないで笑っていた。

「今日こそ、取材の仕事は済ませましょう」

私はしかし、
今夜も昨日のようになる懸念はあった。

老人たちは、けろりとした顔で、
朝から畠や海へ出かけている。

叔母は朝食をこしらえていた。
誰一人、昨日のことをいうものなんか、なかった。

ましてや、昨日、しのこした仕事をしましょう、
などと思い煩うものもない。

ケサマツ伯父は、早速やってきて、
「茶ッくゎ」にフルンガブを食べた。

「今日はどこへいくち」

「古仁屋へでも連れていって、
グラスボートを見せようかの」

と叔母は台所から大声でいった。

グラスボートというのは、
船底がガラス張りになった遊覧船のこと。

そこへ、小学生の男の子が、
息を弾ませて走ってきた。

「今夜は、ウチでお客する、
いうて、おじいちゃんがいうとります」

と叔母に告げた。

キソジュン爺さんの孫である。
子供はハアハアと息を切らしていた。

「ヨソがいわん先に、
早ういうてこいと、お爺ちゃんがいうた」

叔母は子供に黒砂糖をやっていた。

「今夜もまた、あれですね。
『今日の誇らしや いつもよりまさり』
それから、また、歌に踊り・・・」

関口君はがっかりしたようにいった。
それはあまり、うれしすぎて放心した人の声であった。


~~~


・関口君は、
私の連載が始まるか始まらないかで、
東京へ転勤になった。

彼から移転通知がきたのは、
二、三ヶ月あとである。

東京の住所があって、

「その節はお世話になりました。
あの夜の取材は、いま思うに、
一生一度の取材のような気がします。
・・・どえらい取材をさせて頂きました。
時がたつにつれ、あんな愉しさは、
生涯に二度とない気がします。
浜辺先生のさがしていらした取材対象は、
きっとあの雰囲気だったのですね。
いま、ボツボツ、先生の本を読みかけています」

とあった。

私の本が面白いとはヒトコトも書いてないが、
まあ、それはいい。

「先生」を使っているではないか。
裏返してみたら、宛て名を関口君は、
「浜辺大姉」としている。






          


(了)

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