・私に清からぬふるまいをした、
掛川氏はあれからも、
私に電話してきたり、
英語クラブではウインクをしたりするが、
私にとっては、
色気の「テー」は、
もうお呼びではないのである
「ブー」と答えにくい
色気は大切だが、
もっと広くおしひろげ、
たのしいのがいい
一対一の「なまぐさテー」は、
いただけない
今日みたいに、
持ち寄りのご馳走を食べ、
あとダンスパーティをしようか、
というのがいい
一対一のなまぐさテーなんかに、
なってしまうと、
いい友人を失ってしまう
「いやあ、歌子さん、
今日がたのしみで、
夕べは寝られなかったです
きっきっ」
と富田氏が、
ケンタッキーフライドチキンの、
紙バケツを抱えてきた
この人は痩せて長身で、
しわだらけだが、
飄々とした老人である
笑うとき「きいきい」という声を出す
魚谷夫人は上品な人で、
京風おかずの詰め合わせを、
持ってきた
飯塚夫人は、
もと女学校の音楽の先生だったといい、
明るい気性なのが、
私の気に入っている
富田氏はきさくでよく、
魚谷夫人は人柄がおとなしくて、
教養がある
それぞれいい人たちで、
私が招きたい人たちである
「私もうれしくて、
いそいそしていましたわ」
飯塚夫人は稲荷ずしを持ってきた
夫人は団栗のような体に、
空色のデシンのドレスを着、
心弾みのほどを、
身なりに示している
私はとき色のデシンのブラウスに、
黒いシルクのロングスカート、
二重の真珠のネックレスという、
いでたち
魚谷夫人は、
茶色っぽいワンピースで、
化繊のようだが、
はんなりした色合いだった
少ない髪をうまく束ねて、
薄化粧していた
「今日は男性が足らないので、
若い男の子を頼みましたの」
私は泰くんを紹介する
「ほほう、
お孫さんですか?」
「いえ、ボーイフレンドですのよ」
「きゃあ~」
と飯塚夫人が肥った胸をおさえ、
もうそれだけで座は、
パーティらしく弾んでくる
泰くんはかいがいしく、
みんなにビールやサイダーをつぎ、
「『敬老の日』乾杯!」
といった
私は早速、
「ブー」と「テー」の話をして、
皆を笑わせる
「老人パワーを『テー』!」
というと、みんなは、
「ブー」と叫び笑いあう
「ほんとに、
歌子さんのそばへ来ると、
陽気になってしまって」
私もそういわれるのは好もしい
「陽気を皆さんに『テー』!」
「陽気を『ブー』!」
また笑いころげる
食卓について、
まず食べ始めることにする
まだ四時だが、
あとでダンスもする予定なので、
時間をゆっくりとりたいのだ
サナエが来たのはその時である
この女はいつも、
地味な紬の着物で来る
そして髪はひっつめ、
白粉気もないので、
六十というのに、
この席の誰よりも老けてみえる
私はサナエを紹介した
サナエは割烹着をつけた
「あんたもここへ坐りなさい
席をつくってあるんやから」
「いえ、いいんです
私、そんな晴れがましいところより、
裏方がいいんです」
彼女は泰くんが運ぼうとしていた、
グラスや氷を無理やりひったくり、
自分で運ぶ
何しろ頑固だから、
いう通りにさせておく
私が台所へいってみると、
サナエは包丁を使っていたが、
私に陰気にいった
「奥さま
このマンションの裏手に、
水子地蔵を祀ってあるところが、
ありますね」
「へえ
裏山なんか行ったことないから」
「私、拝んどきました
有縁無縁を問わず、
拝んでおいたらええのやそうです
奥さまのために拝んどきました
『水子霊教』というのがありますのよ、
奥さま」
なんでパーティのはじまりに、
水子霊の話など、
聞かされなくてはならぬのだ
「あんた信心深いのやねえ」
「私、『天地生成会』へは、
入っていませんけど、
神さまに悪くされると怖いですから
神さまも仏さまも、
よう拝みませんと」
と漬物を切っている
「神さん仏さんいうたかて、
人間と変わらへん
みな平等やないの」
私はサナエの顔を見ていると、
反ぱくしたくなってくる
眉間にたて皺よせて、
神や仏の怖さを説かれると、
(それがどうした)
といいたくなって困るのだ
「そんなことより、
あんたもあっちへ来なさい
台所の用はあれへんよ」
と私は無理にサナエを、
引っ張っていった
みんなは水割りにしたり、
ワインにしたり、
ちびちびやりながら、
食卓いっぱいにひろげた、
持ち寄りの食べ物をつつきつつ、
しゃべっている
ここでは、
嫁のワルクチとか、
体のあちこちがわるいとか、
いう話は出ないのである
みんな大阪生まれなので、
古い大阪の話になると、
活気が出る
サナエは黙って聞いているばかり
うつむいてまずそうに箸を使う
その眉間の皺は、
いよいよ深くなっている
初対面なので、
みんなの雰囲気にとけこめないのは、
無理もないかもしれない
「私の実家は天満でした
天満から船場へお嫁にいったころは、
天満の北はまだ田畑がありました
船場まで四、五百メートルの距離や、
いうのに」
と私はいい、富田氏は、
「私は船場の生まれやないけど、
兄が船場で奉公してたんで、
一六の夜店によう連れていって、
もらいました」
「あっ、夜店!」
と飯塚夫人は手を叩く
「順慶町の夜店に、
よういきました」
「あたしは平野町のほう」
「一六て、何ですか?」
と泰くんが聞く
「毎月一の日と、
六の日に出るので、
一六の夜店いわれてました
食べものも着るもんも、
植木、おもちゃ・・・
子供には極楽みたいなもんでしたな」
「今の子供は、
それを知らんからかわいそうです」
「僕、お祭り広場で見たことあります
中の島まつりのとき」
と泰くんは、
若い子らしく、
フライドチキンを一人で、
片づけていた
(次回へ)
・長男は、
何でも恰好づけを重んずるクセがあり、
「来い」と私を呼ぶときは、
西宮の自宅で法事をするとか、
誕生日、ひな祭り、正月、
などである
法事に私が坐らないと、
「恰好つけへん」
とむくれるのである
せっかく呼んだ坊さんや親類に、
「具合わるい」
という
恰好や具合のせいで、
私を招くのだ
家庭のセレモニーに、
私を招きたがる
そういうときは、
竹下夫人ではないが、
私を喜ばせてやろうという、
長男のやさしい心持ちなので、
あろうけれど、
そしてそれは私にもよくわかるので、
あるが、何しろ先方の都合が、
先にあるので、
私の都合なんか聞いてもくれない
「あしたなあ、
マサ子の誕生日やねん、
みなで晩めし食べよか、
何やかや作っとるそうやから、
来てんか」
「明日はあかん
お習字教室のある日で、
ぎょうさん人が来はるのに、
あたしだけ抜けられしませんがな」
「いつもそんなこというてるのやな
せっかく人が招くいうてんのに」
と長男はたちまち、
不機嫌な声を出す
それで私の都合に、
合わせてくれるかというと、
その調整をする気はないらしい
「ほんまに可愛げないな、
いっぺんでも、そんならいうて、
イソイソ来たことがあるんか、
こっちの好意を無駄にしてばっかりや」
この長男は、
私が思い通りにならないと、
すぐむくれる男である
私もむっとくるわけ
「こっちも忙しい体やから、
具合悪いときはしょうがないねえ」
「そんなら、
いつやったら来れるねん!」
長男はどなる
怒られてまで、
ご馳走を食べに行くことは、
なかろう
この長男の電話は、
いつも「怒り」を「テー」してるわけ
「せっかくご馳走してるのに!」
「あんたらで食べたらええやないか、
どないしても明日はあかん
夜の6時から7時までのクラスを、
受け持ってるんやから」
「そんなもん、
やめてしもたらええねん、
ええトシしてみっともない」
「そんなら、
早よ呆けたらええ、
いうのんか、
何もせんとボーッとしてたら、
じき呆けてしまうわ」
「そのほうが、
トシヨリの可愛げがあるかもしれん
おばあちゃんみたいに、
憎たらしいのよりマシかもしれん
いや、おばあちゃんのことやから、
恍惚になっても憎たらしいかもしれんな」
「それで憎たらしい恍惚で、
長生きしますのや
百までな
えらいお気の毒ですわ」
と私も「怒り」を「ブー」するわけ
何で長男と電話すると、
売り言葉に買い言葉になるのやら
長男のやさしさも、
わかっているのだけれど、
どうも、親子もろとも、
こういう形の交歓になってしまう
お習字教室は、
呆けないせいだと長男にいったが、
実をいうと、
お習字教室へは、
着物を着てゆけるから好きである
箪笥の肥やしになって、
眠っている着物を、
久しぶりに取り出して、
きっちり着つけてゆく
英語だの油絵だのの教室は、
服に限るけれど、
お習字教室は柔らかものの、
着物が似合う
ろうけつ染めの着物に、
眼鏡もべっこう縁、
それも眼鏡のたまにやや、
ブルーの色が入ったのなどが、
夜は目元を美しく見せていい
市民会館だから、
バスで行くのであるが、
帰りは必ず会館の人か、
教え子が車でマンションまで、
送ってくれる
私は、
わりあい教え方がうまくて、
親切だというので、
人気があるのである
昼の教室には、
ホステスも主婦にまじって来たりして、
一心に習字を習っている
請求書を書くのに、
お習字を勉強しているのだそうである
一心ふらんに励んでいる姿をみると、
私もまたイキイキしてくる
「先生はお若くて、
お召し物もよく似合ってらして」
などとほめられると、
いっそうイキイキしてくる
女はトシとっても、
いつもほめられなくては、
精がない
ほめるといえば、
いちばん若いボーイフレンドの、
大学生の泰くんは、
「歌子おばさんは、
お袋より面白いからな」
とほめてくれる
面白いたって、
私は泰くんの顔を見ると、
「遊び歩いていたらあかんよ
性根据えて勉強しなさい
麻雀ばかりしてるのやない」
と叱ってばかりいる
私の習字の練習時、
向かいに坐らせ
同じように筆をとらせて、
無理やり練習させる
「やっておいて、
損なことは絶対ないから
就職のときかて、
きっと有利やから」
といってきかす
泰くんははじめは、
不承不承であったが、
次第に興味が出てきたとみえて、
宿題を出したら書いてくる
ひどい字だったが、
少しずつなおってきた
学生だけにヒマがあって、
漢詩の作者など調べてくる
泰くんは、
私の用事をしてくれたり、
車で連れていってくれたりするから、
授業料はタダである
今日の「敬老の日パーティ」も、
彼がすっかり準備してくれた
応接間の家具を、
ひとところに並べ、
まん中をあけて、
ダンスができるようにしてある
花を飾ったり、
シャンデリアに飾りテープを、
垂らしたりすると、
英語クラブで、
毎年クリスマスに催す、
ダンスパーティのような、
雰囲気になった
食べ物は持ち寄り、
ということになっていて、
私はアルコール類と、
おにぎり、
お吸い物などだけ用意する
それに暖かい煮物、
大根と白天の煮たものであるが、
こういうのや、
焼き豆腐の田楽といったものは、
持ってくる人がないであろうから、
作っておく
今日来るのは、
英語クラブの友人たちで、
この友人がいちばん開明的である
七十歳のウィリーという呼び名の、
富田氏
エバと呼ばれる、
魚谷夫人
メアリで通っている、
七十四歳の飯塚夫人
この三人である
ほんとうは、
ビルという掛川氏も、
招く予定であったが、
氏は以前私に対して、
清からぬ振る舞いがあったから、
呼ばないのである
(次回へ)
・みんなよく食べ、
バケツのような深皿にかがみこんで、
むさぼり食っている
こんな猥雑騒然たるブタ小屋で、
私の食事ができるかどうか、
考えてみたがよい
食器といったら、
兵営の什器みたい、
お茶碗なんかどんぶり鉢ぐらいある
一瞬、見てとって私は、
「ありがとうございますが、
まだ廻るところがありまして」
と断るのである
私はほんのちょっぴりのものを、
美しい食器で食べるのがいい
うすくて透けるような、
繊細な清水焼きの、
清らかなもの
そのお茶碗にひと口のごはん
五勺の日本酒に、
ヒラメのエンガワなんかのお刺身、
灰若布を水にもどして、
シラス干しなんかと二杯酢で和えたもの
冬ならかぶら蒸しとか、
そういうもので、
日本酒をゆっくり楽しむ
時々、ベランダの鉢から、
花のつぼみをとって来て、
箸枕にしたり、
菊の花を摘んでおひたしにしたり
それらを心静かに、
ひと口、ひとすすりして食べる
ひらひらと食べる
ブタ小屋の喧騒のうちに、
肉やじゃがいものごった煮なんぞ、
食べさせられるほどの悪いことは、
しておりませんのだ
招待されるというのは、
こういうわけで、
たいがい私の気にいらない
だから、
こっちへ人が来るばかりで、
招いてもらえないと、
文句をいうのは筋違いであろう
招いてくれるといえば、
いちばん来い来いというのは、
長男である
しかしこれも嬉しくないのだ
いつだか、
竹下夫人に、
「長男が来い来いというのが、
うるさくて」
とつい洩らしたら、
竹下夫人はいつものくせで、
オーバーにいった
「ま、何という勿体ない
そんなことおっしゃったら、
バチが当たりますわ
世間には親を抛ったらかして、
気にしない子供がたくさんいますのに、
ご長男はなんて、
おやさしいじゃございませんか」
といった
私がこの夫人に退屈するのは、
正論を吐いている、
正義がうしろにあるという、
燃ゆるがごときエネルギーのためである
「人の好意、
まごころに敏感になるように、
というのが『天地生成会』の、
お教えでございますのよ
これは勉強では得られません
現神さまの御光を、
頂戴するんでございます
あの、ちょっと、
電話で失礼ではございますが、
私が御光の余光をさしあげますから、
奥さま、
お心をおだやかに、
気を楽になさって、
御光が体内に入りやすい状態に、
ととのえてくださいませ」
「どうするんですか?」
この夫人は、
「天地生成会」の信者であるから、
ときどき常人ばなれしたことをいう
「私が『テー』といいましたら、
奥さまは『ブー』と、
おっしゃってくださればいいんで、
ございます」
「あたしは豚じゃありませんよ」
「これはねえ、
深いありがたい意味が、
ありますのよ
現神さまの御光をいただくと、
心身がしゃんとして、
拭われたようになるんですのよ
『テー』というのは呈のこと、
現神さまは尊い御光を、
私たちに惜しげもなく、
差し出してくださるんです
『テー』といわれて、
私どもは『ブー』と受け取るのは、
封のことですわね」
「ブーフーウーって、
子供向けのドラマありましたけど・・・
子豚の・・・」
「豚じゃございません
『ブー』でございます
封はとじこめる、
頂いた御光をありがたく、
体内にとどめて、
封じこめさせて頂く、
という意味ですわ
『フー』では力が出ませんので、
生成会の道場では力強く、
『ブー』といっております」
私も早く電話を切ればいいのに、
つい好奇心がきざして、
聞き返してしまう
「現神さまが壇上から見渡されて、
両手を前にのばされて、
『テー』といわれると、
そのお手先から御光が、
まんべんなく道場の人々に、
ゆきわたって私どもの、
エネルギーになりますのよ」
「そのお手先から出てくるもの、
目に見えますの?」
「いえ、御光は俗人の目には、
見えません
見えませんが体がイキイキしますから、
分かりますのよ
私たちは自然に活力が出て、
元気よく『ブー』と、
声をそろえてお答えするんで、
ございます」
「ハハア」
私には想像もできない
「千人の人が、
いっせいに『ブー』と、
答えるさまは壮観ですわ」
それは壮観にちがいなかろうが、
それにしても、
もう少し何か、
美意識にかなう、
音楽的ひびきのある音を、
採用でできぬものであろうか
「ブー」で少し、
宗教的法悦とかけはなれたような、
気もしないではない
夫人は気合を入れた声を張り上げ、
私はおろかにも、
なりゆき上、
「ブー」
といわされる羽目になってしまった
「いえ、いけません
そういうお声では失礼ながら、
御光さまの通りが悪うございます
もっと力を入れて」
夫人は力を入れすぎたせいか、
少し息を切らしていた
その熱意にはかぶとを脱ぐが、
電話線という物質の中を、
御光とやらは通るのであろうか
「さ、もういっぺん・・・」
「ブー」
「もっと力をこめて!」
と夫人はいったとたん、
電話の向こうでどたりという物音
「もしもし・・・もしもし」
と私が叫んだが答えはなく、
遠くのほうで、
「あら、お姑さま、
どうなさいました、
しっかり・・・」
という夫人のお嫁さんの声がして、
電話は切られた
血圧の高い夫人なので、
ちょっとフラりときたらしい
御光とやらは、
私のところへ到達するまでに、
架線の途中でとどまっているのかも、
しれない
そうそう、
長男の話が脱線してしまった
私もモウロクしたのかしら?
しかし脱線したとわかるから、
まだマシであろう
(次回へ)
・「今日ちょっとお伺いしても、
よろしゅうございますか、
奥さま」
と西条サナエが電話してきた
うーん、またかぁ、
と私は憮然とする
この女、頑固者で、
会ってもあまり楽しくないのだ
人のことを頑固というのは、
自分も頑固だからかもしれない
素直で、
何でも相手のいいなりになったら、
頑固とは思わないだろうから
サナエのほうも、
私のことを頑固と思っているかも、
しれない
頑固対頑固、
頑固頑固した仲が面白いはずは、
なかろうに、
サナエはちょくちょく来たがるのである
六十になって、
淋しくなったのかもしれない
私なんか、
六十はまだ現役で働いていた
六十は老人の中へ入らない
女の美しい盛りである
「女盛りは真っ八十」
と九十になる私の叔母はいい、
私と宝塚を見にいって、
「やっぱり何やな、
若い人に比べると、
ワタエもちょっとトシとった、
という思いがしまんなあ
はっさい(おてんば)のワタエも、
あない足は上がらしまへん
そやけどどないだす、肌は
まだ娘はんに負けしまへんなあ」
と自慢していた
六十ぐらいで淋しがっていては、
こまるのだ
この女はしかし、
古い馴染みなので、
細木老人が来たがるのを、
断るようなわけにもいかない
戦後に私の店で働いてくれていた、
事務員である
四十でやめて、
今はお茶やお花の先生をして、
食べている独り者である
昔はキビキビしていい子だ、
と思っていたが今はちょっと、
老人性うつ病なのか、
陰気で頑固という、
私の最も好ましからざる性格に、
なってしまった
そこは困るけれども、
前沢番頭と同じで、
長年、一緒に苦楽をともにしてきて、
半分身内のような女だから、
よその人間という意識はない
私に時々会いたくなるらしい
そこもふびんである
「そうね、
今日は集まりがあるのやけれど・・・」
「今日はいけませんか?
私、今日ならよかったんですが・・・
集まりというのは何ですか?
『天地生成会』にお入りになって、
いらっしゃるんですか」
集まりというと、
宗教団体しか考えられないらしい
私はサナエもパーティに、
誘ってやろうと考えた
老人性うつ病の治療に、
いいかもしれない
「いえ、
遊ぶ集まりなのよ
ウチで『敬老の日」のパーティを、
しようと思うの
あんたも寄せたげるから、
いらっしゃい」
「そうですか
そんな所へ伺っていいですか
ほんならお伺いします」
とサナエは電話を切る
私はつくづく思うのだが、
私の所へ来たがる男や女は、
多いけれども、
私に来てくれと誘う人は少ない
彼らは電話をかけてくるが、
「お伺いしてもいいですか」
という「お伺い電話」ばかりで、
「お誘い電話」というのがない
私に電話してくる高齢者の男女、
熟年男女はサナエはともかく、
自立していないからであろう
自立老人だけが、
「お誘い電話」をかけられるのである
経済的、精神的、肉体的に、
ひとり立ちできる老人だけが、
「遊びにおいで下さい」
と誘えるのである
「お伺い電話」ばかりの、
老年男女を見ると、
自分の部屋もなく、
娘や嫁や孫に気がねする環境に、
ある人が多くて気の毒である
しかしそれ以上に、
何よりも気概がないから、
人を招くことが、
出来ないのではあるまいか
「自分の領土に、
客を迎える領主」
の気概である
客を迎えるというのは、
自分が主になり柱になることで、
ぐうたらや未熟者では、
つとまらぬわけである
気概のない人間は、
自分が招くより、
人に招かれ客になって、
大切に扱われたがるのであるらしい
だから私だって、
誰かれかまわず招く、
ということはしない
かの細木老人などは、
私のウチへ来たがってしょうがないが、
老人の昔話につきあわされるのが、
いやさにいい返事をしないわけである
客で来るほうも、
やはり気概のある客でなくちゃ
といっても、
私はどういうものか、
招かれても人のウチで、
居心地よかったことはあまりないので、
招待されるのはあまり好きでもない
小さい子供が出てきて、
しまいに童謡のテープなんか聞かされ、
おゆうぎを始められたりすると、
げんなりする
チビやガキ、
赤ん坊を見せると、
老人は喜ぶと思っているのかも、
しれないが、
私ゃ、へたくそなガキのおどりなんか、
見させられるほどヒマ人じゃない
ませた顔つきの幼稚園児が、
カックンカックンと首を振って、
拍子をとったりし、
得意満面でいるのを見ると、
つくづく、
生き飽いたという感じがする
カックンカックンのころから、
七十六の今日まで、
思えば遠くへ来たもんだ
私の息子たちが、
カックンカックンするときは、
私はもう夢中で可愛かった
しかし息子たちのそれぞれの孫の、
カックンカックンのころは、
私は会社を維持し、
暖簾を守ってゆくのに、
しゃかりきであった
孫のカックンカックンは、
可愛いのだけれど、
もっとヒマになったら、
ゆっくり楽しもう、
と自分に言い聞かせ、
働いてきた
働いて、働きぬいて、
ホッとした今、
孫たちは嫁入りしようか、
という年頃になっており、
他人の孫のカックンカックンを見ても、
どうしようもないわけだ
それからまた、
招かれるのはいいが、
無理やり招待されることがある
「お食事をどうぞ、
ご一緒に
お一人暮らしではさぞ、
お淋しい食事でしょうねえ
お察しいたしますわ
ウチで召し上がってください
ウチは何もございませんで、
ありあわせのものですけれど、
みんな家族が一緒で、
にぎやかに食事いたしますのが、
取柄なんでございますの」
といわれて、
七、八人の食卓へつかされる
これが虎や熊でも、
素手でひしぐような大男の、
高校生の息子たちが並ぶ食卓なのだ
娘も大女であった
(次回へ)
・おかげさまで私も気が晴れて、
ぐっすり眠れた
あくる朝は早く駅へ行って、
スポーツ新聞を二、三種買う
いっぺん見た試合を、
こんどは活字でくりかえし読みたいとは、
どういう心理なのだろう
今夜も引き続き巨人阪神戦である
テレビの前へ坐ったところへ、
次男が来た
「今夜こそ雪辱戦でっせ」
「おや、また来たの、
何もここまで来んかて、
自分の家で見たらええやないの」
「いや、
おばあちゃんのギュウいう顔、
見とうてな、
それが肴や」
次男は家では、
タテのものをヨコにもしないと、
嫁が嘆いているが、
ウチへ来ると、
自分でさっさと冷蔵庫から、
缶ビールなど取り出してくる
二回表、
シピンが本塁打で二点
「どんなもんじゃ、
巨人先行ですんまへん」
と次男が手を叩いていたが、
三回裏、真弓が同点二ランである
次男はテレビに向かい、
「平気平気、
今日の堀内は気合はいってる
今日は頂きや
おばあちゃんギュウいわしたれ」
「何いうてんねん、
堀内は中盤でおろさはるねん
それにくらべ、
阪神の工藤はよう投げてはる
私ゃ、じっくりしている工藤が、
好きやねえ」
「じっくりしてるも、
くそもあるか
堀内とはくらべものにならんわい」
試合は同店のまま、
ニッチもサッチもいかぬ、
というところで、
夕べと同じ、
つばぜりあいが続いている
九回表まで巨人は無得点であった
九回裏で阪神は、
一死後にラインバックが二塁打を打ち、
島野が代走に送られた
そのあたりから、
球場内もアナウンサーも昂奮してしまって、
よくみきわめられない
巨人の堀内投手は夕べの佐野を、
敬遠しているらしい
次のバッターは竹之内であった
竹之内の打ったタマは、
たよりなげにセカンドのほうへ、
フワフワと落ちてゆく
淡口がけんめいに追いかけてゆくが、
ポロリとグラブからこぼしてしまった
足の早い島野がそのすきに、
かけぬけて、
これで二日続きのサヨナラ勝ち
阪神ナインは固まり、
もんどり打って喜んでいる
「どうもすみませんねえ
二晩続けて勝たせていただいて
お気の毒やこと」
私がこらえきれず、
ニヤッとすると、
「くそっ!」
と次男は拳でテーブルを叩き、
髪をかきむしるのである
こういうのをいじめるのは、
楽しい
「堀内の名球会入りもお流れか、
可哀そうに」
「ちゃう、よう投げた
堀内が九回まで持ちこたえたんは、
頭脳的投球をしたからや」
「堀内だけでは舞が舞わへん
まわりが堀内見殺しにした
巨人は何してはるのん」
「へん、
そいう阪神こそ、
故障だらけやないか」
ケンカしあいながら、
次男は帰ろうともしない
さらに新しい缶ビールを開け、
快さそうにワルクチをいっている
その顔は晴れ晴れと輝いている
もしかすると、
ウチはケンカ道場、
私は荒気でもって、
荒気をやわらげるという、
荒気の現神様かもしれない
荒姥こそ、
荒気なごみの教祖さまなのだ
(了)