最近森のなかを散歩している。
もう習慣になっているようだ。
毎日そこに立っている巨木と私は関係してるようだ。
ある日、会いに行ったら根元からバッサリ切られていた..
となったら、きっと私は落ち込むに違いない。
巨木は動かない。
どっしりとしたものだ。
当たり前だけど、死ぬ気で両手で押してもビクともしない。
頑固を通り越したような固さだ。
隣に生えているまだ幼木を触ってみる。
当たり前だけど、動く、しなる、ビヨ~ン♪となる。
子供時代の心の動きが大きいように幼木はよく動く。
周囲の刺激に敏感だ。
一方、巨木は動かない。
大人になって、年齢を重ねると、時に感動することがとても困難だ。
実は心に辿りつくのはとても大変だと感じる時がある、今日この頃。
小さい頃は心そのものだったように感じる。
自分の身体は心でできていると錯覚するぐらい、心そのものだった。
でも今は、自分の心がどこにあるのか?わからない時がある。
心を奥深くに置いておくことは生きる知恵でもあり、防衛のためでもある、ような気がする。
長いあいだ動いていない、動かない我が心を案じた時に、巨木の動かなさが重なる。
私は小さい男だ。
あの巨木のように動かない心のなかにある感動を掴むのだ。
書いていて自分でもちょっとワケがわからない笑