名言サラダドレッシング

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巨木から感じたこと。

2016-06-24 17:50:23 | 日記

 

最近森のなかを散歩している。

 

もう習慣になっているようだ。

 

毎日そこに立っている巨木と私は関係してるようだ。

 

ある日、会いに行ったら根元からバッサリ切られていた..

 

となったら、きっと私は落ち込むに違いない。

 

巨木は動かない。

 

どっしりとしたものだ。

 

当たり前だけど、死ぬ気で両手で押してもビクともしない。

 

頑固を通り越したような固さだ。

 

隣に生えているまだ幼木を触ってみる。

 

当たり前だけど、動く、しなる、ビヨ~ン♪となる。

 

子供時代の心の動きが大きいように幼木はよく動く。

 

周囲の刺激に敏感だ。

 

一方、巨木は動かない。

 

大人になって、年齢を重ねると、時に感動することがとても困難だ。

 

実は心に辿りつくのはとても大変だと感じる時がある、今日この頃。

 

小さい頃は心そのものだったように感じる。

 

自分の身体は心でできていると錯覚するぐらい、心そのものだった。

 

でも今は、自分の心がどこにあるのか?わからない時がある。

 

心を奥深くに置いておくことは生きる知恵でもあり、防衛のためでもある、ような気がする。

 

長いあいだ動いていない、動かない我が心を案じた時に、巨木の動かなさが重なる。

 

私は小さい男だ。

 

あの巨木のように動かない心のなかにある感動を掴むのだ。

 

書いていて自分でもちょっとワケがわからない笑


今日の森の風景。

2016-06-23 15:18:58 | 日記

 

今日も森のなかを歩いた。

 

白いモヤがかかっていた。

 

軽く雨が振っていた。

 

いつもの木の前に来た。

 

木の根元に立って、真上を見上げる。

 

水滴が玉となって落ちてくる。

 

ニュートンじゃないけど、落ちる水滴に重力を感じた。

 

同時に上に伸びる木に感嘆した。

 

上に伸びるメカニズム?を想像した。

 

木は光を求めて上に伸びてるのか?

 

というより、光が上に伸びるように誘っているのだろうか。

 

同時に根っこを忘れてはならない。

 

見えない根っこの存在があってこそ。

 

上に力強く伸びている木があって、見上げる時、

同時に根っこを想像できますように。

 

木が上に伸びようとすることと、

私がもっとお金が欲しいと思うことは一緒なのだろうか?

 

木が上に伸びることは欲なのか?

 

いやそれが自然の流れなんだろう。

 

木はそのまんまだ。

 

土があって、

風があって、

光があって、

雨が降って、

 

木はそこを動かず、そのサイクルに揉まれている、結果、伸びている。

 

目の前の巨木を思い切り、押してみる。

 

ビクともしない笑

 

隣の生えたばかりの幼い木を押してみる。

 

ビヨン♪ビヨン♪

 

ビクともしない巨木さん、あなたはずっとそこで..

 

 

 


毎日同じものを見ること。

2016-06-22 17:33:06 | 日記

 

最近、朝起きてすぐにバイクで少し走ったところにある、森の散歩道を歩いている。

 

木を見ると、緑を見ると、なぜか落ち着く。

 

高い木たちに囲まれながらも圧迫感を感じないのはなぜだろう?

時に他人に囲まれると圧迫感を感じるのをどうにかしたい私は、そんなことを思った。

 

森のなかのある場所で、ある木の前で歩を止める。

 

そしてその木に挨拶をし、今日も会えたことに感謝する。

 

その木に寄りかかる周囲を見渡す。

 

周りにも木が草が生えている。

 

 

小雨が降っている今日は新しい発見があった。

 

小雨が玉となって時おり、落ちてくるのだけど、

それが地上に生えている葉っぱに当たる。

 

水玉が当たった緑の葉は衝撃で、ボヨンボヨン♪と上下左右に動く。

1つに捉われずに、全体を眺めると、

あっちでボヨンボヨン♪

こっちでボヨンボヨン♪

 

1度止んだかと思うと、

遠くでボヨンボヨン♪

近くでボヨンボヨン♪

 

その様子がとても面白かったのだ。

わかってくれるだろうか?

その様子を見ている私は愉快。

 

もしも小雨じゃなかったら、こんなところに愉快があったなんて気づかなかったかもしれない。


友達のお店で。

2016-06-21 17:41:22 | 日記

 

友達のお店で、友達と話しをしていた。

店主である友達は、営業時間も終わり、店内BGMのボリュームを上げた。

そのなかで、私たちはおしゃべりをした。

 

曲のチョイスが自分が中学くらいの曲ばかりだった。

それについて尋ねると、その時代専門の有線を流してるらしい。

 

イエモンの吉井さんと、ユニコーンの奥田さんが雑誌の対談で、

「なんだかんだ思春期のガツン!来た音楽が今でも1番好きだ」と言っていたのを思い出した。

 

音楽の感動を覚え、さらなる感動を求め、あちこち手を出すが、結局あの頃のあの曲が今でも1番。

 

おしゃべり中に店内を流れる曲は、自分たちが中学生ぐらいの日本ポップだった。

そのなかに中島みゆきさんの曲があった。

 

男には男の故郷があるという..で始まるあの曲だ。

 

おしゃべりと音楽を耳でごくごく飲んでいた私。

 

中島みゆきさんの曲は響いた。

立ち位置が面白いし力強い。

 

それから数日後、私はバイクで走っていた。

空は曇り空だけど、雲は薄く、空の向こうは思いっきり晴れてるようなことがわかる曇り空だ。

 

曇っているけど明るい

ドンヨリはしていない

 

その空を見ながら、不意にあの日店内で聞いた中島みゆきさんの曲を思い出した。

 

あ~、みゆきさんってこういう感じだよな~と感じた。

 

曇ってるけど明るい。

 

面白くて力強い立ち位置だ。


地球の創造の想像。

2016-06-19 18:36:49 | 日記

 

どうだろうか?

 

絶望してるかもしれない。

 

体がしんどいかもしれない。

 

生きる意味を見失って途方に暮れてるかもしれない。

 

思い詰めて下を向いてるかもしれない。

 

過去の呪縛に今日もまた縛られているかもしれない。

 

先が開いてるのではなく、閉じていく一方かもしれない。

 

悲しいかもしれない。

 

仕事がきつく、ろくに寝れず、体力の限界かもしれない。

 

誰にも理解さえず、邪魔者扱いされて、蔑みを食らい、怒りに震える手が理性を失いそうかもしれない。

 

相変わらず私はギリギリのところにいるが、最近地球の創造を想像するようになったのは明るい話題だ。

ヤフートピックスに載せて欲しい笑

 

「都内にお住いの男性が相変わらずの絶望の境地で、地球の創造を想像するようになりました!」と地域ニュースでもいいから載せて欲しい笑

 

あることに気づいたんだ。

 

地球が始まったからこそ、今の全てはある。

地球の創造がなかったら、絶望もクソもないんである。

 

始まりは終わりでもある、でもその言葉も、地球の創造が起きたからこその言葉なんでござる。

 

今のもろもろの絶望の類も、地球の創造があったからこそある。

 

ならば、地球の創造を想像しよう。

 

ガスが固まったり、

衝突したり、

はがれたり、

空間が歪んだり、

膨張したり、

引っ張られたり、

くっついたり、

熱くなったり冷えたり、

化学反応?が起きたり、

 

創造の過程を想像してみると、そのとてつもないスケールの大きさに気絶しそうになるけど、

それは前向きな気絶だと私は捉えている。

 

なぜなら、創造の過程だからだ。

絶望というのはもしかしたら、地球の創造のなかの1つの現象を模倣した結果なのかもしれない。

地球の創造の過程には、きっと絶望の原型になるような現象があったに違いない。