国民投票法案の強行採決について書きますと予告した日から3日が経ってしまいました。その3日間のうちに、なんともいろいろなことが起こってしまいました。時計の歯車は、いま急スピードでまわっているのでしょうか?どうも、悪い方に・・。
改憲のための国民投票の手続きを定めた法律案が、先週金曜日に衆議院を通過しました。これは戦後60年間、日本の国民の思想信条や生き方の自由をまがりなりにも保証し、諸外国とのバランスを保って経済活動、文化活動を行うことを可能にする軸足となっていた「憲法を変える」ための手続きです。
単に広く国民の意思を問うというものではなく、「憲法を変える」ための法律です。野党の民主党案は、その他のいろいろな問題について国民投票をして決めるための法案という装いを凝らしていました。あえて、憲法を変えると言う色彩を薄めていて、その点では民主党案の方がたちが悪かったと言えます。
政府案はストレートで、憲法を変えるのだ、憲法9条を変えるのだ・・ということを、正面きっては言わないが、まあ誰でも認識できる程度に押し出していました。そのせいか、4月17日(火)に公表された共同通信世論調査では、改憲賛成派が減って改憲反対派が増えました。前回の61%から減って57%です。しかもそのうちの「どちらかといえば賛成」という弱い意思表示が29.7%を占めています。
憲法9条の改憲反対は44.5%で、改憲賛成の26%を大きく上回っています。憲法は不磨の大典ではないから、変えることはあっても良いと大方の人は思っている・・が、9条は「改憲」はダメだよということなのではないでしょうか?
現政府は、下手な衣はまとわない、今の国際情勢の中で、日本は「戦争のできる国」になるのだ!という強い意志を示して、国民に問うのだ・・と強硬です。民主党に比べ、なかなかきっぱりしていてよろしい。などと誉めていると、戦場に送らるかな・・ということに、多くの国民が気がついているのだと思います。
いや、すでにそういう道を突き進む総理大臣を生み出し、そういう政党に多数の票が投じられている国であるから、もはや国民は「戦争」のほうに一歩を踏み出しているのだと思われるかもしれません。ところが、先の衆議院選挙で、自民・公明連合軍は過半数の得票をしてはいません。49%です。それで74%の議席を確保したのです。これが小選挙区制という選挙制度のマジックで、国民の意思と議席数は必ずしも一致していないのです。
「憲法を変える」のなら、憲法のどこに問題があるのか、何が不都合なのか、どんな人々が困っているのか・・、本当はその議論から出発しなければならないと思います。日本にはたくさんの問題と不都合があります。たくさんの困っている人たちがいます。それらは、憲法があることによって生じているのでしょうか、何者かが憲法を守らないことによって生じているのでしょうか・・。
憲法が原因なら、憲法を変えねばならないでしょう。でも、憲法を守らないから・・だったら、憲法を変える必要があるのでしょうか?そういう、一つ一つの具体的な問題に即した分析と議論が必要なのです。
一方は、もう60年も経って老朽化したから、ともかくも変えるんだが大前提で議論をし、もう一方は、いいや何が何でも守るんだという態度で議論をする。これでは、憲法が活かされているのか、役に立っているのか、障害になっているのか・・、冷静に分析することもできません。
憲法調査会が作られて5年も議論をしてきましたが、どうも憲法によって守られるべき弱者の立場に立って、上記の精査をしたようには見えません。
多くの国民が、憲法のどこをどう変えるべき・・という意見も意思も持ってはいないという状態で「国民投票」をするというのは変ではないでしょうか?
法学者やマスコミから、衆議院を通過した法案については重大な欠陥があることも指摘されはじめました。最低投票率の規定がないのです。極端に言うと、投票率10%でも、その過半数つまり、国民の5%が「改憲」の意思を示したら「改憲」が成立するのです。小選挙区制のマジックに続く、ミラクル法案ではありませんか?
憲法は基本的人権=生きる権利を、公民権=選挙に立候補する権利を保障しています。その選挙戦のさなかに、長崎市の伊藤一長市長が狙撃され亡くなりました。選挙戦は見知らぬ人の中に分け入る作業です。人前で演説し、手を振り、握手をしてまわる。そのときに撃たれたら・・、防御のしようがありません。
伊藤市長は保守候補として当選しながら、さながら革新市長のように被爆問題、平和問題と取り組んでいました。多くの被爆者の皆さんが、その死を悼んでいます。犯人は暴力団で、市とのトラブルが原因ということですが、どうも腑に落ちません。かつて右翼に刺されて亡くなった石井紘基衆議院議員の場合も、闇世界に迫る調査をしていたということが伝えられています。個人の激情での殺人というレベルではない問題が背後にあると思います。
深くご冥福を祈りつつ、そういうことの起きない社会が、いま私たちの持っている憲法のめざす社会であり、それを実現するためにどのような努力をしなければいけないのか・・ということに思いを馳せたいと思います。
そして次には、この憲法のめざすものを実現するための「救憲」について書きたいと思います。乞うご期待。
改憲のための国民投票の手続きを定めた法律案が、先週金曜日に衆議院を通過しました。これは戦後60年間、日本の国民の思想信条や生き方の自由をまがりなりにも保証し、諸外国とのバランスを保って経済活動、文化活動を行うことを可能にする軸足となっていた「憲法を変える」ための手続きです。
単に広く国民の意思を問うというものではなく、「憲法を変える」ための法律です。野党の民主党案は、その他のいろいろな問題について国民投票をして決めるための法案という装いを凝らしていました。あえて、憲法を変えると言う色彩を薄めていて、その点では民主党案の方がたちが悪かったと言えます。
政府案はストレートで、憲法を変えるのだ、憲法9条を変えるのだ・・ということを、正面きっては言わないが、まあ誰でも認識できる程度に押し出していました。そのせいか、4月17日(火)に公表された共同通信世論調査では、改憲賛成派が減って改憲反対派が増えました。前回の61%から減って57%です。しかもそのうちの「どちらかといえば賛成」という弱い意思表示が29.7%を占めています。
憲法9条の改憲反対は44.5%で、改憲賛成の26%を大きく上回っています。憲法は不磨の大典ではないから、変えることはあっても良いと大方の人は思っている・・が、9条は「改憲」はダメだよということなのではないでしょうか?
現政府は、下手な衣はまとわない、今の国際情勢の中で、日本は「戦争のできる国」になるのだ!という強い意志を示して、国民に問うのだ・・と強硬です。民主党に比べ、なかなかきっぱりしていてよろしい。などと誉めていると、戦場に送らるかな・・ということに、多くの国民が気がついているのだと思います。
いや、すでにそういう道を突き進む総理大臣を生み出し、そういう政党に多数の票が投じられている国であるから、もはや国民は「戦争」のほうに一歩を踏み出しているのだと思われるかもしれません。ところが、先の衆議院選挙で、自民・公明連合軍は過半数の得票をしてはいません。49%です。それで74%の議席を確保したのです。これが小選挙区制という選挙制度のマジックで、国民の意思と議席数は必ずしも一致していないのです。
「憲法を変える」のなら、憲法のどこに問題があるのか、何が不都合なのか、どんな人々が困っているのか・・、本当はその議論から出発しなければならないと思います。日本にはたくさんの問題と不都合があります。たくさんの困っている人たちがいます。それらは、憲法があることによって生じているのでしょうか、何者かが憲法を守らないことによって生じているのでしょうか・・。
憲法が原因なら、憲法を変えねばならないでしょう。でも、憲法を守らないから・・だったら、憲法を変える必要があるのでしょうか?そういう、一つ一つの具体的な問題に即した分析と議論が必要なのです。
一方は、もう60年も経って老朽化したから、ともかくも変えるんだが大前提で議論をし、もう一方は、いいや何が何でも守るんだという態度で議論をする。これでは、憲法が活かされているのか、役に立っているのか、障害になっているのか・・、冷静に分析することもできません。
憲法調査会が作られて5年も議論をしてきましたが、どうも憲法によって守られるべき弱者の立場に立って、上記の精査をしたようには見えません。
多くの国民が、憲法のどこをどう変えるべき・・という意見も意思も持ってはいないという状態で「国民投票」をするというのは変ではないでしょうか?
法学者やマスコミから、衆議院を通過した法案については重大な欠陥があることも指摘されはじめました。最低投票率の規定がないのです。極端に言うと、投票率10%でも、その過半数つまり、国民の5%が「改憲」の意思を示したら「改憲」が成立するのです。小選挙区制のマジックに続く、ミラクル法案ではありませんか?
憲法は基本的人権=生きる権利を、公民権=選挙に立候補する権利を保障しています。その選挙戦のさなかに、長崎市の伊藤一長市長が狙撃され亡くなりました。選挙戦は見知らぬ人の中に分け入る作業です。人前で演説し、手を振り、握手をしてまわる。そのときに撃たれたら・・、防御のしようがありません。
伊藤市長は保守候補として当選しながら、さながら革新市長のように被爆問題、平和問題と取り組んでいました。多くの被爆者の皆さんが、その死を悼んでいます。犯人は暴力団で、市とのトラブルが原因ということですが、どうも腑に落ちません。かつて右翼に刺されて亡くなった石井紘基衆議院議員の場合も、闇世界に迫る調査をしていたということが伝えられています。個人の激情での殺人というレベルではない問題が背後にあると思います。
深くご冥福を祈りつつ、そういうことの起きない社会が、いま私たちの持っている憲法のめざす社会であり、それを実現するためにどのような努力をしなければいけないのか・・ということに思いを馳せたいと思います。
そして次には、この憲法のめざすものを実現するための「救憲」について書きたいと思います。乞うご期待。
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