竹村英明の「あきらめない!」

人生たくさんの失敗をしてきた私ですが、そこから得た教訓は「あせらず、あわてず、あきらめず」でした。

久しぶりの大雪の中で

2008年02月03日 | Weblog

今日の太平洋側はひさびさの大雪です。朝からずっと降り続いていて、空の便も道路も鉄道も大きな影響が出ています。節分の観光をと考えて旅に出た人たちには、とても無情な天気となりました。1月後半あたりから寒波が強くなり、飯田市のある信州、中央高速沿線も、今年は大雪に見舞われています。そんな雪の中で書いた文章があり、行きがかり上、ここに残しておこうかと思います。

<ここから>

先日、仕事先の飯田(長野県)から昼間のバスで東京に戻る機会を得た。久しぶりの雪深い日で、翌日の山梨での講演予定に支障が出ないように、早めに飯田を抜け出したのである。中央高速は飯田から東京まで全区間雪景色だった。むしろ吹雪の中だったという方が正解かもしれない。それでもときおり訪れる小降りの雪景色の中に、小枝までびっしりと雪をつけた森林の凛とした姿に心が吸い込まれるような厳粛な気持ちになるのであった。

とそのとき、目の前のちらちらと黒いスジ・・送電線である。真っ白い景色の中、送電線は、いつもよりよく目立つ。目の前の荘厳な景色を分断する送電線をにらみながら、この線たちの不幸な運命に思いを馳せた。この山梨から東京にかけての送電線の電気は柏崎刈羽原発からのものではなかったかと。(実際にそうか・・は正確に把握していない。)

東京の発展を良くも悪しくも、ただ黙って支えてきた送電線は、今その最大の役割である柏崎刈羽原発からの電気を届けるという役割を停止している。昨年7月に発生した中越沖地震によって柏崎刈羽原発は事実上破壊されてしまったからだ。

もちろん建物は残っている、放射線漏れも地震の規模に比べれば少なくて済んだ。電力会社は運転再開の意思を崩してはいないが、果たしてどうだろう。原発というのは直径数メートルから数ミリまで、数々の配管のかたまりである。その総延長はどれほどの長さになるだろう。1キロや2キロではないはずだ。今回の地震で、そのどこにも異常がないと確認するだけでも途方もない時間と、人間と、そして大量の被爆を必要とするはずである。

まして、それを補修するのであれば、最初から何もしないで別に新品原発をつくった方がおそらく安くつく・・という試算を電力会社もしているはずだ。柏崎刈羽原発に投下された資金は1基5000億円という一般的な数値で見ると3.5兆円である。よく言われるのが、このコスト回収をしなければいけないので、原発は止められない・・という言葉。しかし、100万kWの原発1基が作り出す電気は、順調に動くなら80億kWhを超えるはず。定期点検での停止期間を入れても10年もあれば初期コストは回収しているはずである。今さら動かすことに固執する意味はないように思える。

送電線に話をもどそう。

電気の送り手を失った送電線は空しく雪の中に立つ。1キロの建設費が数億円といわれる送電線の総延長は東京電力だけでも3万キロ近いようだ。送電鉄塔は東京電力関連だけで5万本以上は建っているらしい。初期投資コストは裕に柏崎刈羽原発をしのぐ。たいてい険しい山の中で、その1本1本に難工事や厳しい用地取得交渉や、さまざまなドラマがあっただろう。

巨大な原発が停止してみると、このような巨大発電設備から巨大送電線網を使って巨大電力消費地に電気を送るというシステムが果たしてベストなのかと思えてくる。1本の送電線の切断事故で東京の半分が大停電となった事故も記憶に新しい。あ、もちろん雪にも弱い。

命がけで送電線網を作るために難工事にたちむかっている人たちには申し訳ないが、何かとても間抜けなシステムに見えてくる。もっとスマートにエネルギーを供給できるシステムはないのか・・と。本当はもっと早くに、みんながこのことを考えるようになるべきだった。

おそらくこれからは急速に分散型エネルギーの時代が、否応無しにはじまるだろう。

燃料電池はまだしばらく時間がかかるが、風力発電、太陽光発電、地熱、小水力はもう十分に実用可能な技術となっている。とくにあちこちの農業用水、工業用水、上・下水道も重要な小水力発電のエネルギー源である。発電は電気の大消費地である都市の近くで行う。送電線は巨大なものは必要ない。

おそらく10年以内には大容量の電気を貯められる蓄電技術も実用化するだろう。分散型電源と蓄電技術が手を組んだら、もう遠くの巨大な発電所も長い長い超高圧の送電線も要らなくなる。吹雪の中に空しく立つ送電鉄塔と送電線の姿は、そんな時代の幕開けの象徴だったのかもしれない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿