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沖洲マリンターミナル・・・かつて徳島の海の玄関口だった(その3)

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そう、この沖洲マリンターミナルは、明石海峡大橋開通前は「徳島県の海の玄関口」でした。

1994年9月の関西国際空港開港を機に、もともと就航していた大阪や神戸とを結ぶ高速船に加え、関西国際空港との間を結ぶ高速船航路が就航することが確実視されており、ちょうど整備中だったマリンピア沖洲の一角に高速船ターミナルを建設してここに発着させ、併せて会社ごとに分散していた高速船の発着場所をこちらにまとめるべく徳島県が整備しました。オープンは開港3か月前の1994年6月です。

関空開港から阪神大震災発生までの間は、以下の高速船航路が発着していました(1994年末時点)。

 徳島~大阪航路・・・9往復

 徳島~神戸航路・・・4往復

 徳島~関空航路・・・6往復(全て徳島~大阪航路の途中寄港便)

 徳島~和歌山航路・・・9往復

しかし、1998年4月の明石海峡大橋開通で状況は一変しました。徳島~大阪航路の直行便および徳島~神戸航路は高速バスに太刀打ちできないと運営側が判断して開通と同時に廃止となり、徳島~関空~大阪航路も僅か2年足らず後の2000年2月末限り廃止されました。残った徳島~和歌山航路の高速船も、もともと南海電鉄と乗り継いでの対大阪の利用が多かったため利用が大きく減少しており、2002年1月末限り廃止されました<フェリー航路は存続>。つまり、沖洲マリンターミナルが高速船ターミナルだったのは僅か7年半です。

このあたりの推移は、淡路島の津名港ターミナル(2022/6/20付ブログ記事「淡路島・津名港の栄華を偲ぶ高速船ターミナル(その1)」参照)と瓜二つですね。いずれも、高速船ターミナルの整備が発案された段階で近い将来に明石海峡大橋が開通することは決まっており、それにより高速船に大きな影響が出ることは容易に推測できたはずですが、いろいろと事情があったのでしょう。

 

以下で、使用停止から20年以上経過したもと高速船のりばの様子を紹介します。

(つづく)

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