劣化ウラン兵器禁止のためのNO!DUネットというところのニュースに「やわらか市民運動のすすめ」という記事を連載しています。月1回くらいで発行されています。今回はその記事を再掲します。タイトルは「本筋を踏み外さぬこと」。ここのところのテロ特新法をめぐる国会とマスコミの動きを見ていて「どうも変」と感じています。
人間はついつい目の前のことを追いかけてしまう性質があります。大切な仕事をしているところに、誰かから電話がかかり、大した用事ではないが「知っているはずなのにちゃんと答えてあげられなかった」りすると、無性に気になってそのことを調べ始めたりする・・。で、大切な方が大幅に遅れ追い詰められる・・。思い当たる人は多いのでは。
市民運動の中でも、いろんな人が集まって議論していると、その方向性があらぬポイントに集中して、本来決めるべきことが決められなかったり、下手をすると対立を招いて分裂の危機に瀕したり・・と、経験はありませんか?
私はいま、平和勢力を結集させようという主旨の運動にとりくんでいますが、その「結集を求める」人たちどうしが激しい意見の食い違いを見せ、協調性がなく、柔軟性がなく、頑固で頑迷であることに、まああきれ果てています。
どうして、そういう性質の人が「小異を捨てて結集しよう」と言えるのだろうと。思うことと行動することは、相当に違うのです。もちろん全員ではありませんが、「結集を求める」人の中に、もっとも結集の苦手な人たちがいるのだなあ・・というパラドクスです。
この原因には、おそらく、「思うことは実現するのだ」という誤解があると思います。「思わなければ実現しない」というのは正しい。でも思っただけでは実現はしません。実現するために、自分たちは何をしなければならないか、それをどの順番で、どのような方法で達成するか・・を練りに練って、そして行動に移さなければなりません。
でも「思う」だけで止まっている人がいます。そういう人に限って、「思っているのに実現しない」と怒りはじめます。しかも、その怒りを外ではなく内に向ける。そして、事務局がナットランとか、○○の対応が悪いとか・・こうなるともう運動破壊者です。ア・ナ・タはなっていませんか?
どうして志は清く正しいのに、そんなことになってしまうのか?そこで、ときどき、私は何を実現しようとしているのか、そのことをやれているか・・と考えてみましょう。
さて、国会では新テロ対策特措法をめぐる与野党攻防の真っ盛り・・のはず。この論議の根幹は自衛隊の海外派兵の問題、インド洋上での給油活動は違憲か合憲か、そもそも本当に国際社会の役に立っているのか、アフガニスタンの救援になっているのか・・などの議論であるはずです。
しかし、いま焦点化されているのは山田洋行、守屋前事務次官をめぐる防衛調達疑惑。これはこれで、もちろん重要な問題ではあります。でも、私たちがテロ特措法をめぐって頭を回転させるべきは、「平和憲法の下での国際貢献のあり方」だったのではないでしょうか?
守屋前事務次官の接待ゴルフ問題から、微妙に「本筋」がずらされてきているとは思いませんか。安倍元総理の憲法改悪、アメリカ従属、給油継続というわかりやすい直球勝負のおかげで、国民の意識も憲法9条や自衛隊の海外派遣や日米関係に向かうようになっていました。小沢民主党代表の雑誌『世界』でのISAF参加発言は、この方向性にさらに拍車をかけました。
良い悪いは別にして、みんなを考えさせたという点で、まともな政治、まともな政策議論に近づいていました。これをぶち壊したのが、守屋と福田-小沢党首会談です。誰が、どう仕組んだかは別として、議論が一気に大連立の仕掛け人と下世話な政界汚職問題に変わってしまいました。見事な焦点ぼかしです。(しかも、問題の防衛庁調達疑惑は全貌も解明されずに、中途半端な尻切れトンボに終わるでしょう。)
国民の意識がきっちりと整理され、憲法や自衛隊や外交についての明確な意識層が誕生することを、巧妙に破壊したのでしょう。その立役者はどう考えても小沢氏ではありません。彼は手足をつながれた操り人形のように自由自在に弄ばれた哀れな玩具のようにすら見えます。
わが身を捨てて日米関係維持とインド洋上の給油継続への流れの変化を作り出した・・もしかして立役者は前事務次官・・などとサプライズを思ったりもします。彼らなりの『本筋』を守ったわけで、そうだとすれば、あちらの策謀は数段上手とも言えます。まあ、私の「うがちすぎ」かも知れませんが。
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