「不都合な真実」のアル・ゴア元アメリカ副大統領がノーベル平和省を受賞しました。IPCC(地球変動に関する政府間パネル)との共同受賞で、私自身、この受賞を聞いたとき、両者は「対等か」と一瞬思いました。
1992年から地球温暖化問題を警告し、こつこつと意識喚起の仕事を積み重ねてきたIPCCに対し、そのIPCCの努力の成果を映像にまとめただけのゴア氏・・。本来、この受賞はIPCC単独のものでは・・と。
しかし、そのすぐあとに考えが変わりました。地球温暖化問題はまだ解決されていません。いや、解決できるかどうかもわからないし、もし解決できなければ、人類自身が経済的、政治的、そして何より「生存の危機」という影響を受けるわけです。
IPCCはそのことを訴えてきたけれども、ご存知のように、世界各国は京都議定書の低い低い約束の履行すらおぼつかない現状です。その地球温暖化問題をとらえる潮目が今年変わった・・と言われています。誰もが地球温暖化問題を口にしはじめたし、多くの人が何かをしなければ・・と思いはじめた。
ゴア氏の「不都合な真実」がもたらした変化であろうと思います。私も同じような仕事をしているので、とてもよくわかるのですが、あれほどわかりやすく、かつ詳しく、そして何より「飽きさせずに見続けさせる」というプレゼンテーションを作り上げることは、並大抵の作業ではありません。
地球も人類もまだ救われていないけれども、ゴア氏は「救いをぐっと引き寄せた・・かもしれない」。ノーベル平和省の意味はここにあるのだろうと思います。IPCCだけであれば、人類が救われたあとにならねば、その受賞もなかっただろうし、その結果、人類は終わったかもしれません。そんな大きな変化をもたらしたからこその受賞なのだと思います。
で、素直に喜ぶことにします。
マスコミでは英メディアがこの受賞に批判的と書いています。私の最初の「あれっ?」と同じ感覚であればわかります。しかし、それ以上に「政治的な受賞」だという非難があるということです。私は逆に「政治的ではない」ノーベル平和省と言うのはあってよいのか?無意味では?という気がします。
ソ連の鉄のカーテンの下での抵抗文学者の受賞、アジア・アフリカの惨状に目を向けさせるためのマリア・テレサやマータイさんの受賞、あの問題の非核三原則での佐藤栄作首相の受賞にしても、その人の「人格の邪悪さ」とは別に、「非核」の意味を世界に示すという重要な役割を、その受賞は果たしたのではないでしょうか?
そういう意味では、今年、地球温暖化問題は「人類最大の課題」に名実ともになったのだと思います。
世界がそのために大きく動いているときに、日本では、国会で政治資金報告書に1円から領収書をつけるべきか否か・・という論争をしています。やりきれない国です。全国民の声で、「あったりまえだろう!」と、「無駄な時間で税金を使うな!」、「もっと大事なことを議論しろ!」といってやりましょう。
今回、本当は「ISAFとテロ特新法」という重要なテーマを書くつもりだったのですが、ゴア氏の受賞ニュースが入ってきましたので急きょ変更しました。ISAFは次回です。
なお、ゴア氏の「不都合な真実」の反響については、日本語版翻訳者の枝廣さんのこんなページもありました。
http://eco.nikkei.co.jp/column/article.aspx?id=20070627c3000c3
IPCCの功績も重要ですが、それをたくさんの人に届けるというのは、同じように重要なことです。
ぼくもまた、似たようなところにいるので、なおさらそう思います。
そうそう、個人的には、ドリス・レッシングのノーベル文学賞というのも、うれしいことでした。地味だけれど、好きな作家です。