つい一昨日、Facebookのプロフィール写真をリニューアルした。
これが、その写真。
でもって、Facebookの3年回顧録を読み返し、友達になっても、こちらから削除したり、先方から削除されたりなことも回顧しつつ、考察。
でね、削除した人々が全て京都生活で会った人々な訳よ。
学生時代の同級生、酒場で会った人なんですが。
今更ながら反芻しますが、この古都地方都市、ほんとうに変な人多い。あたしもある種の変人なんだが、ベースは、生真面目几帳面なので、大いに道から逸れきることはできないんだが。この削除したされた方々、気持ち悪い所あんのよね。その気持ち悪さを、拡大考察した結果、明け透けであることが共通点であることに行き着く。
第一印象は、人当たり良しなのだが、何かあたしは、気になる?が付きまとい、何なんだ!この胸騒ぎ?と感知する人々。事後、大当たりするんだが…やはり、何か目論見あるのよね。
それは、ビジネスだったり、副業であったり、要するに何だかの利害発生する訳ね。もう、この段階であたしの場合は×ね。余談ですが、どんな状況であっても、虎視眈々と仕事して、しっかり稼ぐのが、社会的に賢者になるのでしょうが、何でもありではダメよ。あたし、只今ルンペン失業者ですが、嘗ての人間観察から物申すとですね、仕事のやり様は、その人自身に繋がります。生き様が端々に恐ろしくも現れます。そんなもんです。
だからこそ、大人社会の泳ぎ方は、細心な注意が必要になるんです。
そつなく社交なんて、それまでの関係です。或意味、楽チンでありましょうが、あたしは出来ません。
どうでもいいならやりますが、やった後の、こんな自分が嫌になる症候群に患いたくないからです。
もう四十路半ば、人生半分以上着てしまいました。
これから本番です。やはり、easyなのは、避けたい。
草臥れて身も構わなく宵待月
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