うたた寝〓自堕落〓ダラダラ〓


何でもいいから
やりましょ、と
始めたのですが。

ランドセルを放棄した子供

2011-11-15 06:52:08 | 日記
あの頃は、大人という生物が全て嫌いだった。

生まれて最初の社会が家族、次は幼稚園、小学校、中学高校、習い事の社会、大学へ行く頃は、平行して世の中という生業を知る。

就職して、社会人という名に基づき、ようやく一人前と認可される。

私は、子供時代の方が鋭敏な大人であった。
気持ち悪い大人は、たくさんいた。
村社会、あの頃の大人は、まだ若くてギラギラしたものあって、村社会の暗黙の了解という得体の知れないチームを子供乍に感知して、常につけていた。

今更ながら、大人になった自分も投影すると、大したもんではないんだと気付く。

ランドセルを放棄したくなるほど、あの時代の周りの大人は、言動が抑圧的過ぎた。

教師も、食う為の職業であり、聖職ではない。
生きた証として職業選択し、生業にしたまでで。だからといって、特権乱用していい訳ではない。

まだ、中学時代の教師の方が、人間らしく、混沌としつつ、あの時代を生き、仕事した様に思える。

この街は、やはり権威主義なのは変わらないのだから、リベラルなバイプレイヤーが育たない。

だからこそ、歴史に拘る癖のある大人が、憧憬するのだと思う。

歴史は、まやかしだから。実像は、想像だから。


それぞれの素材を活かすのが、教育だ。


ゲゲゲのコメント

2011-11-15 03:28:17 | 日記

すごい

まるで、え〇如しの、連射撃に、あたし~ん

ありがたや

継続は力なり、何て言葉も割合にかもしんないと思ってまうよ


近況は、今年の就活10件したが、全滅

いやはや、それは仕事するなと、神の思し召しか
全て都合良く解釈する、能天気なあたしなのである。
ウーン、どうしょ

いやはや、無くなると、人間の本質がわかるというのは、どうやらホントみたいだね

あたしは、とうとう頭にきたこれは、二通りの解釈あるが、決してなく、脳下衰退の意である。

やっぱりあたしは、ナマケモノ。


要するに、遅延人なり。


最後は、どこぞの寺にでも駆け込み住みつくのも、この街に住む選択肢かもね
次々、悪智恵働くあたしなのでした